どっと屋Mの續・鼓腹撃壌

引き続き⋯フリーCG屋のショーモナイ日常(笑)

小田部洋一さん、トークイベント(2)

2019年08月13日 21時55分00秒 | イベント・ライブ
前回からの続きです。

お姿については撮影不可だったので、開始前に用意された椅子を(^_^; 向かって右に小田部さん、左に東映アニメーションの近藤さんが座ってのトーク。背後はユジク阿佐ヶ谷名物の壁一面に設置された黒板で、上映作品にちなんだイラストなどが多色のチョークで描かれます。当日は台湾映画をテーマにしたものでした。

さて、小田部さんのお話しは東映動画に入社して、最初に関わった作品「少年猿飛佐助」(昭和34年公開)へと...。

まだ奥山(玲子さん)を知ったのは「安寿と厨子王丸」(昭和36年公開)の時で、彼女は第一原画で自分は第二。チェックを受ける立場だったが、彼女はアニメーターとして自信満々という感じで、描いたのを見てもらった時、裏返しにして確認したりしてビックリ...意地悪だなぁと思った(笑)

朝ドラ「なつぞら」でも該当シーンがありましたけど、デッサン狂いがないかの確認で良くやる方法なんですよね(^_^;)

たいていは自己チェックで頻繁に確認します。裏返すと気づかない歪みが見えたりして、簡易に補正できるんです...決して意地悪でやったことでは無いと思いますが、イキナリ他人にやられると...まぁ気分が良いもんじゃありません(^_^;

当時現場は6〜7人の班に分かれていて、彼女は森(康二さん)班だったと思う。自分は楠部(大吉郎さん)の班だった。当時は長編作品を1年に1本作るペース。そのうち2班体制となり、森班は「わんぱく王子の大蛇退治」(昭和38年公開)、大工原(章さん)班は「少年ジャックと魔法使い」(昭和42年公開)へと。

自分は森班を選択し、当時「わんぱく王子〜」で助監督だった高畑(勲さん)も知る。


そして、お話しは「太陽の王子ホルスの大冒険」の製作当時の核心へと...。

スタッフとして参加することになり、キャラクターデザインも公募され、自分はポトムやルソンが採用された。高畑さんはデザインだけではなく、ストーリーも公募した。

たくさん絵を描いて、壁に貼って検討会をした。自分も難航したヒルダのデザインを描いてみたりもしたが、ドラマのように取捨選択するのではなく、いろんな人が描いたデザインの良いところを組み合わせて、作画監督の大塚(康生)さんが統括し最後にまとめ、全員が参加しているという平等制を感じた。

ちなみに奥山は全部一人でやらないと不満を感じる中央集権的な性格で、仕事も宮崎(駿)さんに次ぐ量をやっていたと思う。


宮崎さん・奥山さんともに、そうとうアグレッシブに取り組んでいたようですね...穏やかそうな小田部さんはタジタジして見守っていたのかな(^_^;

東映動画としても長編作品は難しくなってきている時期で、高畑さんは「ホルス」一作のみで終わりになるのではないかという危機感で仕事に臨んでいた。従来の作品のような単に楽しいだけではなく、登場人物がどんな気持ちでどんな動作をするのか一つ一つ丁寧に考えていた。

高畑さんは自分たち作画マンに多くのことも教えてくれた。剣の素材や、衣服や靴に至るまでどんな風に作られているかまで...。

人や動物のモブシーンも多かったし、ホルスの冒頭船出シーンなどリアルな描写で苦労したが、キャラの気持ちを動きにすることを意識するようになり、その後の仕事はホルスに比べたら...と思うようになった(笑)

「ホルス」の完成後も多くの人に観てもらいたくて、自分達でガリ版刷りのチラシを作ったりして一生懸命頑張った。


小田部さんのお話しぶりは穏やかながらも製作の渦中にいたこともあって、その空気感を色濃く感じとれました。高畑さんの演出...その考え方と方法は決して独りよがりではなく、キャラの演技やシーンの描き込みも具体的な提示をもってスタッフと共有し、無理なく構築していった様が想像できます。

スケジュールを守らないとか予算大幅超過というマイナス面ばかり取り上げられることが多いのですが、やはり現場では納得のいく濃密な時間を作り上げていたようですね(^_^)

この後は今話題(?)の朝ドラ「なつぞら」に時代考証として関わるエピソードをお話しされました(^_^)

その内容は次回に〜。