予期せぬ劇症肝炎、そして生体肝移植からの壮絶脱出劇!
がんばれ!肝臓くん。。
おまけの人生
先々週、右手親指に痛みが出て、曲げても反っても激痛。
手首の腱鞘炎からきているかと思ってたら、整形外科の診断では、腱鞘炎とはあまり関係なく、
親指付け根の関節炎。
ちょっとどうしようもない痛みということもあり、痛み止め服用や湿布では
改善されないということでブロック注射を打ってもらった。
テニス肘では2度経験しているけど、親指付け根、半端なく痛かった。
元々半端なく痛い、指が、ってのもあったかも、だけど。
まぁでも親指自体の痛みはかなり治まってきたから、診てもらって良かった。
診てもらったのはいつものお医者さんではなく、たまたまの院長先生。
過去カルテや問診票を見るなり、診察よりも質問ラッシュ。
移植のこと。
特に、劇症肝炎からの移植の流れ。
専門外でもやはり詳しい。
藤堂医師のことも知っていた。
あの頃、北大で移植を積極的に推し進めていたことも知っていた。
手術のリスクも術後のリスクも、拒絶反応も感染リスクも。
そんな院長先生に、改めて、ズバリ、言われた。
「かなり運が良かったですね。」
移植後18年、忘れかけていたのかもしれない。
敢えて思わないようにしていたかもしれない。
今、身体の状態を色々な人に聞かれると、あちこち痛い所だらけだけど、こう答える。
「数値は悪くないよ」、と。
再手術もした、途中、癌もあったけれど、やっぱり、相当運がいいかなと。
わかっていたことだけど。
ほぼ形を留めない肝臓で、ほとんど死んでた状態、から、18年。
もう完全に、おまけの人生、なんですよね。現在。
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移植手術から18年目を迎えることができました
今朝妻から
「もう何年目?」って。
2005年だから、もう、18年目。
18年間も幸運にも生きさせてもらった。
「アレ」からは嬉しいことよりも圧倒的に大変な時の方が多かったと思うけど、
でもそれはそれで一生懸命生きてきた充実した日々だった。
10月4日から5日にかけ、18時間半の移植手術。それが2005年、18年前の今日。
いつも色んなことに、不平不満、文句ばっかり言ってるけれど、そんな自分でも、やっぱり今日だけは感謝の一日。
子の受験、就職、親の老後、色んなもの見せてもらった。
移植の後も、色んな病気をした。癌にもなった。
感動もした。野球に五輪に、サッカーに。ラグビーも。
AKB48とEXILEは勝手に同期って思ってるし、
のど自慢にも挑戦することができた。
あちこち身体は痛い所だらけだけど、DIYで家のリフォーム、できた。
コロナもあった。何百年かに一度の出来事に遭遇ってこと?
これからも、少しでも長生きできると、色んなこと、いいことも悪いことも。
きっと楽しい。
生きていればこそ、っていうのは本当に実感。
今、不穏な感じで日本や世界 、すぐ身の周りにだって嫌なことは毎日有る。
でも、自分の中の価値観、比較感は、
生きているか、そうでないか。余命が告げられているかそうでないか。
どんな苦しい時も事象も、
生きているからこそ。
そう考えると、身の周りの、あんな事、こんな事、
そんなのどうってことない、って思えてくる。
あとは、いずれ訪れる「その時」まで、いかに準備ができるかって、ことかなぁ。
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目の前
62歳目前の今、この歳になってみて若い頃の余裕の無さに悔いを感じることが多くなった。
ひとり身の頃はまだ良かったのかもしれない。
ただがむしゃらにやっていれば良かったから。
結婚して、子供が産まれて、自分以外の存在の重さを感じるようになってから、なんかそれが凄く重くなって...
でもだからと言って、それが人生そのものだし、最高の幸せを得てきたのも事実。
悔いが残るのは、その時々の自分自身の余裕の無さ。
今になって考えて、あの時、あの瞬間、もっとできること、やっておけばよかったこと、
かけてあげられたかもしれない言葉だったり、子供との向き合い方だったり。
後悔すればキリは無い。
そして今、余裕があるかっていうと...無い。
全然無い。
変わって、ない。
と、凄く反省。
もうちょっと周りが見えて来てもいいはずなんだけど、それが...
やっぱり、自分の身体のことかなぁ、原因。
この20年弱、常に身体のどこかに不調が有る中で、どうしても頭の中がそこに向かっている。
終活を始めて、身軽にして、その上で人生を楽しんでいこうと、そう決めて、今はまだ途中。
途中でも時間はどんどん経っていくわけで、終活が終わったら、なんて考えていると、人生が終わったりして。
もっと、気持ちに余裕、未来に希望、そして何より今を、目の前を楽しむ、
これが大事、なんだろうなぁ。
2005年に劇的に変化した生活、死ぬまで付き合っていかなければならないなら、
その事さえ楽しんで捉えていかなければと、改めて思うのでした。
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自分のあと片付け
昨年末で29年続けた会社(と言っても税金対策上のもので、一人会社)を解散、
今は新たに1月1日より個人事業開業ということで始めている。
法人廃業、個人開業、これには実は色々と理由があって、公に言えないこともあり、
でも一番の理由が終活のメイン作業であることは間違いない。
この法人廃業という作業、殆どが税理士さんの仕事、でも廃業登記自体は自分でやろうと思えばできる。
決算期途中での廃業なので、通常の決算(9月決算)の後、10月から12月まで、3か月分の経理処理が必要になる。
で、今がその途中。
今月一杯でそれを終わらせ、次は清算結了と言って、最終決算後の後処理をしなければならない。
これは廃業日から3か月経ってからでないと進められないので、おそらく本当に片付くのは5月になるか。
そして、ようやく、個人事業での活動とそれに纏わる経理が始まる。
それもまた大変。
仕事仲間で、同じような環境の人がいて、やはり最後の身の処し方は大変。
これからも周りでそんな人が増えていく。
自分の老後、自分の最後、そしてその後、
人生最後の「自分のあと片付け」くらいは自分で終わらせたい。
でなければ、妻や子や、もしかしたら親に、やりたくない事をやらせる事になってしまう。
あの長期入院の時、
身体的に苦しいよりも、痛いよりも、何よりも辛かったのが何だったか。
それは、ベッドを離れることができず、仕事とプライベートな事、やらなければならない事ができない、
という精神的苦痛。
嘘かと思われるかもしれないけど、身体的苦痛よりも精神的苦痛が大きかった。
あんな大きな手術したのに。
だから本当に、終活は大事。
もうどうにもならなくなった時、ベッドの上で後悔しないように。
終活なんて考えずに、今を精一杯生きた方がいい、なんて勝手なことを言う人もいるけど、
そりゃぁ本人はそれでいいだろうさ。
とは言っても、あの経験がなければ、自分も今、終活とか考えていたかなとは思う。
でも前向きな終活ならどんどんやった方がいいと思う。
やるなら早い方がいい。元気なうちがいい。
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10月4日
今年もまたこの日、10月4日。二度目の誕生日だ。
毎年のことだけど、たくさん感謝して、感謝して、感謝しなくてはならない日。
大変だったなぁ、なんて、今さら言ってもだし、そもそも今も十分大変だし。
落ち着いてきた頃から整理し始めた資料、分厚いファイルに収まり切らず、この他にもまだ何冊もファイルがある。
開けば一気に当時のことを思い出し、でも、まだまだこれから、
これからまた増えていく。
今日朝、妻に、
「そう言えば今日、移植した日だ。」
って言ったら、
「5日じゃなかった?」
って。
そうだよね、始まったのは4日の朝、終わったのは5日の夜中。
もっと言うと、更に一年後、再手術が本当の終わり。
でも終わりが始まり。
来年も再来年も、こうして振り返ることができるように...
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病気の経験値
肝臓移植後、
尿管癌疑い、胆管炎(入院)、尿管結石(破砕術)、膠原病、五十肩(両肩)、
テニス肘、手首腱鞘炎、足首ねんざ(レベル2)、飛蚊症、白内障(手術)、
緑内障疑い(経過観察)、大腸ポリープ(コールドポリペクトミー術)、
前立腺癌(全摘出手術)、後遺症による左足痛、ヘブスブリンにアレルギー、
原因不明のアレルギー...
色々あった。
かかった診療科は、
移植外科、膠原病科、歯科、神経内科、泌尿器科、内科、整形外科、眼科、
アレルギー科、放射線科...
細かく言えばもっとある。
そしてこれからも、増えていく。
大変だった分、経験値も増えた。知識も増えた。
もちろん自分でも学んだ。自分を守るため。
知識のある無し、関心のある無しが、自分の生命さえ左右することも分かった。
でも、だからなんだ、と思うこともあり、無ければ無いでそれが一番なわけで。
ここ数か月、体調を崩した次男くん。
原因不明の中で、次男くん自身が調べ、一つ一つ、解決していった道のり。
そこに、少しでもアドバイスできたのは、まさに経験が成せるもの。
病気になって初めて、良かったと思えた、唯一のこと。
これからもっと増えていくであろう、病気の経験値。
自分の意思とは裏腹に。
できることは、やらなければならないのは、
せめて、機会があるなら、
その経験を広く伝えていくことだと思う。
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腰痛
母の退院と同時に、今度は自分が腰痛。
きっかけは、本当にちょっとした事。
でも、考えてもみれば、きっとリフォームを続けてきた中での疲労の蓄積。
発症時が100とすれば今は75くらいの痛み。
整骨に通い続けてようやく少し楽になってきた。
なんと言っても、筋肉がない。
筋肉がないから色んな所を筋肉で支えられない。
筋肉で支えられないからありとあらゆる場所に痛みが発生する。
この繰り返し。
だからと言って腹筋の運動とか禁止されているし、できるとしたら体幹を鍛えることくらいはいいのかなぁ。
今は何とか腰ベルトを巻いて仕事はできている。
でも他のことができない。
特に、もうあと少しの吊り戸の仕上げや、やりかけの子供部屋の整理、これらが中途半端なまま。
手首の腱鞘炎や肘の痛みは、騙しだまし何とかなっても、腰はねぇ~。
な~んもできねぇ。
今週は通院の日々。
月曜日の眼科は何とかなった。
今後の北大、検査もあるし泌尿器科もある。
腰が痛いとさぁ、いろんなことが大変。
不便さには十分慣れているつもりだったけど、やっぱり、大変。
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元気です。
今、元気です。
たくさん問題は抱えているけど、元気です。
免疫抑制の怖いところの、癌にもなったけど、元気です。
終活しているけど、元気です。
通院と薬と、時々検査と、嫌になる時あるけど、元気です。
尿漏れも、腱鞘炎も、白内障からの不調、飛蚊症もあるけど、元気です。
仕事時々DIY、違う、DIY時々仕事、元気です。
なんだかんだ言って、元気です。
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難しいアレルギー
結局、薬を元に戻しただけなので、アレルギー症状は変わらない。
局所的な発疹は抑えられているものの、どこということのない全身の痒みは治まらない。
唯一の救いは、夜飲む薬で就寝中は今のところ症状が出ないこと。
今後は、さて。
アレルギー科のある内科を受診してみようか…
そうなると、移植からヘブスブリンの投与、副反応、バラクルードからのベムリディ、そしてアレルギー反応。
全部、順を追って説明しなければならなくなる。
これはこれでどうかと思うし。
H大病院にある「アレルギーセンター」、これに頼ってみるか…
原因の特定が難しいアレルギー、だまし騙しっていう対処法を増やしたくないから、
どんな形でもいいから解決したいから、
なんとか、
って悩んでいたら、最近少し尿漏れ方面が不調で。
やっぱり、骨盤底筋体操、サボっていたらそうなる。
逆に言うと、手術関係なく、尿漏れで悩んでいる人、骨盤底筋体操頑張ってみたら、
きっとかなり改善されると思う。
これは実感!
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アレルギー
一昨年の春、突然発疹が出て、きっと点滴のヘブスブリンに変わる
服用薬のベムリディに対するアレルギーかと、勝手に解釈。
近医の内科で処方してもらった「一番弱い」と言われた抗アレルギー薬で、
なんとかなっていた。
しかも、2錠/1日のところ、1錠で。
それが、3月初め、2錠でなんとか治まるようになり、
ついには、それでもギリギリ発疹が出るようになってしまった。
もうあとは薬を変えること。
内科で次に処方してもらった、「少し強い薬」
この期待の薬がダメだった。
局所的な発疹が出ない代わりに、全身の弱い痒みが出てしまって、
やはり薬の相性なんだろうか、と。
昨晩からは元の薬に戻し、明日、アレルギー検査の結果を聞きに行くので、
また相談、だ。
ステロイド剤を使えば、とりあえずは抑え込めるみたいだけど、
今の自分の状況でそれがメリットかデメリットか。
悩むところ。
原因特定できればそれが一番なんだろうけど、かなり難しいみたい。
しかも自己分析すると、ストレスか、って思える節もあるし。
また一つ厄介を増やし、これがさらにストレスに、っていう悪循環。
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流れ
最後に正義は勝つ!
じゃないけど、そもそも古川先生が辞職する理由が無かったわけで、
自分の感覚としては、ようやく元に戻ったか、と。
これで、旭川で診察を受けている患者さん、これから受ける患者さんは
とにかく安心できたんじゃないかと思う。
そう考えると、こちらH大病院でも、自分が移植を受けた当時のことを知る人はたった一人。
今、検診で立ち会う医師は、その後移植外科にやってきた人ばかり。
そこは本当に不安。
先生方には申し訳ないけど、経験値はこっちの方が有ったりするんだけど、
なんてことを考えてしまう。
そのことを痛感したのは、まさに前立腺がんが見つかった時。
そして、ヘブスブリンに副反応が出た時。
状況がいい時は特に何も問題は起こらないけれど、何か、があった時、
頼れるのは自分、って、やっぱり感じてしまう。
「流れ」って、あるんだよなぁ。
「今」だけ見られても、っていうの。
これ以上望んでも、っていう気持ちと、ちょっとそこは、っていう気持ち。
年々、診療科も増えて、自身の精神的負担もどんどん大きくなって、許容量もオーバー気味で、
アレルギー...
やっぱり、歳を取れば取るほど、大事なのは肉体的精神的健康。
と、そこが決定的に足りてない自分が言うか、って話し。
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アレルギー
今冬は仕事が忙しかった。
それはそれで良いこと、ありがたいこと。
でも、その歪みがこの時期に出てくる。
体調悪化。
運動不足かストレスか。
肩、背中の痛みからのアレルギー。
これまで服用していた抗アレルギー薬で抑えられなくなってきた。
今年は降雪も多かったしなぁ。
除雪、運動不足なのに除雪。
ストレス…
心身ともにストレス。
春…
これから改善、かなぁ。
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特定疾患医療受給者証
平成26年度の「難病の患者に対する医療等に関する法律」の施行により、
多くの疾患が特定疾患治療研究事業の対象外となった。
今もかろうじて残っているのは、
「スモン」
「難治性の肝炎のうちの劇症肝炎」
「重症急性膵炎」
の3つだけ。
指定難病に移行したものはいいし、新規に指定難病に認められた病気がたくさんあって、
それはそれで本当にいいことなんだけど、
正直、これからが心配。
劇症肝炎が指定難病から外れたのは、
基本、生きられないから、そして、奇跡的に克服した場合は治療の必要が無いから。
嘘のような理由だけど、これは厚労省の人間に直接聞いた話し。
そこに、移植、という概念がない。
だから怖い。
実際、自分のように劇症肝炎になりながら移植で助けられた人がいるにも関わらず。
そして、当然のことながら、移植後の治療が必要ない、わけがない。
決定的なものが欠落している。
次、来月31日が特定疾患更新期限。
過去に、更新にまつわるトラブルがあり、遅くても3か月前には更新手続きをするようにしている。
今回は10月18日に申請しているので、通常であれば今月末には手元に届く。
遅れると...
焦る。
なんて言ったって、指定難病移行制度のせいで特定疾患は暫定措置。
更新を怠ると新規申請ができない。指定難病でもない。
つまり、保険が効かなくなる、ということ。
申請窓口である区役所の担当も、その辺のことはわかってくれていて、気を付けてくれてはいるが、
直接の窓口の、道(北海道)の方が、意識低っ!
だから過去に揉めた。
今や命綱でもある、
特定疾患医療受給者証。
更新のたび、ドキドキヒヤヒヤ、こんな苦行、患者に必要でしょうか??
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「なんで自分ばかり」は、やっぱり禁句
なんか...だんだんわからなくなってきて。
何かというと、自分、一体今いくつの面倒を抱えているのかと。
白内障手術をしてみて、これはパッとやってパッと終わるかと思っていたら全然そうでもなく、
チカチカを別にしても、3種類の目薬を一日3回、これを数か月続ける、と言われて、自分の甘さを知った。
やっぱり、「されど白内障」だ。
こうなって、あれ、と。
いったいどうなってる、と思って、書き出してみた。
現在進行形の、自分の病態。
ある~ぅ。たくさん。
大元の肝臓だけでも、定期検診に年次検診に、毎日3回の薬の服用。
そこに、胃カメラ、大腸カメラが加わりこれまたトラブル。
さらに、前立腺。
定期検診でのPSA値のチェック 、つまりは再発有無の確認。
そして未だ完全に治っていない尿漏れ。
加えて、手術時の後遺症か、左足、腰の痛み。
これに、元からのテニスエルボと合わせて毎週の整骨院通い。
歯科は今春、どうにか治療が終わり、でも今は部分入れ歯生活。
こんな状態の時に白内障が加わった。
もっと言ってしまえば、緑内障も、ある。
本来、そっちの方が心配すべきところ。
あとは、飛蚊症は相変わらずだし、結石はいつできてもおかしくないし、
薬アレルギーだし、リウマチの数値は上がっているし、大腸ポリープ持ちだし...
移植に癌だけでお腹いっぱいなのに...
言ってて疲れるんだけど、でも、余分にもらった命だし。
修羅場を味わったおかげで、若い頃よりポジティブシンキングはできていると思う。
まあ、やっぱり、今生きていることが幸せなのかなぁ。
こんな時、一番言ってはダメなことが、
「なんで自分ばかり」
ってことなんだろうと、思う。
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