鴨ふたり 凍ゆる池を 並みて行き
馬糞 Bafun
寒かろうにと思うが、鴨のつがいが凍える水をかいて、並んでいる。
夫婦のあるべき姿を見るようである。
オスは正装のいでたちで毅然としている。
メスはかっぽうぎ姿のように地味だが、夫を誇りにしてついていって
いるように見える。
天に唾するジェンダーフリー論者は、鴨の姿をどう解釈するのだろ
うか。
人と鴨とでは違うのだとでも言い訳するのだろう。
人は、天然自然の法則の上にあるというのであろう。
こんな笑い話を聞いた。
『ある男が通りを歩いていたところ、突然「止まれ」という声がして立
ち止まったところ、上から建築資材が落下して危機一髪で難を免れた。
またある日、横断歩道の信号が青になったので渡ろうとしたところ、「止
まれ」という声がして、立ち止まったところ、信号無視の暴走車が目の
前を突っ走っていった。そこで、「あなたは何者か」と訪ねたところ、「お
前の守護霊である」と答えたという。そこで男は、「それならばなぜ、結
婚するときに待ったをかけなかったのか」と文句を言った』という話であ
る。
まったくね、と同感する話である。
しかし、その守護霊は答えたであろう。
「人生はこれ修行である」と。
悪妻が英雄の記しと言うこともあるであろう。
世間の悪口雑言に堪える力もつくであろう。
悪いことばかりではない。
【幸福実現党の立候補について思うこと】
いよいよ、参議院選挙である。
いくら、国民の大半が望んだ政権とはいえ、このまま、亡国の政治を
放置するわけにはゆかない。
幸福実現党以外に、亡国の危機を克服できる政党はない。
亡国の政権を選んだ有権者には責任を取ってもらいたい。
選挙権の破産宣告を申し渡したいほどである。
期待はずれだったなどというたわごとでごまかされる責任ではない。
私利私欲で、あるいはマスコミの奴隷のごとく投票する亡国の有権者
よ、恥を知れ!
しかし、幸福実現党の党員や立候補者は、それでよいのかとも思う。
立候補とは、起業に匹敵することだと思っていた。
選挙資金は、起業資金よりも多額を要する大事である。
長年、「先生」に仕えて選挙地盤をもらい、立候補するというのが従
来のやり方の一つであろう。
しかし、地盤もなく立候補するというのは、経営的感覚からすると無
謀なことである。
100%借金で興した会社は3年と持たないで倒産するのが常だとも
言われる。
そういうセオリーからすると、幸福実現党といえども、組織の金に甘
えて立候補するということには安易さを感じる。
たしかに、立候補するだけでもそれなりの覚悟であろう。
しかし、街頭演説するくらいの覚悟はたいした覚悟ではない。
むしろ、資金調達をする自助努力や、足で稼ぐ地道な営業活動こそ
が大事な政治家の登竜門というべき努力ではないのか。
いまどきの政治であれば、人生をかけた救国の戦いだからである。
草の根Web運動で資金集めをしたオバマ大統領は、その点ではたい
したものであると思う。
立候補者は、金か、人気か、地盤か、そういう実力を持って、その上
で決死の立候補をするべきではないかと思うのである。
少なくとも、選挙資金の3割くらいは自分の努力で調達し、後は借金
するくらいの覚悟がいるのではないか。
しからざれば、集票力を期待されるほどの人気、ないし、地盤を持っ
て、立候補をお願いされるくらいの人物であってこそと思う。
それがなければ、まさしく決死の営業で人々に認められなければ、
そして、結果を出さなければ、その責任は果たされまい。
落選しただけで終わってはならないであろう。
立候補者は、ある意味で、死に場所を得た恵まれた人というべきか
も知れない。
感化力、それは、決死の、愛国の戦いであってこそと思うのである。
私は、幸福の科学の会員というだけでは信用しないし、幸福の科学
の職員というだけでは、尊敬も、信用もしない。
教会の牧師を偉いとは思わないし、寺の坊主を偉いとも思わない。
一般の有権者であればなおのこと、そういう目で見ているであろう事
を覚悟してかかって欲しいと思う。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi