青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

あり得ない!五輪選手に物申す!

2021-07-27 | 今を考える

五輪日本代表選手というのは、単なる1アスリートではなく、国を代表しています。当たり前のことですが、その自覚が本人にあるのかどうか・・。

卓球・五輪初の金メダル・・快挙達成おめでとう・・ですが、僕は勝った水谷選手の言葉に白けました。「本当に中国という国に、本当にオリンピック、世界卓球で負けてきて、この東京オリンピックでいままでのすべてのリベンジができたんじゃないかと思います。」

リベンジとは、(自分のことだけ考えていて)「やられた当人がやりかえす」という意味です。更に言えば「ある人が傷つけられたり不当に扱われたことへの仕返しで、そうされた当人が自分自身の手で、相手を傷つけたり危害をあたえること」・・つまり復讐です。

卓球の強い中国に対し「ついに一矢報いた」というように、もっと謙虚な言葉を使うべきで、1回勝っただけで、全てのリベンジが出来たとは、一体どういう考え方なのか。32歳のプロ選手にしては、情けない発言です。日本中が注目するアスリートだからこそ、発言には気をつけるべきで、マスコミも勝ったことを祝福するだけではなく、注意すべき所はするべき。中国にとって卓球は国技。逆の立場で「日本にリベンジできた」と外国選手が言えば、我々日本人はどういう印象をその選手に持つでしょう。

いろいろなことがあった水泳の瀬戸。卓球とは違い、予選落ちという無残な結果が続いています。その瀬戸の発言にはネットでは「インタビューにも謙虚さや感謝が感じられず、思い上がっている」と手厳しい意見が並ぶ。瀬戸の不倫騒動はもう終わったこと。騒動の時に散々叩いて、彼も収入が減ったりそれなりの報いを受けたのだから、今は応援してあげないと。

勝った選手には何を言っても称賛し、期待を裏切った選手は徹底的に叩く。そういう日本人のメンタル面も社会全体で直して行く必要がある。結果はその選手個人の、これからの将来を変える。でも、僕ら見ている側の一般人は、彼らのメダルへの「過程」に影響を受ける

最後に優勝が期待された、大坂なおみの3回戦ストレート負け。案の定と言うか・・試合直後は大会で義務付けられている取材エリア、ミックスゾーンを通過せず会場外へ。一切の取材に応じなかったことから日本協会関係者が「戻します」と説明するなど、現場は混乱。その後、20分経過してから会場に戻ると取材陣の質問を1問だけ受けた。「残念だったか」という質問に日本語で「はい」と答え、「大会に出場したメリットはあった。プレーして良かった」と、涙ながらにうなずいた。代理人は負けてもインタビュー受けるとは思っていなかったと見え透いたコメント・・。負けた時にどれだけ注目を集めるかが分からなかったのなら、紛れもない馬鹿です。

プロである彼女がプロの大会で、自分の意見を通す行動を取るのは勝手だが、最終聖火ランナーまで務めた日本代表という立場は、本人が分からないなら周囲が分からせるべき。そういうことも含めて聖火ランナーを依頼し、逆に本人も引き受けるべき。それが出来ない人間に大役を任せたなら、任せた側にも責任を取ってもらいたい。

聖火ランナーは別として、負けた時こそ真価を問われるスポーツ、いや人間として、敗戦で注目を集めるのが分かっていながら義務を無視した行動を取っては、これまで彼女のして来た問題提起は単なる「自分勝手」「自分の都合」としか思えない。ルールを守れないのは、スポーツに関係なく、社会性の欠如です。

多様性とかジェンダー差別など、言葉1つで散々いろいろな人を切り捨ててきた五輪なのに、選手に対しては甘過ぎる。子供たちに対して最も影響力を持つ人たちには、「崇高な理想」の前に「当たり前の常識」を持ってもらいたいものです。

アスリートも日本代表という立場であれこれ言われるのが嫌なら、全ての費用を自己負担で大会に出場すべき。税金を使う以上、1個人の発言・行動では済まされません。

日本国民の多くの反対を押し切って開催された東京五輪。「スポーツの力」よりも、「アスリートのわがまま」「アスリートの常識の欠如」を見ることの方が多いような気がします。スポーツの力よりも、「スポーツマンは世間知らず」、「脳みそまで筋肉」と言われた数年前の状況に戻らないように、大会関係者にはもっと厳しい対処を求めたい。マスクを着用していない選手・関係者もかなりのものです・・・。


自動車運転免許

2021-07-27 | 昭和・思い出は色褪せない

僕の友人たちの多くは、今も自動車を運転するのが好きだ。僕の親父は84歳で運転を引退しましたけれど、素晴らしい運転キャリアを持っている。かつては車を販売していた僕は、今は車は横に(後部座席に)乗せてもらうのが1番だと考えています。(笑)でも、このセリフを最初に口にしたのは、親友のIだった。



僕らが免許を取ろうとした80年代。飛び込みで免許をモノにした親友Iのような強豪もいるけれど、ほとんどの人が教習所通いをしました。教習所全盛時代で、儲かって仕方が無いから乱暴な教習員も多かった。質の悪い教習員は確かに大勢いて、やくざのような言動・行動を取る。そんな教習員に立ち向かった強者もいた。「口ごたえするならハンコをやらんぞ」と言われ、「ハンコを押さなかったらどうなっても知らんぞ」と脅し返し、教習が始まる前にハンコをまず押させたのは友人W。(笑)



運転席のヘッドレストを取り外している指導員もいました。生徒の頭を「はたく」為です。「おい、そこ右!」(パチン)という風に、後頭部をはたくのです。「俺が横におらんと運転できんくせに、出来るなら好きな所行ってみろ」と言ったので、教習コースを外れ好きな所を走り(仮免路上教習)戻ると、「こんなことをしてハンコもらえると思っているのか?」と言うので、「好きな所に行けと言ったのはアンタでしょう?」と。すると後頭部をペシ。所内で停車、教習員を引っ張り出して・・・(笑)最後は教習所の所長に教習費用の返還を求めました。あり得ない時代。(笑)

今は教習所に通う人が減り、教習所は完全に「サービス業」。あんな乱暴な指導員は消え去ったと聞きます。

昔は自動車教習所は羽振りが良く、事業拡張のため雑誌の広告では、値段で競い、何日で取得できるかで競い、果ては教習車を豪華にすることで競っていました。

今はどこの教習所でもすぐに入ることが出来るけど、僕たちの学生時代は入所するのに数か月待ちでした。時代は変わりました。今は免許を取るお金も、車を買うお金もない、アルバイトもできない学生が世の中に溢れています。