予期せぬ劇症肝炎、そして生体肝移植からの壮絶脱出劇!
がんばれ!肝臓くん。。
介護士と看護師
これって、一女性障がい者 の方のメッセージが元らしいけど、気持ちはわからないでもない。
でも、
じゃぁ、男性介護士ではなく、男性の医師だったらどうなんだろう。
例えば手術で、執刀医が男性で、ってなった時、やっぱり嫌ってなるんだろうか。
それとこれとは話しが別、とはならない。
命が絡むなら話しは別っていうなら、それこそ男性介護士差別だと思う。
かなり長い間、院内でお世話になってたけど、少なくとも自分の周りで、
男性医師は嫌、とか、女性医師だから嫌、とか、全然聞いたことがなくて、
命がけで、そんなこと言ってる場合じゃなくて、って話しになると、
それこそ、介護士の場合は...となる。
それに、これって逆もある話しで、女性介護士が男性の下の世話をしなければならないことも当然有るわけで
むしろそのパターンの方が圧倒的に多いと思う。
と、偉そうなことを言いつつ、
初めて入院して手術して、当時は(今も)圧倒的に多い女性看護師さん、
移植後はおむつの取り替えも身体の洗浄も、成すがまま、されるがまま。
それが抵抗無かったと言えば嘘になる。
やっぱり恥ずかしいし(当時はまだ若かったっていうのも有る)、多少なりとも屈辱感も、あった。
でもそこは、あくまで患者と看護師さん。
一気に、いろんなこと含めて変わったのは、前立腺がんになってから。
この時も、特に細胞診の為の検査の時はまだ、多くの看護師さんの前で、全裸で手術台に
上がるのは、さすがに抵抗あって、
でも、晴れて癌と認められ、その手術に向かう過程の中、手術後のケア、入院中、
そんな感性は嘘のようになくなった。
そもそも、看護師さんにとっては、何をするにも職業、何を見てもただの物体としか認識が無い。
そう考えたら、それまでの自身の意識過剰が逆に恥ずかしくなって、全くと言っていいほど、
何の抵抗もなくなった。
だから、と言ったら変だけど、
患者と医師、看護師、
介護士と介護される側、
単にそれだけのこと、って考えられるようになると、
「よろしくお願いしますっ!」
って、元気にお願いできるのかな、って。
色々な思いや、人それぞれなこと、立場の違いも有ると思うけど、
そんな単純な話しじゃない、もあるかもだけど、
お互い、助け助けられ、でいいんじゃないかと、そう思うのでありました。
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自分の病気の話し
コロナ前年、小学校のクラス会があり、そこで自分の病気の話しをしていると、
「またその話ししてるの?」と。
いやいや、あんたは知ってるかもしれないけど、今話してるのは今日初めて話す人だから。
なんてことはそれまでもずっと何回もあって、
だからと言って、積極的に、自分から話しているわけではなく、聞かれたから
真摯に、丁寧に話しをしているだけで、そもそも、敢えて隠すことでもなく、隠すつもりも全然なく、
事実を事実のまま、聞かれたことはきちんと話そう、と、そう思っているだけ。
病気の話って、人によっては語りたくない人の方が多いのかもしれない。
癌を隠しておきたい人が多いっていうのもよく聞く話し。
気持ちは、本当によくわかる。
移植と癌と、両方経験してみて、その話しをすること、その機会、多くなって、でも、必ずしも全て伝えられることばかりではない。
特に前立腺癌、この歳だからなんでも言えるけど、もう少し若かったら...
微妙な問題多いし。前立腺がんは。
このブログ、どのブログもそうかもしれないけど、基本匿名。
だから伝えられることが有る、ってのも本当。
(別に、自分の実体を知ってる人に見てもらっても全然かまわないんだけど。)
そもそも、ブログを始めたのは、いつも言うことだけど、情報交換と情報発信。
それがブログでなくても、例えば前立腺がんだと、PSA検査の重要性を直接伝えたのは一人二人ではない。
病気の話をするって、
別に病気自慢をするわけでなく、ただ、事実を事実として伝えるって、ただそれだけ。
PSA検査にしたって、それを聞いてどう受け取るかはその人次第。
でも、それによって一人でも早期発見に繋がったら、とは思っている。
多分、何も知らない人に、なんの脈絡もなく、「実は自分、病気でさ」
なんてことを話す人って、いないのでは。
「またその話ししてるの?」
って言われたって、こっちだって凄く考えて話してるんですけど、って。
場の空気を悪くするつもりなんてこれっぽっちもないんです、
そりゃ、明るい話題だけしゃべりたいんです、
大して聞きたくないのに、って感じ、わかるんです、
あなたの話も聞いてあげたいんです、
また病気の話し?って感じ、感じるんです、
でも、
聞いてもらって救われる気持ちがあること、
これもまた事実なんです。
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応援うちわ
知人の為に作った、東方神起コンサートツアー応援うちわ。

TBくんとオッピ、あと王冠を散りばめたうちわ台紙。


嵐のうちわ作りの時のノウハウで。


仕事が忙しい時こそ、こういうことやるの、好き。
次、応援うちわ作るとしたら誰?
松潤の大河終わって、来年辺り、嵐復活コンサートとかあったら
いいけど…
かと言って、自分が観に行くわけではないところがねぇ。
だって、作るのが楽しいから。
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to U
過去を振り返らないで、前だけをみて生きていければ...
っていうのはよく言われること。
理想的だとは思う。
でも、一度病気を患ってしまうと、しかも大きな病気で、嫌でも「その後」を
考えなければならない様な場合だと、そうも言っていられない。
薬リストは身近でとても大事なことだし、診療記録みたいなものの大切さは、
2020年の前立腺がんの時に嫌というほど味わされた。
このブログもそう、情報発信しているつもりでも、実は自己記録として使っていることが多い。
やっぱり、って言ったら変かもだけど、病室で患者の病気自慢が始まるように、
自分を、自分の病気と向き合う時を、やっぱり皆大事にしているんだと思う。
あと、少しでも「何か」を共有したい気持ち。
弱いんだよね、体調が悪くなると。
3日、仕事を始めようとPCを起動しつつラジオを入れた瞬間だった。
「さて、今朝はラジオネーム、かんぞうさんからのメールを読ませていただきます」
本当にびっくり。
何がびっくりかって、5月20日に送ったメールだったから。
しかもラジオを入れたまさにその瞬間だったから。
15年前、この番組のパーソナリティーの方の違うタイトルの番組で、リクエストをかけてもらって以来。
事後報告みたいなことと、15年前にかけてもらった曲、これを再び。
病気になって、いいことなんて1っつも無い、っていう考えの自分だけど、
だけど、なんか、少しだけ、そうでもないような、
人生が濃密になっているような、
そんなことも考えさせられた、そんな一瞬で...
to U
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リクエストプラザ「歌のある風景」
今朝の放送、リクエストプラザ内の「歌のある風景」というコーナーで
リクエストをかけてもらいました。
投稿自体は昨年5月にしたものですが、何故か今。
新年早々、とてもほっこりさせていただきました。
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時代遅れのRock’n’Roll Band

おじさん達、良かった。本当に良かった。
還暦を迎えて、60を過ぎて、頑張っている人も、新しく何かを始めようとする人もいる。
歳だから、とか、先を見据えて、って考えてばかりだと、どうしても「今」に閉塞感が出てしまう。
この先の仕事や、親のこと、自分の老後のこと、病気のこと、色々考え出すと、どうしても
行動が守りに入ってしまう、のは充分わかっているつもり。
ではあるんだけど、でも、現実はしっかり見ないとならないし。
そのさじ加減は本当に難しい。
あと何年生きられるかは誰にもわからないわけで、
寿命、いわゆる余命ではなく、単純にいつ死ぬか、がわかれば、やること、やれることが変わってくる。
目標もハッキリすると思うけど、でもでも、まだまだ要らない。その情報。
とりあえずは、明日、明日何を楽しみに生きるか。
の、前に、今日をどう生き抜くか。
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半分半分
今朝の新千歳空港は、思ったよりも混んではいなかった。

羽田へ向かう次男くんを見送り、今年は1人での年末年始。
次男くんの転勤が1月1日付けなら、法人廃業からの個人開業も
1月1日付け。
記録上は明日2022年12月31日が法人としての会社の終わり。
やることは大雑把に言えば変わらないので、だからなんだっていうのも
あるんだけど、そこはやっぱり感慨深いものはある。
いいことも悪いことも半分半分、いい時も悪い時も半分半分、
そんな30年弱だったような。
人生山あり谷ありって言うけど、結局、最後辻褄が合うようになって
いるのか、
だとすれば、もう大きな病気にはならないはずなんだけど、目下、
1番の懸案事項が健康問題。
来年、どんな苦しいことが待っているのか、
向こうからやってくるものには抗えないかもしれないけれど、
同じ分だけ、せめて自分で楽しいこと、見つけていこうと思う。
SEKAI NO OWARI おめでとう!
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知らないことには口出ししない、できないことには文句を言わない
サッカーワールドカップでの「手のひら返し」
なんであんな事になるかって考えた時、結局、文句を言ってるのは、多分ほとんどが、サッカーなんてやったことも無い人間。
と、思う。
それどころか、きっと、スポーツ自体、体育会系の経験さえ無いのではないか。
偏見、かもしれないけど。
だから好き勝手言えるのかなって。
日常の中でも、あんた私のどこを知ってるのさ、ってのが有る。
自分のこと以外でもそう。
よく知りもしないくせに、まるでその道の専門家のごとく、語る。
語る。
自戒を込めて、思う。
【 知らないことには口出ししない、できないことには文句を言わない 】
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この終活、早いのか?
今年も残すところあとわずか。
とりあえず今年は入院、手術も無く、内臓的には良い方。
DIYの影響、のはずの足腰首の痛みが全く弱まることなく、整骨に通院しなければならない状況はちょっと ...
大きなことはやっぱり、会社を解散させること。
頭に(有)が付くだけで、何ら変わりない、って言いたいところだけど、難しい問題もあり、新年はしばらく頭を悩ませそう。
60歳前後の終活、早いのか?
最近、色々な人と話すと、ちょっと早い感もしてきた。
ただ、決して後ろ向きな終活ではなく、今後を気持ちよく、思いっきり生きていく為の終活。
会社清算、個人開業の後は、いわゆる普通の人がする終活。
とっとと終わらせて、また、DIYに戻りたい。
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終わりと始まり
平成6年、まだ30代前半の頃、苦労して起業した会社。
といっても、従業員がいるわけでもなく、300万円の資本金で、しかも自宅で始めた。
あれから28年、60歳を超え、終活を始める中で、今度もほぼ独力で、法人としての会社を終わらせる時が来た。
あと一か月。
来年1月からは個人事業として始めていくことになる。
形は変われどやることは同じ。
経費の見方が少し大変になるかなっていうくらい。
こうやって一つ一つ片付けていくことは、一面ではキツいことでもある。
終活自体、やりたくないっていう人や、それ自体を否定する人もいる。
理由は人それぞれ。
自分の場合は決してネガティブなだけではなく、今思うのは、できることを
できる時に、きちんと整理して、そして後はじっくりゆっくり生きていきたいっていうことが主旨。
終わりは始まり。
身体の続く限り、っていう、一番ハードな条件の元だけど、それさえも楽しみながらやっていけたら、って
そう思う。
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