那の都 古りにし宮に 梅香り
馬糞 Bafun
初満月の夜、香り立つ紅梅の枝に旧暦の初満月がとまっていた。
那国の古をおもわせる万葉の香りを一人呼吸した。
旧の晦日に初雪が積もって、一つ二つの白梅が雪の花のようであっ
た。
今年の冬は寒いのかと思ったが、立春を経て春三月の陽気が続
いている。
線香花火の冬玉が、ぽとりと落ちたかのようである。
梅の花には都の香りがある。
博多の梅の花には、那国の香りがする。
九州は、単なる地方ではない。
古の都のあった国である。
その都は、飛鳥に遷都され、奈良山を経て京に座り、今は東京に
なった。
今再び西京の都、那の国を再興したいものである。
そのために、九州の御所を作り、しかるべき皇女を迎えることであ
る。
そうすることで、九州の外交、文化交流も主体的に図ることができ
る。
白雪を 白梅にして 春たどり たどりし枝に 満月の花
梅士 Baishi
大宰府の梅を飛び梅という。
福岡での国体を、飛び梅国体と名称したこともある。
しかし、好きになれない名称である。
地方の卑屈を感じるからだ。
飛び梅の由来は、菅原道真が名残を惜しんだ京の館の梅の花が、
道真の思いに引かれて、大宰府に飛んできたと言うのだ。
道真が左遷されたのは、嫉妬からというより、官僚的な政治が嫌
われたからではないか。
即ち、政局を判断する視野がなかったのだろうと思う。
学問ができたら出世して政治の中枢に立つというのは不都合なこ
とがある。
学問と政治の器量とは一致しないからである。
東風吹かば にほひをこせよ 梅の花
主なしとて 春な忘そ
なんとも潔くなく、未練がましい歌である。
そもそも、大宰府に「流された」というのが気に入らない。
都の思い上がりそのままに流されてきたのだろう。
九州の歴史を知れば、ここにこそ、都の原点があることを誇ること
ができたであろうに。
どんなに偏差値が高かろうと、本質を見る目を欠いた机上の学者
さんに過ぎなかっただろう。
それがどうしたことか、天神さんとしてあがめられている。
確かに、遣唐使の廃止を言上していれられたのは卓見であった。
学者としては一流の見識をもっていたに違いない。
しかし、飛び梅伝説をありがたがる心情は卑屈である。
学問の神として祭るのならば、仁徳天皇の先生ともいうべき王仁
博士のほうがふさわしい。
難波津に 咲くや この花 冬ごもり
今を春べと 咲くやこの花
難波津を那の国と読み替えれば、これからの九州のあり方が思わ
れるのではないか。
梅士 Baishi