重ねたる 未読の谷に メジロ鳴き
馬糞 Bafun
新刊本が百冊ほどは積み重なっているだろうか。
机の上にも本の山が三本、文字通り山形に積みあがっている。
しかし、本の谷を背に読書をすると、妙に落ち着くものだ。
書生にでもなったかのようである。
その向こう側には、目白が幸せそうにみかんをつついては遊んでいる。
梅が一斉に咲き始めたから、メジロたちも忙しくなることであろう。
旅に出るわけでもないが、病床の子規のように、箱庭が俳句の連想
を誘っている。
さて、これから夜にかけて雨になる。
気象衛星の画像には、博多のすぐ近くに一団の雨雲が差し迫っている。
明日には上がっているだろう。
さすれば、明日は出かけて、咲き始めの梅を楽しむとしよう。
【 パスコミ・インターネットのインパクトと課題 】
インターネットが情報の流、情報権力の構造、情報なしには成り立
たない商業のありようを大きく変えようとしている。
そのインターネットの特性についてはさまざまに語られている。
「2チャンネル作家」ということを自ら売り物にしている三橋氏によると、
インターネット最大の特色は双方向性にあるという。
わたしは、双方向性ではなく、パースナルメディアを実現したところ
に最大のインパクトがあると考えている。
これによって、マスコミの独裁的牙城が崩れたのである。
情報の大衆化、民主化こそが、インターネットのインパクトである。
このパースナルメディアが、マスコミ独裁時代に幕を引こうとしている。
「毎日変態新聞」と揶揄されている毎日新聞といい、チョウニチ新聞
(朝日)といい、日本反日左翼放送協会(NHK)といい、マスコミの無
責任、反国家主義、反日本主義のおぞましさをさらけ出させたのは、
パースナルメディアであるところのインターネットである。
しかし、インターネットの課題もまた、そこに内包されたおぞましさと
無責任にあるのではないか。
インターネットによるおびただしい犯罪はその証左であろう。
インターネットによる革命的な勢力を、フランス革命のギロチンのごと
く血塗らせてはなるまい。
インターネットの革新性は、パースナルメディアを実現したことにある。
しかし、マスコミであれ、パスコミであれ、その最大の課題は、表現
者の安全と責任のバランスであろう。
マスコミの犯罪的な報道責任が問われなかったり、インターネット犯
罪がはびこっても是を取り締まれない現実も大きな問題であるし、他
方、Googl事件に見られるような中国政府の過剰な思想取締りとサイ
バーテロ攻撃も大問題である。
少なくとも、犯罪教唆や嘘をでっち上げて個人を攻撃したり、国益を
損なうNHKや毎日新聞、朝日新聞などの表現行動は厳しく罰されな
ければなるまい。
言論の自由とは、言論の責任であり、正義と道徳と倫理が不可欠で
ある。
そうした道徳教育の根底にあるのが、信仰である。
人は、実在の神を前にしてまで嘘をつくことはできないであろう。
神仏に誓って嘘をつく者は、神を信じていない者である。
神の実在こそは信仰である。
だから、信仰なき者は信用できないのである。
インターネット時代とは、宗教と信仰に依存する時代であるといえる。
三橋氏の信用はデータに依存しているのであろうが、データはそこ
から読み取るベクトルの正しさまでは担保しない。
インターネットの信用は、信仰に裏打ちされたミッションにこそ、その
生命線があるのではないか。
言論の信用とは、言論の目的と大義が問われているからにほかなら
ない。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi
※ 「変態新聞とは?」・・・ 「皆さんの書かれているとおり、毎日新聞です。これの英語版で、とんでもない変態記事
が連載され、それが世界に発信されていました。
他の方が書かれていないものでは、「日本では豚を獣姦し、それを食べる」とか、人間としてあり得ないことをたく
さん書きまくり、結局この捏造記事について真面目な訂正や謝罪もせずに逃げ去りました。
こんな事ばかり書いていたのですから、まさに下劣も下劣、国辱ものです。ですから「敬意を込めて」変態新聞と
言われています。」⇒ http://sooda.jp/qa/142913
※国辱新聞毎日⇒ http://www8.atwiki.jp/mainichi-matome/
※国辱記事の例⇒ http://digimaga.net/2008/06/mainichi-shimbun-says-japanese-holiday-sex-and-repe-manhunt.html