光立つ 立春大吉 いざゆかむ
馬糞 Bafun
2009年2月4日(水) 旧暦正月10日
立春の朝、全身に生気がみなぎってきた。
立春こそは正月元旦というべきめでたい日である。
節分と立春もまた、国民の祝日としたい。
節分には豆まきの風習がある。
大晦日に一年の厄払いをするという縁起である。
インフルエンザで痛んだ腹に豆まきをした。
「鬼は外」で転がった豆を、グルメのカラス・フォン・ゴン吉兄弟が
食べた。
ふ~ん、おいしいのかなぁ。
清めの塩のように飾っていた豆を食べてみると、かなりおいしかっ
た。
腹の中でも豆まきをしたせいか、腹が癒えた。
発症から一週間、立春にインフルエンザ完治宣言ができると言う
のも目出度いことである。
今日は禅寺の門に、『立春大吉』が大書されているという。
寺にも宮にも、初詣したいと思う。
神の下されたる祝日を、感謝します。
【公務員改革こそは、麻生政権起死回生の天王山】
久しぶりに毅然とした麻生総理がテレビに映し出されていた。
「年内に、公務員の天下り、渡りを廃止する」
国民は、総じて公務員改革を望んでいる。
毅然として、官僚の反対を押し切ってでも改革を進めることは、一
転して国民の賞賛を得ることになるであろう。
天下りや渡りの慣行は、福岡県でも粛々と行われている。
しかし、天下り問題は国民の反感を買う象徴的なものの一つで
はあるが、本質ではない。
本質は、地方公務員を含めた、いい加減な仕事振りの公務員綱
紀粛正と、大リストラである。
省庁、部署の廃止、縮小と、その余剰人員の解雇、これこそが、
国家経営のけじめであろう。
経費、人員をまずは半減するというのが、公務員改革である。
GDPを作っているのは、公務員ではない。
民間企業や国民である。
そのGDP比の10%くらいが、公務員経費に使われているはずで
ある。
公務員と言っても、軍人、警察、消防は不可欠であり、別枠で考え
る必要がある。
しかし、それ以外の現業公務は民間に任せてよい分野であり、一
般公務には、公務員のための無駄な仕事を作るのが仕事になって
いるという腐敗振りである。
基本的に、GDPの1%の歳費で賄われて十分であろう。
公務員人事にも、企業の経営哲学、経営倫理が妥当する。
公務員は公僕であって、殿様商売ではないことを知らしめなければ
ならない。
人事院の権限縮小について、官僚の必死の抵抗があるが、そこ
には一片の正論もない。
公務員人事が政権に左右されてはならないなどといっているが、
行政機関は政治機関である。
アメリカのように、行政の中枢スタッフが政権によって総入れ替え
になってもよいのである。
公務員人事は、議会ないし政府が掌握すべきものである。
公務員の仕事は法に基づき、政府の監督下で行われることが公
平なのであって、政権に左右されてかまわないのである。
政治は民主主義の結果なのであるから、これに公務員人事が支
配されてこそ、公務員の民主的コントロールが可能になる。
だから、公務員改革について、官僚に対する遠慮は無用に願い
たい。
政令でやれることは、大胆にやっていただきたい。
人事院を廃止する。
農水省を廃止する。
文部科学省を縮小する。
これくらい、ドラスチックにやりたい。
公務員改革は、粛々としてやっていますよ、と言うかもしれないが、
数パーセントの削減目標を掲げるだけで、いわば、看板代にすぎない。
求められているのは、革命である。
ちなみに、官僚がいかに議員を馬鹿にしているかが、人事院の谷
総裁の抵抗からも見て取れる。
谷さんは、本来、切腹すべき立場である。
こうした、官僚権力の背景には、湯水のような予算範囲分、消費
権限と、法案の起草や演説の原稿など、実質的政治・行政は自分
たちがやっていると言うおごりがあるからだろう。
しかし、法案の起草を公務員官僚に任せるから、官僚が立法権の
僭主になるのである。
政府、議会は、官僚ではなく、自分たちが任免するブレーンを設置
できるよう、制度改革するべきであろう。
公務員に対する政府、議会のコントロール権限を空洞化させては
ならない。
天下り、渡り規制について、その後、麻生総理は、退職公務員に
ついては適用しないと明言した。
公務員は、退職後10年は公務員としての規制を受けてしかるべき
であろう。
麻生総理は、本気で公務員改革する気はないらしい。
国民にはそのようにがっかりされたことであろう。
真田昌幸であっても、やはり天下の器ではないらしい。
だから、優秀なブレーンが必要なのだ。
梅士 Baishi
http://www.gyoukaku.go.jp/soujinkenhi/kanso_houritsu.html
竹村健一
http://www.dailytimes.jp/takemura/