花くぐり 春をくぐりて 新しき
馬糞 Bafun
春は、心機一転に至る揺らぎの季節であるかもしれない。
しかし、春風にはかなく舞い散る花のトンネルをくぐると、もは
や、不動の心が定まっていなければならない。
それが、決然とした花の魅力でもある。
さあ、花は散った。
もはや決然として進むのみである。
不動心とは、損得ではない。
覚悟である。
もはや不動の時を刻み始めたのである。
未だ迷いの中にある者よ、不動心を確立せよ。潔くあれ。
戻るべき扉はすでに閉じられたのである。
新しい時が、決然とした一歩を求めている。
迷いを克服する『不動心』とは何か
揺らがない心、動じない心である。
ちょっとしたことで心がざわつく、揺らぐ、不機嫌になるというこ
とがある。
器が小さいといわれる。なるほど、茶碗の水はちょっとしたこと
で大いに揺らぐものだ。これではいけない。
衛星から見る大海原は、嵐のところがあっても、いつも平静に
見える。
そのようでありたいものだ。
揺らがない心はどのようにしてできるのか。
無知の知、これである。
大いに学ぶことだ。
認識力の基礎を大容量にすることだ。
専門馬鹿ではいけない。
学ぶことにおいて好き嫌いはいけない。
食事と同じである。
もう一つは、潔いことである。
自己保身にとらわれず、人生修行と心得て、神の御心のまま
に己の使命を求め、果たしてゆくのみと心得ることである。
公に生きるという潔さ、これが、不安と恐怖を克服する。
これが、信仰の力でもある。
仕事を腐らせる不平不満の自己責任
潔くあれ!
心清く、
明るくあれ!
私心を離れ、公に生きると決めることである。
仕事を腐らせるもの、 それは、「不平不満」である。
他人の心まで曇らせる「愚痴」である。
「功名心」であり、評価を求める「奪う愛」である。
それが、如何に職場を不幸にしていることか!
職場とは幸福を生産する拠点である。
幸福とは、人々に尽くすことができるということである。
光は高く掲げられるものだ。
自分が感謝されないからといって、理解してもらえないからと
いって、中心に使ってもらえないからといって、不平不満を抱き、
愚痴るのであれば、何もかも、台無しである。
光り続けること、それが、光の喜びである。
「天知る、地知る、子知る、我も知る」。
これは、悪事について語られたことであるが、人間の誠実な努
力についても同じである。
潔くあることが、逆境という名のチャンスをつかみ、心の曇りを
晴らし、些細なことで心揺らがない不動心の核を作るのである。
人生は、これ、修行である。
そう思えるものは、幸いである。
Bafun