どっと屋Mの續・鼓腹撃壌

引き続き⋯フリーCG屋のショーモナイ日常(笑)

小田部洋一さん、トークイベント(1)

2019年08月12日 20時35分00秒 | イベント・ライブ
ユジク阿佐ヶ谷「太陽の王子ホルスの大冒険」上映後、ロビーに移動して、予定通りトークの始まりです(^_^)

冒頭「写真・動画の撮影はご遠慮ください」とのことでしたので、以下メモ書きをもとにしての書き起こしとなります(聞き間違いや聞き漏らしあるかと思いますが、予めご容赦ください(^_^;)

司会・進行は東映アニメーションの近藤さんで、小田部さんに質問する形でトークが進められました。

▼「太陽の王子ホルスの大冒険」を今改めて鑑賞しての感想
今年6月に行われたアヌシー国際アニメーション映画祭でも上映された。今でも観る度に(高畑勲)監督の力がわかってくる...当時、演出意図の汲み上げもスタッフとして頑張ってやったつもりだが、不十分だったと感じる。でもその時において力を出し切ったと思うし、恥ずかしくはない。

高畑さんの指向するストーリー展開と、キャラクター造形・演技...そして当時としてはあまりに深く微細に切り込んだ圧倒的な世界観をビジュアルとして表現するのがどれだけ大変なことだったことか...今の視点で見れば善悪に揺れるヒルダのイメージを浮かべることは容易でも、無から造り上げるのがどれほど困難を伴ったものだったか...一言一言に重みを感じます。


▼小田部さんにとってのアニメ人生とは
幼い頃から漫画や漫画映画が大好きでいろんな物を観ていた。戦後になって映画作品としての漫画映画の良さを改めて意識しはじめ、東映動画の長編漫画映画「白蛇伝」も期待してみた。ちょうど大学卒業の一年くらい前で、映画館は小金井、吉祥寺...あるいは新宿だったか...。ロシアの「せむしの仔馬」なんかと比べるとまだまだだなぁとか生意気なことを思っていたり(笑)

雪の女王」(アナ雪じゃないよ(^_^;)なんかもそうですが、この時代のロシアのセルアニメーションは技術も表現も完成度が高く、「白蛇伝」と比べるのは可哀想なくらい違います...。

そして東映動画に入社(昭和34年)したが、入ったは良いがアニメの作り方は全く解らなくて...大学では日本画を学んでいた。でもエンピツで書かれる原画の線がなんてチャーミングなんだろうと感心した。学校(東京芸術大学)での同級生に漫画もアニメも興味もつ人など誰もいなくて恥ずかしかった...当時の美術系の就職先といえば中高の美術教師くらいしかなくて、アニメやろうなどと誰も考えもしなかった時代だった。

昭和30年代でアニメを仕事にしようという感覚...誰も理解できなかっただろうし、そもそも仕事として成立するのか?と怒られてしまいそう(^_^; 私の時代(昭和50年代)でさえ怪訝な目で見られたんですから、その時代の空気感は段違いに理解不能だったと思います。

そして動画マンとしての初仕事は「少年猿飛佐助」、そして朝ドラ「なつぞら」のモデルであり、生涯のパートナーとなる奥山玲子さんの出会い...そのエピソードは次回にて(^_^)