どっと屋Mの續・鼓腹撃壌

引き続き⋯フリーCG屋のショーモナイ日常(笑)

目まぐるしい天候状態...。

2019年08月20日 22時06分00秒 | 日記
昨日から今日にかけ、雷雲でゲリラ豪雨っぽくなるわ、台風みたいに強風吹くわで...(´д`)

大雨洪水警報も出たりで、落ち着きません...北の方から空気が移動している感じ?

そろそろ季節の変わり目なんでしょうかねぇ...。

ホンマに落ち着かない...明日は仕事で外出予定...少しでも安定を祈りたいところです。



Perfume、見たことのない表情

2019年08月19日 22時32分00秒 | Perfume
Perfume The Best “P Cubed”」特設サイトでも紹介されているように、現在全国規模で Perfume 所縁の地で掲示されているポスターの数々。

その一種かと思うのですが、3人の顔つきにハッとさせられました...。

化粧っけのないスッピンをあえてさらすことはこれまでもあったし、ある意味で見慣れていると思っていたんだけど、こんな表情は初めてみた気がします。

一瞬「え?...別人...じゃないよな...」と思うくらい正直ドキリとさせられました...まるで媚びがない...それどころか Perfume であることの気配(キャラクター性)さえ消してさえいる...それぞれが生々しい一人の「女」を露出している...。

裸足になっているのも飾り気を排除している要因になっていると感じますが...これは凄いなと...写真というより気持ちを浮き出した肖像画に見えます。

ステージやTVで見せるお馴染みの あ〜ちゃん・かしゆか・のっちではなく、西脇綾香・樫野有香・大本彩乃の名前が脳裏に浮かびました。

十代・二十代だったら、この顔つきは見せたくないでしょうし、カメラの前でも出せないものだったと思う。

見事だと思いますし、個人的にも大好きな写真になりました...あぁ...このポスター欲しい(*´д`*)



この世界の片隅に、69回目鑑賞+(1)

2019年08月18日 20時53分00秒 | アニメ
あれから早一年、池袋・新文芸坐での...もはやこの時期恒例として定着しつつある「新文芸坐×アニメスタイル セレクションvol. 118 『この世界の片隅に』三度目の夏」に行ってきました(*^o^*)

深夜にも関わらず相変わらずの高温状態の中、汗だくになって到着...ロビーに入るとすでに入場者でごった返しの状態...やはりオールナイトなので、男性8割以上、年齢層も4〜50代中心で、自分と同じ加齢臭に充ち満ちておりましたわい(^_^;

ショウケースや壁には「この世界の片隅に」にちなむ様々な展示で、気分を盛り上げてくれます(*^m^*)


22時45分、予定通り開場!チケットぴあ整理番号12番だったため、狙い通りの座席を確保!

前から三列目、上手通路側...正直スクリーンはかなり近くて首も辛いんですが、冒頭トークを程よい距離感で見聞きできることを優先した次第。

そうそう今回のイベントでは「マイマイ新子と千年の魔法」8周年記念で配布されたアートカードを頂きました。新宿ピカデリーでのイベントで既に頂いたものですが、思わぬ2枚目ゲットで嬉しい限り(*^o^*)

23時ちょい過ぎ、新文芸坐の方の挨拶でイベント開始です。

「何度も上映しているのに、千日を越えているのに、未だにこれだけのお客様にお越しいただけるのは本当に素晴らしいことだと思います」

「『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の公開が12月20日と告知されましたが、あの日付はウソですね(笑)...ウソです!...いや今回は12月20日に公開していただけるでしょう。本当に楽しみです!」と場内の笑いを誘いつつ開幕です!

さてさて...今回はどんなお話しが聞けるのか...片渕須直さんも制作に関わった「リトル・ニモ」の裏話が楽しみです!

次回に続きます(^_^)



京都アニメーション事件の残忍性

2019年08月17日 19時33分00秒 | 事件・事故・災害
先日のニュース番組で、スタジオ内部の写真を見ました。

それは新築当時のもので、まだ机なども搬入されていない状態で...窓は障子のようなデザインで、白い壁と木目の美しさを活かしたフローリング...和室を思わせる素敵な空間でした...。

あんなとんでもない放火事件の舞台になってしまうなんて素増もできない美しさで、胸が締め付けられました。

上階にいながらも助かった人は、その障子を突き破るなどしてベランダに出て、瞬間的な判断で飛び降りたらしいです。

普通に仕事をしていて、いきなりの災難に対し、どう判断して、どう行動するか...我が身に降りかかった場合どうなるだろう...あの日から頭の中で自問自答の繰り返しです。

あの美しかった建物自体はお金をかければいくらでも作り直すことはできる...でもあの場にいた35人は帰ってくることはありません。

本当に残酷なことだと思います。

犯人自身も全身火傷を負い、いまだ重篤な状態だといいます。

なにがなんでもこの男の命を救い、最低でも法廷の場に立たせるくらいに回復させなければなりません。

いかに重大な事を起こしてしまったか知らしめ、法の裁きを受けさせなければ、亡くなった人たちも浮かばれないと思います...。



Macを新調(^_^)

2019年08月16日 22時10分00秒 | Mac
メインマシンとして長年愛用してきたiMacがついに昇天してしまったのでね...。

据え置きとして同型iMacにしようかとも考えましたが、仕事の形態が今後外出頻繁になりそうな感じもあって、思い切ってポータブル機にしちゃおうと。

MacBook Air(13インチ・スペースグレイ)にしました。

システム構成
 1.6GHzデュアルコア第8世代Intel Core i5プロセッサ(Turbo Boost使用時最大3.6GHz)
I ntel UHD Graphics 617
 16GB 2,133MHz LPDDR3メモリ
 512GB SSDストレージ
 感圧タッチトラックパッド
 Thunderbolt 3ポート x 2
 Touch ID
 True Tone搭載Retinaディスプレイ
 バックライトキーボード - 英語(米国)

本体の色味は結構渋くてお気に入りです(^_^)

先代のMacBook Air 11インチと比べると際立ちますな(*^o^*)

持ち歩きのためにも本体丸ごと装甲(プラスチックハードケース)も施しましたよ。

これで外でもキズや汚れを気にすることなく安心して使えます(^_^)

現在iMacからのシステム・データを移行中...。

スムーズに引っ越しが済むことを祈るばかりです。



74回目の今日

2019年08月15日 19時50分00秒 | 日記
HDR機能のカメラアプリで撮ったら不気味な状態になってしまった(^_^;

ここのところ台風の影響でものすごく不安定な天候状態...陽が出て晴れたかと思えば、次の瞬間雨がザーっと落ちてくる...かと思えばまたギラギラな陽射しになったりの繰り返しで...(´Д`;)


戦後生まれの最高齢が74歳ってことでもあり、戦没者追悼式の参加ご遺族・参列者の戦後生まれ世代が3割を越えたと。

昔、私がまだ小学生くらいのころ「戦争を知らない子供たち」という反戦をテーマにした曲が流行り、戦後生まれって青年のイメージが定着しちゃっているんですが、気づくと高齢者の域に達しているんですよね。

天皇も代替わりが進んでしまい、今日の追悼式の映像をみて、いちいち「あぁ...この人か」と軽く違和感あったりしますが、世の中どんどん進んでいき、戦争の恐ろしささえ風化を始めている危うさを感じるばかりです。

今現在は「戦後」ではなく、「戦前」なのだという声もヒシヒシと聞こえる...国際的な紛争解決手段で「戦争」を永久に放棄する条文を盛り込んだ現憲法は尊く、これを一度なくしたら...想像するだけで恐怖を感じます。

押しつけだの、絵空事だのと揶揄する声も大きくなってきてるけど、逆に言えばこんな憲法は自ら作り出すことはできないでしょう。

戦後生まれの現首相も、戦争の怖さを肌で知ることのない世代です。

おかしな方向に行かないことだけを祈るばかりです。



小田部洋一さん、トークイベント(3)

2019年08月14日 21時50分00秒 | イベント・ライブ
前回からの続き、トークもたけなわ!小田部さんも時代考証として参加されている連続テレビ小説「なつぞら」についてのお話しです(^_^)

ちなみに写真のポスカはササユリカフェ「かりや展」で頂いたものです(*^o^*)

二年前、5ヶ月ほど入院したのだが、その退院直後に東映から「今度NHKでドラマをやるそうなのだが、協力してくれないか」と電話があった。自分も病気したばかりだし、もっと相応しいのは大塚康生さんだと思ったが、年齢的に難しいと。

時代考証なんて、なんだか偉そうだし怖くてやりたくないと思ったが、他の人もできない様なので引き受けることに...。

特にエンピツの扱いなどは重要だと考えた。ドラマが始まって色々な人からアレが違うコレが違うと指摘されるが(笑)、自分としてはデタラメでなければ程ほどで良いと考えている。

実際にNHKのスタジオにも行って、セットも確認し、机やテーブルなどもスチール製のものがあれば当時は木製と指摘、NHK側は意見を受け入れキチンと対応してくれて、安心した。

太鼓判...とまではいかないが、台本も事前チェック、放送されたものを見ると俳優もスタッフも歯車が回っていて深みさえ感じることもある。


ここで小田部さんが個人的に招待したと思われる同年配のご婦人お二人から「えぇ〜っ!」とのツッコミが(^_^;...どなたかは何となく察しますが、憶測になるので伏せておきます。

ヒロイン・広瀬すずさんが奥山(玲子さん)を演じているのが嬉しくて、それだけでも良かったなぁと。彼女のことは映画「海街diary」の頃から知っているし、ファンで(笑)、毎回楽しみにしている。事前にテープも貰っているが、放送されているのを見たくて、BSも地デジもドキドキしながら見ている。仲さんとかどうなるのかなぁとか...とにかく愛情を感じている。

「海街〜」のタイトルをサラッと口にされるとは...本当にファンなんですねぇ(*^o^*) 小田部さんとしては内容はさておき、広瀬すずさんを毎日見ることができるのが幸せみたいです(^_^;

トークイベントは45分くらいでしたが、楽しくてアッと言う間でした!アニメ業界そしてゲーム業界においても大きな足跡を遺す人物(もっとアグレッシブで濃ゆい感じの人かと勝手に想像してました(^_^;)にも関わらず、控えめで穏やかなお人柄で...今さらながらファン度が強くなっております(*^o^*)

そして最後に締めのお言葉は「太陽の王子ホルスの大冒険」への想い...。

自分にとってアニメ魂のスタートであり、大変さを乗り越え根性もついた作品として、とても印象深いものだ。

これ以上のコメントはないですね!ありがとうございました(*^o^*)



小田部洋一さん、トークイベント(2)

2019年08月13日 21時55分00秒 | イベント・ライブ
前回からの続きです。

お姿については撮影不可だったので、開始前に用意された椅子を(^_^; 向かって右に小田部さん、左に東映アニメーションの近藤さんが座ってのトーク。背後はユジク阿佐ヶ谷名物の壁一面に設置された黒板で、上映作品にちなんだイラストなどが多色のチョークで描かれます。当日は台湾映画をテーマにしたものでした。

さて、小田部さんのお話しは東映動画に入社して、最初に関わった作品「少年猿飛佐助」(昭和34年公開)へと...。

まだ奥山(玲子さん)を知ったのは「安寿と厨子王丸」(昭和36年公開)の時で、彼女は第一原画で自分は第二。チェックを受ける立場だったが、彼女はアニメーターとして自信満々という感じで、描いたのを見てもらった時、裏返しにして確認したりしてビックリ...意地悪だなぁと思った(笑)

朝ドラ「なつぞら」でも該当シーンがありましたけど、デッサン狂いがないかの確認で良くやる方法なんですよね(^_^;)

たいていは自己チェックで頻繁に確認します。裏返すと気づかない歪みが見えたりして、簡易に補正できるんです...決して意地悪でやったことでは無いと思いますが、イキナリ他人にやられると...まぁ気分が良いもんじゃありません(^_^;

当時現場は6〜7人の班に分かれていて、彼女は森(康二さん)班だったと思う。自分は楠部(大吉郎さん)の班だった。当時は長編作品を1年に1本作るペース。そのうち2班体制となり、森班は「わんぱく王子の大蛇退治」(昭和38年公開)、大工原(章さん)班は「少年ジャックと魔法使い」(昭和42年公開)へと。

自分は森班を選択し、当時「わんぱく王子〜」で助監督だった高畑(勲さん)も知る。


そして、お話しは「太陽の王子ホルスの大冒険」の製作当時の核心へと...。

スタッフとして参加することになり、キャラクターデザインも公募され、自分はポトムやルソンが採用された。高畑さんはデザインだけではなく、ストーリーも公募した。

たくさん絵を描いて、壁に貼って検討会をした。自分も難航したヒルダのデザインを描いてみたりもしたが、ドラマのように取捨選択するのではなく、いろんな人が描いたデザインの良いところを組み合わせて、作画監督の大塚(康生)さんが統括し最後にまとめ、全員が参加しているという平等制を感じた。

ちなみに奥山は全部一人でやらないと不満を感じる中央集権的な性格で、仕事も宮崎(駿)さんに次ぐ量をやっていたと思う。


宮崎さん・奥山さんともに、そうとうアグレッシブに取り組んでいたようですね...穏やかそうな小田部さんはタジタジして見守っていたのかな(^_^;

東映動画としても長編作品は難しくなってきている時期で、高畑さんは「ホルス」一作のみで終わりになるのではないかという危機感で仕事に臨んでいた。従来の作品のような単に楽しいだけではなく、登場人物がどんな気持ちでどんな動作をするのか一つ一つ丁寧に考えていた。

高畑さんは自分たち作画マンに多くのことも教えてくれた。剣の素材や、衣服や靴に至るまでどんな風に作られているかまで...。

人や動物のモブシーンも多かったし、ホルスの冒頭船出シーンなどリアルな描写で苦労したが、キャラの気持ちを動きにすることを意識するようになり、その後の仕事はホルスに比べたら...と思うようになった(笑)

「ホルス」の完成後も多くの人に観てもらいたくて、自分達でガリ版刷りのチラシを作ったりして一生懸命頑張った。


小田部さんのお話しぶりは穏やかながらも製作の渦中にいたこともあって、その空気感を色濃く感じとれました。高畑さんの演出...その考え方と方法は決して独りよがりではなく、キャラの演技やシーンの描き込みも具体的な提示をもってスタッフと共有し、無理なく構築していった様が想像できます。

スケジュールを守らないとか予算大幅超過というマイナス面ばかり取り上げられることが多いのですが、やはり現場では納得のいく濃密な時間を作り上げていたようですね(^_^)

この後は今話題(?)の朝ドラ「なつぞら」に時代考証として関わるエピソードをお話しされました(^_^)

その内容は次回に〜。



小田部洋一さん、トークイベント(1)

2019年08月12日 20時35分00秒 | イベント・ライブ
ユジク阿佐ヶ谷「太陽の王子ホルスの大冒険」上映後、ロビーに移動して、予定通りトークの始まりです(^_^)

冒頭「写真・動画の撮影はご遠慮ください」とのことでしたので、以下メモ書きをもとにしての書き起こしとなります(聞き間違いや聞き漏らしあるかと思いますが、予めご容赦ください(^_^;)

司会・進行は東映アニメーションの近藤さんで、小田部さんに質問する形でトークが進められました。

▼「太陽の王子ホルスの大冒険」を今改めて鑑賞しての感想
今年6月に行われたアヌシー国際アニメーション映画祭でも上映された。今でも観る度に(高畑勲)監督の力がわかってくる...当時、演出意図の汲み上げもスタッフとして頑張ってやったつもりだが、不十分だったと感じる。でもその時において力を出し切ったと思うし、恥ずかしくはない。

高畑さんの指向するストーリー展開と、キャラクター造形・演技...そして当時としてはあまりに深く微細に切り込んだ圧倒的な世界観をビジュアルとして表現するのがどれだけ大変なことだったことか...今の視点で見れば善悪に揺れるヒルダのイメージを浮かべることは容易でも、無から造り上げるのがどれほど困難を伴ったものだったか...一言一言に重みを感じます。


▼小田部さんにとってのアニメ人生とは
幼い頃から漫画や漫画映画が大好きでいろんな物を観ていた。戦後になって映画作品としての漫画映画の良さを改めて意識しはじめ、東映動画の長編漫画映画「白蛇伝」も期待してみた。ちょうど大学卒業の一年くらい前で、映画館は小金井、吉祥寺...あるいは新宿だったか...。ロシアの「せむしの仔馬」なんかと比べるとまだまだだなぁとか生意気なことを思っていたり(笑)

雪の女王」(アナ雪じゃないよ(^_^;)なんかもそうですが、この時代のロシアのセルアニメーションは技術も表現も完成度が高く、「白蛇伝」と比べるのは可哀想なくらい違います...。

そして東映動画に入社(昭和34年)したが、入ったは良いがアニメの作り方は全く解らなくて...大学では日本画を学んでいた。でもエンピツで書かれる原画の線がなんてチャーミングなんだろうと感心した。学校(東京芸術大学)での同級生に漫画もアニメも興味もつ人など誰もいなくて恥ずかしかった...当時の美術系の就職先といえば中高の美術教師くらいしかなくて、アニメやろうなどと誰も考えもしなかった時代だった。

昭和30年代でアニメを仕事にしようという感覚...誰も理解できなかっただろうし、そもそも仕事として成立するのか?と怒られてしまいそう(^_^; 私の時代(昭和50年代)でさえ怪訝な目で見られたんですから、その時代の空気感は段違いに理解不能だったと思います。

そして動画マンとしての初仕事は「少年猿飛佐助」、そして朝ドラ「なつぞら」のモデルであり、生涯のパートナーとなる奥山玲子さんの出会い...そのエピソードは次回にて(^_^)