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再手術へ向かって~どうにもならないこと


↑ 押せない・・・




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<・・・一年前>

・・・2006年 8月 9日



かねてからブログに書いている「特定疾患医療受給者証」の遅れ。


くしくも再手術があるこの8月末に期限切れを迎える。

この頃に至っては、申請から発行まで時間がかかる事は充分認識していた
ので、7月の初めには申請済み。


入院も手術もある8月なので医療費は莫大になる。

その為、9日、道庁「保険福祉部保険医療局健康推進課」に電話で問い合
わせ、受給者証発行の予定を確認。



→ ・劇症肝炎と急性膵臓炎は更新時も新規扱いとなる事

  ・その為、審査に通常3ヶ月くらい要する



ある程度わかっていたとはいえ、型通りの返答が。

18日から入院すること、22日には手術を受けること、更にその後1ヶ
月以上は入院して、不在であること等々を伝えるも、


「こちらではどうすることもできません。」


いったい何の為の保険なんだか。

それでもこちらも食い下がり、「確約はできないが、8月中になんとか届
けられるようにする」との回答を得る。




甲子園では、田中マーくんを擁する駒大苫小牧高校が、夏の大会3連覇を
目指しての闘いが始まっていた。
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再手術へ向かって~当時と現在と


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<・・・一年前>

・・・2006年 8月



8月2日にこのブログを開設しているので、今このブログを書いている一
年前の闘病振り返りと、当時のリアルタイムでの日記と、ようやく並んだ
ことになる。


当時のブログを振り返ってみると、その時の心情がわかって懐かしい。

数日後に控える再手術に向かって、なんとか自分で自分を奮い立たせよう
と必死にもがいているようだ。



当時思っていたこと、そして今当時を振り返って思うこと、気持ちの持ち
方もずいぶん違うような気がする。



22日の再手術とその後のリハビリ、そんな当時のことを、現在は冷静に、
違う視点で見ていけると思う。
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再手術へ向かって~ブログ開設





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<・・・一年前>

・・・2006年 8月 2日



7月27日は泌尿器科外来の日。

若干血尿があるものの大きな結石は見当たらず、必要に応じて内視鏡検査
をすることになった。


翌28日は第一外科検診の日。

31日に放射線科とカンファレンスの上、8月18日入院、22日手術の
予定であることを告げられる。



・・・・・・

「他の人のブログにばかり投稿してないで、自分でブログ開設したらいい
んじゃない。少しは励みになるんじゃないの」

妻のこの一言がこのブログの始まりだ。


ブログではないサイトを既に3つ持っていたが、それは全て仕事に関わる
もので、自分で自分の考えなどを発信するブログには少し抵抗感があり、
それまでは友人のブログにコメントしたり、たまに妻のブログを拝借して
投稿したりするだけだった。



結局、2006年8月2日、「がんばれ!肝臓くん。。」スタート。

タイトルはこの時の自分の心境そのまま。


それまで一年間頑張ってこれたのと、これから再手術を受けなければなら
ない自分への励ましと、そして同じような病気と闘っている、たくさんの
見知らぬ人達への応援の意味を込めたもの。



そしてこれが、以後たくさんのコメントやメールを頂くなかで、自分にと
っての最大の力になりました。
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再手術へ向かって~開き直る

新しい王子の誕生でしょうか。

男子テニスのデルレービーチ国際選手権で18歳の錦織圭選手がツアー初
優勝。

日本男子のツアー優勝があの松岡修造さん以来16年ぶりというから快挙。

錦織選手は、13歳から米国ヘテニス留学していたというのも又驚き。
13歳といったら我が家の次男とほぼ同じですから、その意識レベルの高
さは凄いとしか言いようがありません。



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<・・・一年前>

・・・2006年 7月



この病気になるまで、病気らしい病気に罹った事はなかった。

入院こそ、幼少の頃と中学生の時に体験しているが、外科手術をするわけ
でもなく、どちらも一ヶ月程で退院している。

なんとなく漠然と、自分は病気とは無縁でしかも手術をするなんてあり得
ないと、勝手に思い込んでいた。


劇症肝炎と診断されても、移植の可能性を言われても、それでもなんとか
なるのでは、と思っていたのはどういう心理なのだろう。

自分だけは大丈夫、と思ってしまうのが不思議でしょうがない。



・・・・・・

お盆明けに再手術が決まって、又腹を切らなければならない、という状況
に置かれてしまうと、さすがに現実を見据える。


でもそうなってしまうと何故だか落ち着けた。


移植が終わっても改善せず、又手術をしなければならない可能性を告げら
れた時は、「そんなのあり得ない」と思ったし、「冗談じゃない」と妻と
話したりしていた。

手術を回避する為の努力なら何だってする、と考える毎日を一年間送って
きた。


だからきっと、突然、何の前触れもなく手術を告げられたならば、パニッ
クになってしまうと思う。


通常は、具合が悪くなり、病院にかかり、精密検査、結果手術の必要性が
発生し、入院、手術という一連の流れが怒涛のように押し寄せる。

普通の人(精神的に)ならばこの短い時間の中で、痛みと悲しみと、絶望
と希望と、色んな事に葛藤しながら過ごしていくんだろうな、と思う。




それでもいざ、本当の現実を突き付けられると、人間って開き直れるって
聞いた事があるが、実際、開き直れる。

特に移植からの退院後、入退院を繰り返し、激しい痛みと闘ってきて、自
分の中に現状の諦めと何かにすがろうとする思いが強まっていたから、な
お更だった。
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再手術へ向かって~自宅に戻っても

今日、現在作成中の新しいサイトとこのブログ「がんばれ!肝臓くん。。」
の二つをYahoo!のカテゴリ登録に申請してみました。

完全に”だめもと”です。

最近、GooGle検索のアルゴリズムが大幅に変わったそうで、このブロ
グへのリンク元も以前とは大きく変わっています。

その為でもあるのですが。





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<・・・一年前>

・・・2006年 7月


1ヶ月後の手術が決定し、14日、自宅療養の為一時退院。

痛みは相変わらず続いていたが、体調は思った程悪くなかった。

かといって仕事ができるわけでもなく、やる事といえばダウンしてしまって
いたPCの復活。


本体はなんとか元通りにしてしまっていたので、あとはソフトとデータの復
元で、HPからメールデータ、写真、ビデオ、音楽データ・・・、切が無い。

今でこそLANでつないでいるので、他のPCから一瞬でできてしまうが、
色んなPCからCDとFDを駆使して行う作業は、療養中のリハビリとして
良かったのかもしれない。


今はどの家庭でもパソコンが普通にあり、写真もデジカメが当たり前、就職
活動までPCが必須だったりする。

それだけにPCに頼りきってしまう事に危険も付きまとう。

特にデータの管理、大事なデータは必ずバックアップをとっておかないと
大変な事になる。
高性能大容量のHDでもポータブルの安価なものや、取り扱いが簡単で持ち
運びに便利なフラッシュ・メモリーなどがあるので、小まめなバックアップ
をしておく事をお勧めします。




療養の為に戻ったはずなのに、相変わらずPCの前に座り、不健康な事をし
ている。

それでも心理的には落ち着いていた。(と思う)

再手術が決まるまでの道のりがあまりに長過ぎた為の反動か。



思えば、発症から1年近くになろうとしていた。
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一年経って

昨年のこの日、今頃は再手術の真っ最中。


・・・
門脈と胆管の同時手術だった。
開腹前は、癒着がひどく、移植手術と同時間(18時間程度)位かかる
かもしれないと言われていたが、癒着が思ったより少なく、8時に入室、
19時30分頃には終了した。

移植手術のことは今や記憶が無く、その前後のことはまったく覚えてい
ないが、この手術は術前の体調も良く、いたって冷静だったので良く覚
えている。

歩いて手術室に向かい、自分で手術台に横たわった事、話しには聞いて
いたが、手術ベッドの幅がやたらと狭かった事、麻酔は点滴によるもの
でカウントも何も無く、あっという間に眠っていた事、手術の看護師さ
んが、「私、移植の時もMさんの担当だったんですよ」と話してくれた
事、手術室に向かう時、見知らぬ人が頑張れと手を振ってくれた事、そ
して妻と姉と父が笑顔で見送ってくれた事、まるで昨日の事のように感
じる。


発症から移植、入退院、再手術に至るまでは長かった。
もがいてももがいても、時間だけがゆっくりと過ぎるだけだった。

でも再手術からの一年はあっという間だった。



当初はシャントを調整する為の調整管みたいな物を体外に出す予定だっ
た。
胆管を接合する部分が簡単に見つけられないかもしれないとも言われて
いた。
そんなわけで、術後はもし何も問題がなければ病棟へ、なにかあれば
ICUへ、と言われていた。

これって成功しなかった場合はICUへ入るってこと?


そして翌朝(夜中だと思う)目覚めたのはICU。
人工呼吸器が苦しく、しかも呼吸をさぼるとブザーが鳴るもんで、看護
師さんに何度も注意されながら、思うのは「やっぱり駄目か」

でも不思議と落胆の気持ちは無かった。
手術が終わったことの喜びの方が意味もなくうれしかった。


一年も入退院を繰り返していると手術の成否よりも、何かしらの変化を
求めるようになる。


そんな気持ちを察してか、頑張ったご褒美か、発病以来の最高の喜びが
待っていた。

ICUに居る事で心配しているだろうと、朝一番で妻が来てくれた。

「手術は全部成功だったって。癒着も軽くて、シャントも全部上手くい
って、胆管も1cm位探したら直ぐ見つかったって」

そう言われて初めて、あるべき場所から体外に管らしき物が出ていない
ことに気づいた。


なぜICUだったか、病棟の人手が足りなかったみたい・・・。


前夜の手術後、家族に手術の説明をし終えたF先生、NSの椅子に嬉し
そうに座っていたそう。
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再手術と再試合

昨年の今頃は、来たるべき再手術を前に、なんとも言えない気持ちで・・・

いるかと思ったら、かな~り開き直っていた。


最初の退院の後、半年間、「最後は再手術しかないかもしれない」と
脅され(言われ)続け、嫌で嫌でしょうがなかったのに、いざ直前になって
みると、思ったより平気だった。

むしろ、どうなるかわからない(手術をしないで済むかもしれない)状態の
時の方が精神的にははるかに辛かった。

人間、開き直れるものですね。


かなりハッキリとしない(うまくいかない可能性が高い)手術だったのに。

たぶん、一年間に及ぶ入退院生活で仕事もできず、思うように体も動かず、
そんな状況にホトホト嫌気が差していたんだと思う。

失敗しても何かが変わればそれでいいやと考えるようになっていた。


毎年、この時期になると、きっと想い出すんだろうな、と思う。




手術前日、検査で忙しい中、TVに夢中になっていた。

そこではマーくんハンカチ王子が、延長再試合の決勝戦を投げ合っていた。
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驚異的回復

術後一週間も経たないうちに、医師達から゛退院゛という言葉をかけられるようになった。元々順調にいって1ヶ月の入院ということだったので、まったくピンとこない。ちょっと早過ぎでは。 ここまでの一年間、本当に長かった。息子二人や妻の誕生日を一緒に祝ってあげることもできなかった。クリスマスも病院で迎えた。運動会さえ行ってあげられなかった。 それがここにきて、すごく回復してきている、いつ退院しても大丈夫、と言われても、不安や心配が付きまとうのだ。 でもね、この勢いに乗りたい。背中を押してくれる何かを感じるから。
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一週間

術後今日で一週間。ICUで目覚め、今朝は個室で朝を迎えた。呼吸も歩行も頑張って大分戻ってきた。食事も点滴から今晩は全粥だ。でもこれからはより慎重に過ごしていきたいと思っている。
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今年の24時間テレビのテーマは゛絆゛。私達病を患う者にとって、医師-看護士-患者-家族、親類-友人、知人、これら全てが繋がって始めて一つの絆!この一年間、自分自身、本当に全てに恵まれていたかを思い、心より感謝!
どれひとつ欠けても、ここまで来れなかったかな。

今晩から食事が始まった。といってももちろん普通食ではなく、まずは3分粥。
それでも、いつも絶食の後の食事は楽しみで、何より少し元気になった気がする。
痛みとの闘いはまだまだ続くだろうが、たくさん食べて、一日でも早く退院したいもんだね。
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術後四日目

日に日に良くなっていく自分を感じる。今日は自力歩行がかなりできた。洗髪もした。夜、担当医師のF医師が様子をみにきてくれた。゛良く頑張った゛と言って握手を求められので゛本当にありがとうございます゛と言って強く握り返した。F医師が去った後、ホッとして思わず泣いてしまった。でもこれで安心していられない。もう一人頑張りして、良い状態に身体を持っていって退院の日を迎えられる様に、明日からも頑張るぞ~!
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術後三日目朝

ひたすら痛みとのたたかい!
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明日、手術です。

いよいよ明日手術です。一年前の移植手術よりはましとはいえ、結構厳しい手術になるようです。一年前は、ほとんど意識の無い中で行われましたが、今回は体調も良く、意識もはっきりしているので、痛みの感じ方が強いように思います。そう考えると辛いので、手術室やICUの観察でもしてこようかなと思ってます。じゃあ行ってきます。
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三度目の決勝戦

今日の決勝、なんと再試合になってしまった。それにしても高校球児達のあのエネルギー、どこから出るのだろう。きっと皆、毎日凄い練習をしてきたのだろう。病室の誰もが言う。コイツら本当に凄いよねって!みんなきっと頑張ってきた自分に重ね合わせているんだろう。駒大苫小牧の試合、V1の時は家で興奮しながら見ていた。V2の昨年、入院したばかりで見る余裕がなかった。そしてそれから一年、まさかまた病院に居ることなど想像もつかなかった。さあ、明日は決勝再試合。どんな勇気を与えてくれるのだろう。
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ここにしか咲かない花

入院2日目。 今日も明日も週末なので検査も何もないはず。 ということで、携帯telに音楽をおとしてきたのでゆっくり聴いていた。改めて聴いてみて、やっぱり゛ここにしか咲かない花゛、いい唄だなと。早く、ぬかるむ道を踏みしめて歩きたいなと思う。長い間頑張ってきて、いろんな人に迷惑を掛けたこと、それを返せるのは、早く、元気になった姿を見せること位しか自分には出来ないかな。
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