予期せぬ劇症肝炎、そして生体肝移植からの壮絶脱出劇!
がんばれ!肝臓くん。。
生体肝移植手術に向かって。
今日は秋晴れ。天気がいいと心も落ち着く。
余裕があるから、去年の今頃は、なんてことを考えてしまう。
最悪だった頃と比べても仕方ないのだが、今の状態につくずく幸せを
感じつつ、不安感を押し殺しながらの毎日です。
ここ数日、体内から出ているドレン(チューブ)の出入り口が痛い。
3本のうち2本はクランプで止められ機能していないのだが、1本は
毎日450~500mL位の胆汁を排出している。
順調にいけば、今月末には抜けるそうなので、それまでの我慢かな。
----------------------------------
<・・・一年前>
・・・2005.9月20日
K病院での一ヶ月間は、驚きで始まり、希望と絶望、そしてあきらめ
で終わった。
何とか移植手術を回避しようと、絶食に耐えながら、検査に継ぐ検査、
24時間の点滴、透析、血漿板交換、血液検査の結果に一喜一憂し、
期待を持ち、そして落胆。
まさに医師と看護師さん、透析の技術者の方、もちろん家族、みんな
で闘った一ヶ月だった。
でも、悪いなりに維持はしつつも、やはり回復するまでには至らなか
った。
O医師、A医師、最大限の努力をして下さり、H大病院のF医師共々
本当に真剣に対処して下さった。
9月中旬、最終的に3医師の判断により、これが限界とされ、移植手
術への準備に向かう。
2人の姉が適合検査を受けてくれていて、次姉がドナーとして適合し
ている、ということは聞かされていた。
初めて生体肝移植について説明を受けた頃は、「健康な体に傷を付け
るなんて」とか「何でそうまでして」とか、移植というものに強い
抵抗感があって、否定ばかりしていたが、この頃になると、体力の衰
えに気力の衰えが加わって、移植というものを考える余裕すら無くし
ていた。
なすがままだった。
生体肝移植手術をすれば助かるのか、助からないのか、ドナーとなる
姉は大丈夫なのか、見守る家族の気持ちは・・・
こんな大事なこと、この時にしか考えられないこと、情けないことに
自分の中にそれらを受けいれるものが、もう残っていなかった。
9月20日、大きな不安を抱えたままK病院からH大病院に転院する。
余裕があるから、去年の今頃は、なんてことを考えてしまう。
最悪だった頃と比べても仕方ないのだが、今の状態につくずく幸せを
感じつつ、不安感を押し殺しながらの毎日です。
ここ数日、体内から出ているドレン(チューブ)の出入り口が痛い。
3本のうち2本はクランプで止められ機能していないのだが、1本は
毎日450~500mL位の胆汁を排出している。
順調にいけば、今月末には抜けるそうなので、それまでの我慢かな。
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<・・・一年前>
・・・2005.9月20日
K病院での一ヶ月間は、驚きで始まり、希望と絶望、そしてあきらめ
で終わった。
何とか移植手術を回避しようと、絶食に耐えながら、検査に継ぐ検査、
24時間の点滴、透析、血漿板交換、血液検査の結果に一喜一憂し、
期待を持ち、そして落胆。
まさに医師と看護師さん、透析の技術者の方、もちろん家族、みんな
で闘った一ヶ月だった。
でも、悪いなりに維持はしつつも、やはり回復するまでには至らなか
った。
O医師、A医師、最大限の努力をして下さり、H大病院のF医師共々
本当に真剣に対処して下さった。
9月中旬、最終的に3医師の判断により、これが限界とされ、移植手
術への準備に向かう。
2人の姉が適合検査を受けてくれていて、次姉がドナーとして適合し
ている、ということは聞かされていた。
初めて生体肝移植について説明を受けた頃は、「健康な体に傷を付け
るなんて」とか「何でそうまでして」とか、移植というものに強い
抵抗感があって、否定ばかりしていたが、この頃になると、体力の衰
えに気力の衰えが加わって、移植というものを考える余裕すら無くし
ていた。
なすがままだった。
生体肝移植手術をすれば助かるのか、助からないのか、ドナーとなる
姉は大丈夫なのか、見守る家族の気持ちは・・・
こんな大事なこと、この時にしか考えられないこと、情けないことに
自分の中にそれらを受けいれるものが、もう残っていなかった。
9月20日、大きな不安を抱えたままK病院からH大病院に転院する。
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