空蝉の 枝にしがみし 彼岸前
梅士 Baishi
朝方の冷え込みが、夢かうつつか蒲団にもぐりこませた。
朝顔も縮みながら咲いている。
今年の冬は厳しい寒さになるのかもしれない。
筥崎宮庭園に出かけた。
花の無い季節ということで、入園料は100円。
ほんとうに是といった花がなかった。
ひょうたんも下がっていなかった。
もみじの枝に、蝉の抜け殻がしがみついていた。
空蝉というのは、この世の人間を言うらしい。
仮の世の人というのである。
現代人には意味不明のことであろう。
【空蝉の思想】
あの世のほうが実在世界であって、この世は一時的に現れている
いわば演劇舞台のようなものだという教えである。
仏教の基本であり、霊能者プラトンが説いたことでもあった。
万葉の歌にも、空蝉という言葉が好んで使われている。
すなわち、古今東西を問わず普遍的に認識されていたことが、あの
世の存在と、この世は仮の姿、いわば霊界の影絵のような現象世界
であるというのである。
あの世を認めず、仏神を信じない唯物論が世界を覆うようになったの
は、近代に入ってからのことである。
唯物論の帰結はマルクスが実証したような社会主義共産主義の世
界観であり、不信と恐怖政治の闇を広げている。
愛国者であるならば、仏に帰依し、あの世の実在を知ることである。
神も仏も無い世界に何の希望があろうか。
死んで終わりという人生観に何の実りがあるだろうか。
さて、もうすぐ放生会が始まる。
「敵国退散」の筥崎宮には夜店が立ち始めている。
祭りもまた、神あってのものである。
神を祭らないイベントの空しいことよ。
神なき繁栄はない。
そのことを、放生会の賑わいの中に感じ取ってもらいたい。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi