ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

長崎市へ行ってみたくなって その1

2013年03月01日 00時13分08秒 | 旅行記

 昨年も長崎県を訪れましたが、佐世保、諫早、島原とまわったにもかかわらず、長崎市を訪れていません。考えてみれば、同市を訪れたのは2001年冬の1回だけです。同年の12月22日から24日まで、市内を歩いたのでした。

 その時の様子を、デジタルカメラ(最初に買ったSony Cyber Shot DSC-P5)で撮影しており、私のホームページの「待合室」に掲載しました。11年以上も足を運んでいないと、再び行きたくなってきます。そこで、今回は「待合室」の第100回「2001年冬の長崎市(その1)」(2004年6月11日から18日まで)を再掲載します。

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 今回で第100回となりました。たいした撮影技術もなく、私の思うままに掲載し続けただけのコーナーですが、私の趣味の一つ(だけではないかもしれません)がおわかりいただけるのではないかと思います。これからも、日常に見られるちょっとした風景、旅先でのことなどを取り上げていきたいと考えています。もし、このコーナーを御覧になって、「ここに行ってみたいな」と思われることがあれば、私にとっても幸いです。

 大学の研究室に新しいパソコン(またVAIOのノート型です)が入り、今回は、そのパソコンに入っている簡易型ソフトで写真を修正しています。

 研究室にあるMOのデータをみていたら、2001年12月22日から24日までの長崎への旅で撮影した写真が何十枚もありました。以前にも、この「待合室」で取り上げています。第15回の「平和の意味を問う」では原爆落下中心地点や平和公園を、第24回ではシーボルト居宅跡を、第25回から第27回まで眼鏡橋を、第38回では平和公園での一コマを取り上げました(この回は不評だったので2日間しか掲載していません)。7年間、大分県に住みましたが、九州で最も印象に残った街の一つが長崎市でした。第15回の時にも記しましたが、この旅の目的の一つは、被爆の証拠(その多くは物言わぬ証拠)を見ることでした。爆心地をこの目で見たいという思いもありました。

 実は、2001年12月22日、私は大分大学で補講を行っています。これが終わってすぐに、大分駅へ向かい、大分駅からは特急ソニックに乗り、博多駅で特急かもめに乗り換えました。大分市から長崎市に行くには、自家用車か高速バスのほうが速いのですが、自家用車では長崎市内をまわるのに不便かもしれず(実際にそうでした)、バスはあまり好きでない、という理由で、特急を乗り継ぎました(実際、九州は高速バス路線網が発達していますが、一度も利用したことがありません)。長崎駅に到着したのは夜です。それほど大きな駅ではないのですが、さすがに代表駅らしく、立派です。上の写真ではわかりませんが、左側にホテルがあり、ここに宿泊しました。

 翌日(12月23日)、長崎市内をまわりました。起点は長崎駅、ということで、午前中の長崎駅です。

 九州の県庁所在地を全てまわってみると、大分駅周辺を例外として、中心駅と中心街が離れていることがわかります。長崎駅はその典型で、中心街(長崎第一の繁華街)である浜町は、ここから長崎電気軌道の路面電車に乗ってしばらくした所にあります。

 この長崎駅は、県の中心駅としては唯一の終端駅、つまり、行き止まりの駅です。鹿児島本線鳥栖駅から分岐する長崎本線の終点で、長崎駅より南のほうには線路が延びておりません。その意味では、どこかの私鉄の始発駅のように見えます。

 長崎駅前から長崎電気軌道の路面電車に乗ります。1号系統(赤迫~長崎駅前~正覚寺下)と3号系統(赤迫~長崎駅前~蛍茶屋)がありますが、この日は3号系統に乗り、新中川町で降りました。シーボルト居宅跡(記念館)へ行くためです。これについては以前に紹介しましたが、坂の街というにふさわしく、狭くて急な坂道を歩いていきました。自家用車で行っていたならば、駐車場に困ったことでしょう。

 九州でも、かつては福岡、北九州、大牟田、大分など、多くの都市で路面電車がみられました(どういう訳か、宮崎県だけは路面電車の存在例がないようです)。2000年11月に西鉄北九州線が廃止されてからも、長崎、熊本、鹿児島で走っています。熊本と鹿児島の場合は一部路線が廃止されていますが、この長崎では廃止路線が存在しません。これは全国的にも珍しく、私が知る限りでは他に広島電鉄くらいしか例がありません。

 長崎市内をまわる場合には、路面電車が一番便利です。運賃が100円均一と安く、しかも、主な名所であればほとんどが路面電車の沿線にあるからです。私も、500円の一日乗車券を購入し、フルに活用しました。

 シーボルト居宅跡を訪れた後、蛍茶屋電停まで、坂道を歩き回りました。東京も坂が多い所ですが、長崎に比べれば楽なものです。蛍茶屋の裏のほうは、上の写真でもおわかりだと思いますが、山の斜面などに多くの家があります。実際に歩いてみた限りでは、敷地もそれほど広くなく、道も狭いので、新築や改築となると大変なことになるだろうと思われます。自転車をそれほど見かけず、原動機付自転車が目立ったのも、地形のせいでしょう。グラバー園の裏のほうなどは、自動車でも無理だという急勾配の坂道があるということでした。

 次の目的地は浜町です。そこで、蛍茶屋から5号系統(蛍茶屋~石橋)に乗って西浜町電停へ出ました。

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 (上記は、あくまでも、2001年12月22日~24日の時点での話です。)


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