青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

叶えた夢 ~クリス・エバートとの1ゲーム

2020-12-26 | 素晴らしかった興行・イベント

夢は叶えるもの・・・僕はそう考えています。皆さんは「夢はみるもの」だと考えていませんか?

僕はこれまでに、いろんなことに興味を持って生きて来ました。いろんなことを学び経験し、いろんな人に会って来ました。ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、エリック・クラプトン、アーノルド・パーマー、ジャック・ニクラウス、クリント・イーストウッド・・・みんな僕が会って、話を聞いた人たちです。

僕に運がいいと言ってくれる人は親切です。大抵の人はホラ吹きと言います(笑)でも、証人もいますし、真実ですので仕方がありません。僕は単に運に恵まれていたのではなく、僕の方から彼らに会いに行ったということ。会いたいという夢を自分からつかみに行ったということだけは言っておきたい。

そして、夢を叶えるということは、誰にでもできるということを知って頂きたいのです。

クリス・エバート・・・アイス・ドールと呼ばれ、70年代から80年代に女子テニス界のトップに君臨した選手です。全仏オープン女子シングルス7勝の大会最多優勝記録保持者であり、4大大会女子シングルス通算18勝は、ライバルのマルチナ・ナブラチロワと並ぶ女子歴代4位タイ記録。ツアー・シングルス通算勝利数「154勝」の歴代2位記録も保持しています。

僕が大学生の頃、テニスがとても流行していました。コートは予約して数か月待ちというのは当たり前。安いコートなら半年前からの予約が必要でした。今、公営のテニスコートの前を通った時、そこに誰もいないのを見ると不思議な感じがします。錦織選手があれだけの活躍をしている、少し前には伊達選手が、松岡選手は違った意味で(笑)現在も有名。なのに、テニスブームではない。

僕の友人には、今も時々テニスで汗をかいているのが何人もいますが、若い人にテニスをする人は少ないようです。そもそも僕がよく行ったテニス用具の専門店で、今も残っているお店はありませんし、大きなお店・・・頭に浮かんで来ません。大阪・梅田の盛況を誇った阪急イングスはいつの間にか閉店していました。

僕も友人たちに誘われ、テニスを楽しんだ1人でした。やるなら上手くなりたい。せめて平均レベルのプレーヤーになりたいと思った僕は、テニスが抜群に上手い恩師に教えを乞いに行ったものです。僕は実は運動神経はあまり良くありません。本当です。凄くできるスポーツと、全くできないスポーツのどちらかになるのです。

恩師は大学時代にテニス部で活躍、社会人になってもプレーを続けていましたので、「テニスをしたいので教えて下さい」と僕が訪ねた時は驚いた様子でした。大きなカゴに入ったボールの山をひたすらサーブし、打っては集めて1人で何時間もコートで過ごしました。ボレーの練習では、至近距離から強打されるのが怖かった。夏の暑い日に、朝から夕方まで練習をしたものです。それでも上手くならなかったのですが、友人と楽しむ程度にはなりました。上手くなるためにはプロのプレーを見る。4大トーナメントは男女共に観ました。マッケンローとコナーズの試合に、夜中遅くまで手に汗を握ったことも覚えています。

その時の僕のアイドルがクリス・エバートでした。

僕が大学生の時、「東レ・パン・パシフィック・テニス」に合わせて、大阪で4大プレーヤー夢の対決(正式名称は忘れました)が行われました。出場選手はクリス・エバート、マルチナ・ナブラチロワ、ハナ・マンドリコワ、マニュエラ・マレーバの4選手。実力もあるけれど、集客のために、いわゆる美人プロを集めた訳です。余談ですが、ハナ・マンドリコワは美人な上にアンダースコートを身に付けないので、何かとお騒がせでした。(笑)この企画を知ってぜひエバートを真近で見たいと思い、新聞社に問い合わせをするなどして、選手のスケジュールを調べてみました。

そこで分かったのは、彼女たちは空路大阪に入るということ。となれば、僕の家からすぐに行くことができる、大阪国際空港に行けば必ず会えるということです。(関空など無かった時代)更に調べて行くと情報が入りました。空港に着いた後、大会前の調整のために空港近くにある「ナックル・スポーツ・センター」に来るというものです。スイミングプールや屋内テニスコートを持った、当時はまだ少ないスポーツ施設でした。

運がいいことに僕の友人が、ここのフロントでアルバイトをしていた為に、この情報を得たのですが、その友人のおかげで僕は、この時の選手たちの練習を見に行くことができたのです。公開練習というものではなく、プライベートな練習という位置付けだったようです。開始時間も予定より30分以上遅れたことを覚えています。僕が見たのは、エバートとナブラチロワの練習でした。身体が温まった後、2人でストロークを応酬し、軽く身体を馴らすという雰囲気の練習でしたが、サーブもストロークも強烈で、ボールを打つ音がアマチュアとは全く違いました。このテニスコートで普段テニスを教えている男性コーチがナブラチロワに1ゲームを挑んだものの、全てリターンエースで、ラケットを1度も振ることもなくラブゲームで破れました。

僕はエバート目当てでそこに行っていましたから、とにかく彼女にサインを貰いたかった。私のようにどこからか集まっていたファンの中には、英語を話せる人が全くいなかったのが、私にとっては幸運でした。みんな「サイン!サイン!」と言うだけなのですが、私は「オートグラフ」と声を掛けたのです。それにエバートが反応してくれたのです。

日本に慣れた外国人には、「サイン」や「signature」と言っても通じますが、英語でいわゆる私たちが欲しがる「サイン」のことは、「autograph」と言います。ですから、サインをもらいたい時に競争相手がいる場合は、「autograph」という単語を使いましょう。運が良ければ、あなたの方を向いてくれます!

英語が出来ることより、イザと言う時に物怖じしない度胸。それも外国人とのコミュニケーションには不可欠です。サインをもらって調子に乗った僕は、駄目で元々と、「僕と試合をして下さい。プロの凄さを体感したいんです」と訴えました。すると何とエバートが、「いいわよ」と、僕の申し出を受けてくれたのです。

サーブ権をくれたので、2本のサーブを思い切り打ちこみましたが、1本目は逆サイドへのリターン。1歩も動けず!ベースラインを左右に動くということが出来ないくらい早く返ってくるのです。2本目は僕の足元へのリターン。あっという間にボールは僕のそばを抜けて後方へ・・・。これではいいようにあしらわれるだけなので、エバートにサーブを打ってもらうことにしました。1本目。速い!振りに行っては振り遅れるだけだと分かり、最後のサーブをラケットを引いた姿勢で待ち受け、思い切り打ち返しました。

今と違ってデカラケも無かった時代の、小さな面の木製ラケットの時代です。強烈な重いボールは、僕のラケットを弾き飛ばしたハズだったのですが、僕の握力が当時80あったことが幸いして、ボールは完全に死んでいたものの、ポトリとエバートのコートに返ったのです。「Oh!」という、エバートの何とも言えない表情が忘れられません。

その後のサーブは、見事に空振りしてしまいましたが、笑顔のエバートと握手。そして驚いたことに、「私から1ポイント取ったからプレゼントよ」と、その時彼女が使っていたウイルソンの「W」の模様がガットに浮かんだラケットを私にくれたのです!

エバートは、テレビで見るより遥かに綺麗で笑顔は素敵な女性でしたが、全身は筋肉のかたまりと言ってもいいと思います。あの身体には驚きました。それまで日本の男子プロ選手も間近で見たことがありましたが、女性とはいえ、世界のトップはこんなにも違うの?という身体に驚いたのを覚えています。

クリス・エバート選手に会う、彼女とゲームをするという夢を、僕は大学生の時に叶えました。キーワードは、文字通り「autograph」というたった1つの単語でした。