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修羅場

これまでの人生最大の修羅場といえば、初めて肝臓移植の説明を受けた、

あの時、あの場所。


どこに誰がいて、誰がどんな話しをしたか、今でも鮮明に蘇る。



大変だったのは、移植手術の時もそうだし、ICUでの恐怖の数日もそう。

再手術も、それに至る経緯も本当に大変だった。

前立腺がんが確定するまでの数か月も辛い日々だったし、61年を振り返ると

大変なことが本当に多い。

そうなんだけど、やはり「あの日」。


生体肝移植しか助かる見込みが無くなる可能性、それは、自分以外の健康な家族の腹にメスが入るという事実、

その選択肢を与えられ、いずれ選択せねばならない日が来るとわかったあの日。



人生の決断という意味では、最大の決断でもあった。

実際には決断する余裕も、自意識も欠落していたんだけど...




ここ数年、夢と希望と、あらゆる決断と、置かれた環境と、これもまた数々の修羅場を潜り抜けてきた次男くん。

今また、人生を大きく左右する大決断の時。



DISH// - 沈丁花 [Official Video]


この歌の歌詞のように、

「選んだ道より選んだ勇気じゃない?!」

って言ってあげたい。


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コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
Unknown (なな)
2023-02-26 16:12:00
私も移植の話を聞いたときは頭が???でした。
そういう選択肢はまったく考えてませんでしたから、、。。
はじめて聞いたときには、もうドナーが誰でとか決まってました。誰が最適か検査済みでした。妹が最適ということでした。
妹の旦那の「お兄さん、絶対うまくいきますよ。やりましょう。」という言葉は今でも
覚えています。
ほんとうにいいのか、何日か悩みましたが、お願いすることにしました。
妹の旦那の知り合いで移植が成功してるとのことでした。
「体質がふたりは似てるからOKですよ」ともいってくれました。
術後つらい時期もずっと励ましてくれました。
わたしの子供たちも小さかったので、みんなが交代で病院に来てくれました。
感謝しかありません。
文字通り「過酷な医療」の移植を乗り越えられたのもみんなのおかげです。
もう20年以上も前のことですが、当時のことは鮮明に覚えています。
みんなには長生きしてほしいです。
 
 
 
Unknown (かんぞう)
2023-02-27 22:52:46
ななさん、こんばんは。

ななさんの場合は最適者まで決まっていたんですね。
その時もそうですし、ずっと言われているのが、ドナーとしては兄弟姉妹が最も適合すると。
わたしも姉がドナーで、術後の感じでもそれが本当に良かったと思っています。

大きさの関係でシャントを設けなければならず、結果、再手術となってしまいましたが、長い目で見ると姉がドナーになってくれたことは幸運でした。

それにしても、生体移植、本当に過酷ですよね。
手術、術後も大変ですが、家族、親類を巻き込んで数年間、今思うと二度とできないな、と。

ななさんもわたしも、多くの人に支えられて、そういう意味では幸せなことなんでしょうね。
大変ですけどね。

今一番やらなきゃならないことは、今を一生懸命生きることだと、そう思っています。
 
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