青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

「クリアリー・ラヴ」~いじめられた子供時代

2021-07-30 | 青春の音盤

僕は小学校に入学した時には、近所の一緒に遊んでくれる年長のお兄さんたちにもらって、「少年マガジン」や「少年ジャンプ」を読んでいました。「巨人の星」「あしたのジョー」などのスポ根ものから、「荒野の少年イサム」や「男一匹ガキ大将」「ハレンチ学園」まで、小学校の1年生にも関わらずマンガ雑誌を読んでいました。実は、小1で既に大人の読む文庫本も読めました。

小学校入学前には、ひらかな、カタカナ、漢字を覚えていたので、いや、母親に叩き込まれていたので、自分で興味のある本を図書館から借りて来ては、片っ端から読んでいました。同級生が国語の教科書を読むのに苦労していているのを見て不思議でしたし、算数も九九は覚えていましたので、小学校1~3年は本当に授業が退屈だった。

文字を覚えると、本が読めます。本が読めると、自分の欲しい知識がいくらでも手に入ります。そうやって成長して行くのですが、人よりも早く、正義感や自分の考えというものを持ってしまうので、周囲に溶け込むことが出来ませんでした。「●●くんが一緒なら僕もやる」とか、「みんながするから僕もする」的な考えを全く持ったことが無い。自分がしたいことをする子供だったのです。

小学校の5年からは生徒会役員にもなり、6年には生徒会長、卒業式では卒業生代表で答辞を読みました。中学に入っても、周囲に押されて学級委員に生徒会役員です。ところがこんな子供は周囲に敵を作ります。正しいと思ったことを言うだけでも、反感を買うことがあるのです。

いわゆる素行の悪い連中に目をつけられる。消しゴムが無くなったり、エンピツが折られていたりはまだしも、ノートが無くなったりすると、これは虐めだと気が付きます。何かにつけて言いがかりを付けられ、喧嘩を売られて殴られることもありました。

それでも、僕はまだ恵まれていました。1番仲の良い小学校からの友人Wが、不良も避けて通るほど腕っぷしが強く、人望があった。彼のおかげで、虐めから助かることがかなりあったのです。教師に殴られたことを言っても、「お前も言い方が悪かったのではないか」などと言われるくらいで助けてくれません。「話し合いで解決しろ」と言います。教師は、そんな問題をこっちに持ってくるなという姿勢でした。

そんな時はWが不良に、「俺の友達に手を出すな」と言ってくれます。Wの目の届く範囲では、攻撃を受けることはありません。ただし、ノートに落書きがされていたり、有形無形の嫌がらせはありました。これは中学の3年間続きました。ただし、学校にいる間はそうでも、下校してしまえば近所の友人たちと野球をしたりして遊び回っていました。運動神経はイマイチでしたが、スポーツは好きでしたから。

そんな時に買ったのが、オリビア・ニュートン・ジョンの“クリアリー・ラヴ”です。シングル・カットされた曲はラジオで聴いたのですが、はっきり言ってイマイチ!でも、ジャケットの美しさに負けて購入しました。

中身はアコースティックサウンドが心地良く、いわゆるヒット曲は無いものの、シングルカットされない曲の中に、「夢のかなたへ」(Sail into Tomorrow)や「愛らしい嘘」(Crying, Laughing, Loving, Lying)、「クリアリー・ラヴ」(Clearly Love)等の美しい曲が多数あり、大満足の1枚でした。

見開きのジャケットやライナーの裏などにオリビアの写真がたくさんあり、ますますファンになりました。当時は女優の“オリビア・ハッセー”“デボラ・ラフィン”も大好きでした。

僕が受けた虐めはどんどんエスカレートして行きました。僕の時代の虐めと、今の時代の虐め。どちらが酷いかは分かりません。しかし、子供を見守るハズの学校や教員が、虐めにきちんと向き合って解決に導くということを怠る、あるいはその能力が無いということは、今も昔もあまり変わらないと思います。

人と少しだけ違うということが、虐めの1つの原因であるならば、昔に比べてアレルギーを持つ子供や支援児が多い今の学校の方が、虐め問題をたくさん抱えているという気がしてなりません。確かに人も動物で、社会は競争です。でも、一般社会では警察が機能しているように、学校内でも強い何かが機能すべきだと僕は考えます。

蛇足ながら、今なら分かることが1つあります。正しいことを言うから、するから嫌われるのではなく、僕が言うから嫌われるということ。好意を持っている人に言われても何ともありませんが、嫌いな人に言われると「セクハラ」「パワハラ」と言いたくなるのと同じですね。