鉢の枇杷 苦節十年の 実を結び
馬糞 Bafun
十年一昔というが、世紀末が近づいていた頃、久しぶりに食べ
た枇杷がおいしくて捨てがたく、その種を植えた。
それから、苦節十余年、ふと見ると5,6個の青い実をつけていた。
そういえば、春先に花をつけて、メジロが遊んでいた。
メジロたちの、名残の枇杷坊主である。
枇杷は、庭木としては疎まれるらしい。
葉が茂って、家が日陰になるからだろう。
しかし、枇杷の葉は健康茶として利用されるほど、生命力のある
植物である。
桃栗三年、柿八年、葉を茂らせて枇杷十年、めでたい枇杷の実
が成った。
《介護・医療制度の破綻から再建へ》
健康、これは、21世紀発展のキーワードである。
ところが、病院が病んでいる。
介護制度が疲弊している。
何とかせねばなるまい。
介護保険制度を機会に、老人介護事業に人も企業も群がった。
一体何のために?
創意工夫をする自由競争の論理ではなく、決められたパイに群が
る社会主義の論理である。
資金源となる税金は、必要のためではなく、欲望のために、枯渇
か増税かの選択を迫られる。
医療保険も同じ道を辿っているのだ。
一時はホームヘルパーという資格が大人気で、たくさんの養成講
座が売り出され、たくさんの受講者があった。
しかし、介護福祉士というもう一段上の国家資格をとっても、重労
働にかかわらず、介護職では食べてゆけないほど安い給料である。
人はどんどん辞めてゆくばかりで、求人には応募者が少ない。
当たり前のことである。
創意工夫で交換価値を高める仕組みではない。
最初から分類された仕事には報酬が決められており、その質は報
酬には反映されない仕組みである。
社会主義の論理には、創意工夫と発展の論理は成立しない。
医療の分野は、医者の高給を増税型医療保険によって賄う仕組
みで膨らんできたが、飽和状態なので、これからは潰し合いが始ま
る。
医療保険の不足を介護保険制度が補ってきたものの、限界が見
えた。
次の増税は、消費税増税、介護保険の拡大増税という方向を準備
している。
このまま、社会主義路線を辿らせるのか。
税源を賄っている企業を批判し、増税には反対し、福祉には予算
を増やせという共産党や社民党の街頭活動の厚顔無恥にはあきれ
るばかりである。
健康保険にも競争原理を入れるべきであろう。
医療費を使わない人には保険料を下げ、使う人にはあげなければ
なるまい。
一定金額を消費した人の医療費負担割合を上げなければなるまい。
介護保険は、民間保険に委ねるべきであろう。
介護サービスは企業に任せるべきである。
病院は、病気と投薬に依存しないで、生涯スポーツ振興の事業を
ヒントに、健康管理サービスを開拓することである。
免疫力を高める指導、長続きできる運動クラブ、管理栄養型食事
メニューの処方など。
医療保険は、健康競争型「健康管理保険」に転換することだ。
老人に必要なのは介護ベッドではない。
スポーツを取り入れたコミュニティーである。
観光ホテルに行き詰まっているなら、スポーツを楽しむためのスポー
ツ指導などのホテルサービスを工夫することだ。
「スポーツと温泉」という組み合わせである。
農業社会主義、医療社会主義、公務員社会主義を追放せよ。
自立し、独立せよ。
社会主義体質が、デフレ経済の元凶である。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi