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その年を表す漢字一文字が、今年は"命"に決まった。

新しい命が生まれ、そして貴重な若い命が奪われたことが影響しているという。

自分にとっての漢字一文字もまさしく"命"。
今まで、深く考えもせず、勢いのまま生きてきた自分にとって、今年は"命"という
ものを強く強く感じさせられた。

何もないまま過ぎ去っていく命。
生きたくて生きたくて、それでもかなわぬ命。
自ら絶ってしまう命。
他の人に与える命。
他の人から奪われる命。

"命"にもいろいろある。


これまで普通に生きてきたのに、歳をとって死んでいくのが当たり前と思って
生きてきたのに、突然突きつけられた現実。

しかも自分だけの力では何の解決もできない、無力を知らされた状況。

似たような境遇の人はたくさんいるのに、「自分だけが」、「何で!」という思い
から未だに抜け出せないでいる。

体は少しずつ良くなっていっても、心がなかなか追いついていけない。
家庭で普通に生活しても、仕事に追われても、とにかく何かが引っ掛かる。

「大分、体調良さそうだね。」と言われても、心のどこかで「本当にそうか?」と
考えている自分がいる。

今まで他人の生き死にを耳にしても、所詮他人事、としか考えてこなかった
のに、自分がその立場になって初めて"命"を意識するなんて、何とも身勝手な
ことだと思う。

だけど、どんな時でも、色々な思いが渦巻いても、

それらを全て含めて、自分の中に吸収して、せっかく与えられた命なのだから、
精一杯生きていこう、と思う。


この一年間、もっともっと長く生きたいのに、生きられない人をたくさん見てき
て、自分と比べて・・・、複雑な思いのかんぞうくんでした。
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遊び心

          ↑こんなんではありません。byおやじ


仕事が忙しく、久しぶりの投稿になってしまった。
久しぶりって、日記なんだから毎日書け、って自分を責めつつ、何か
面白い画像を載せなくては、と余計な考えをめぐらせているうちに・・・


やっと仕事ができるようになって、無理をしないよに気を付けつつ、それでも
締め切りに追われるなかで、ふっと、病気になる前と違うな、と気づいた。
結構シビアな仕事で、100%で当たり前、少しのミスも許されないので、
どうしても終了までは神経質になる。心の余裕がまったく無くなる。

でも今は、余裕とまではいかないが、何か違う。
仕事をしていること自体が、ちょっと前までは考えられなかったので、忙しさ
さえも楽しいのだ。
それに体調一番なので、仕事に対する余裕も逆に生まれる。

体に妥協しないが、仕事には平気で妥協してしまう。
こんなことは今まで絶対に無かったのに。
本当は良くないことだけど、それが良い結果につながることもある。
厳しい局面でも「まっ、いいか」と思えるようになった。




最近はどこのお父さんもお母さんも良く遊ぶ。皆、たくさん仕事して、たくさん遊んで
充実しているように見える。笑顔がいっぱいだ。

若い頃はいろんなことをしたな~と思う。
喧嘩もしたし、酒だって浴びるように飲んでいた。
結婚し子どもが産まれ、20代で転職、独立し、仕事に追われているうちに
遊び心を無くしてしまっていた。

今は家族のいる生活が最高、最大に楽しいけれど、頭の片隅にでも遊び心を
意識していけたら、これからの人生、もっと充実したものになると思う。
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幸せのランプ

30万人に一人の難病。
従妹のNちゃんは左目眼底部の腫瘍という難病と闘ってきました。

今日、STVラジオの「リクエストプラザ」という番組で、Nちゃんのお便り
が紹介されました。

自分で目の異変に気付き、札幌の病院では眼球摘出しかない、と言われ、それでも
納得できず、自分で前向きにそして良い医師にめぐり合い、千葉の病院を見付け、
摘出せずに治療し見事に克服し、3年間の闘病生活を送ってきました。

それでも自分の置かれた境遇を考え、結婚の夢を捨て両親と共に暮らしていこう、
と思っていました。

しかし今年、ある男性と知り合い、お付き合いしながらも自分の病気のこと、
告げられぬまま、それでも勇気を振り絞って告白。
彼の暖かい言葉、「全て含めて・・・僕が左目の変わりになるから」

病気がわかった時でも涙を見せなかったお母さんが、彼の言葉を電話で伝えた時、
初めて泣いたそうです。

いくつになっても母親の子どもに対する愛情は深くて重い。

そして今月12月、婚姻届けを提出するそうです。


Nちゃんは、私の闘病中も手紙や言葉で励ましてくれました。
たくさんの勇気をもらいました。

今度はNちゃんが幸せになる番です。

3年間頑張ってきたのだから・・・苦しくて辛い思いをしてきたのだから。



番組の最後にかかったリクエスト曲、玉置浩二の「幸せのランプ」・・・

そのフレーズ
「人は幸せになるために生まれてきたんだから 好きな人と一緒にいなさい。」

Nちゃん、そしてお二人、ず~~っと一緒に、永遠にお幸せに。
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ありがとう!北海道日本ハムファイターズ!!

北海道日本ハムファイターズ 日本選手権シリーズ優勝、やりました!


11連勝以来、特に夏の終わりからの凄まじい勢い、感動しました。


再手術前の一番苦しい時期、術後のリハビリ期間、精神的、肉体的に
大変な時、大きな勇気をもらいました。


スポーツで感動する事、スポーツだから感動する事、負けて泣き、勝って
笑い、無機質な今の世の中だからこそ、その力は偉大だと感じました。


ありがとう!北海道日本ハムファイターズ!!



”クール”も
いいけど、やっぱりスポーツは”熱血” だ!だ!だ!




 ところで明日は検診日。
今日の検査の結果が分かる。
楽しみのような、不安なような、中途半端なこの気持ちが晴れ晴れすることを
期待している、んだけど。
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夢と希望

今日10月4日は、1歳の誕生日です。(某CMのようですが)

昨年の今日、生体肝移植により新しい命(肝臓)を幸運にも得るこ
とができ、今こうして生きています。

長い長い、でもあっという間の一年間でした。

まったく突然の発病。考えもしなかったB型肝炎ウイルスの保菌者
であるという宣告。
劇症肝炎を発し、透析治療、生体肝移植、その後の拒絶反応との
闘い、何度も薬の変更、結石による激痛、6回の入退院、そして再
手術。
自分のふがいなさ、妻を始め家族への負担、先行きの無い不安、
なんといっても二人の息子に与えてしまった大きすぎる影響、今振
り返ってみても悲しくなるばかりです。
恥ずかしながら、病室で、ベッドで何度泣いたか分かりません。


それだけに、こうやって一年目を迎えられたことが夢のようで、も
う二度とこのような体験はしたくない、ずっと健康でいたい、家族
みんなで暮らしたい、こう願う気持ちは益々強く・・・


苦しい時、辛い時、そばには常に妻がいてくれました。
自分自身の苦しみを必死で胸にしまって、いつも力付けてくれまし
た。
再手術の後、ICUで目覚めた時、病室に戻ると思っていたので、
手術は失敗だったのかと思っていた。
「ICUにいるから心配してるかと思って。手術は大成功だよ。
やるべきことは全部できたって!」
朝早く、面会時間が始まると同時に、枕元に妻の声、最高にうれし
い瞬間だった。

父は雨、雪や吹雪の日も決して近くはない距離を、毎日見にきてく
れました。居るだけで大きな存在、自分には無理だなぁ。

姉は仕事帰り、妻と交代で、何もできない自分の為に、通ってくれ
ました。やっぱり姉も、この一年明るい顔しか見たことがない。
自分の前では皆、明るく強く振舞ってくれました。

子供達、学校帰り、真っ暗で寒い家に帰らせてごめんね。
遊びにも行けなかった。大好きなスキーも、サッカーも、勉強も見
てあげられなかった。本当に良く我慢したと思う。

ドナーになってくれた姉、ついに今まで、辛い表情や苦しい顔を見
せなかった。痛くないはずがない、体調だって悪かったろう。
二人の娘だってどんなに心配したことか。
手術後の姉、娘に「泣くんだったら来るなって言ったでしょう!」
二人の姉は強かった。そして強烈に優しかった。

妻の実家からは、遠いところ、義父母、義姉が何度もお見舞いに来
てくれました。義父と義姉は自らの病気と闘いながら。
それなのに義父、義姉の入院・手術の時、妻を実家に帰らせてあげ
ることさえできなかった。
義母は周りに3人も病人を抱え、大変だったろう。

たくさんの友人からの励まし、過ぎる位の勇気をもらいました。
自分の知らないところで、どれくらいの協力を受けたことか。
辛い時の人の優しさは、何十倍にも感じることを知りました。

ここまで支えてくれた医師、看護師、休日の当番病院にかかったこ
とから始まった闘病生活。その病院がS病院でなかったら。
4ヶ所の病院の1つでも欠けていたら。
一人の医師、看護師が欠けていたら。F医師に出会わなかったら。

ほんの少しのタイミングとほんの小さな奇跡で、絶望の中から希望
を得ることができました。

私にも夢や希望はあります。
この先、その夢や希望が叶えられるのか。きっと難しいと思います。
でも、あきらめない力だけは、この一年で学んだので、目標に向か
って一日一日、あせらずゆっくりと過ごしていけたら、いつかは・・・


人間って、けっして一人では生きていけない!!
だから図々しくも、言っちゃいます。
みんな!これからもよろしくお願いしまっす!!!


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丁度一年

 8月17日、昨年の今日は最初の病院に入院した日。
あれから今日で丁度一年経つ。
最初の病院から2度の転院をし、今H大病院にお世話にな
っているわけだが、色々なことがあったなあ。

又明日入院なので、これからももう少し色々なことを体験
していくんだろうけど。

 苦しい体験はもういらない、痛い思いももう充分だ、そし
て家族に悲しい思いだけはもうさせたくない、とすごく感
じながらも、この頃、もっともっと大変な目に遭っている
人の存在を知るにつけ、もっと頑張らなければと思う。


少しつ"つでも、皆にお世話になったもの、返していかなけ
れば!!












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