遠き日も ハナカタバミの 秋に群れ
梅士 Baishi
秋とは、黄金に輝きながら去りゆく季節である。
人生の秋も、同じように輝きながら、その栄光やガラ
クタを捨て去ってゆく季節であろう。
そして、いつか死が訪れる。
尽くせなかった思いが死ぬことの悲しみである。
しかし、自分を失うことが死なのではない。
同様に、罪や苦しみを免れることが死なのでもない。
自殺はその手段とはなりえない。
生命保険を目当てとする自殺でも、いわば、売国奴と
同様の神への冒涜であろう。
売ってはならず、買ってもならないと言うモラルがある
ものだ。
死ぬことが自分というものを失うということであるなら
ば、生きることにも意味がない。
無の為に生きると言うこと自体矛盾だからである。
論理的に成り立たないことを信じる人が多いのは、
人間としての退化であろう。
退化した人間は、脳神経の五感を存在の根拠とする。
唯物論的短絡に自縄自縛するのである。
本末転倒の無明の中に右往左往しているとは哀れで
あり、醜悪である。
ハナカタバミの花畑は、春のような輝きを見せながら
も、暮れ行く秋に咲いている。
なにかしら、遠い思い出を見るような光景である。
【 米中接近の騙し絵を活用せよ 】
過信しているチャイナは、沖縄からの米軍撤退や、
米中接近工作についても思い通りに進んでいると過信
していることであろう。
電気自動車や高速鉄道技術の分野でも、いつの間に
か技術を盗み、maide in chaina の交通ビジネスを
世界展開し始めているという。
ああ、モラル無き中国の市場はアメリカやEUにくれて
やれ。
米中が接近することは、ある種の戦争でもあろう。
アメリカに任せておけばよい。
その間に、日本はチャイナから撤退し、インド、ブラジ
ル、トルコ、ロシアへの文化的交易を開拓・展開するべ
きである。
そこには、大義がある。
モラル無き国家を肥え太らせてはならないのである。
モラルとは、信仰と教育と自由市場主義経済から生み
出されるものだ。
信仰と教育と市場主義によって構成される経済原理を、
信仰資本主義ないし、真理市場主義と名づけて良いかも
しれない。
日本という機関車に牽引されるべき国家は、幸福の科学
に連結される国々となるであろう。
インド、タイ、インドネシア、台湾、オーストラリア、ブラジ
ル、東欧諸国、カナダ・・・。
そうした国々ともっと交易の自由をサポートするシス
テムを作ってゆくことだ。
港港に、輸入物資や輸出物資の市場ができるとよい。
そこで、だれでも実質的な輸入、輸出の仕入れができれ
ば、日本の牽引力は大いに盛り上がるであろう。
契約による貿易の前に、マーケティングとしての自由
市場があるべきである。
関税の操作も重要である。
中国に対しては、高率の関税を課すべきであろう。
産業財産権侵奪の代償は、関税で賄われるべきだか
らである。
その結果、中国に依存している企業が倒産すること
は獅子身中の虫の駆除であり良いことである。
逆に、日本との友好通商条約とそのための具体的な
親日ルールを締結する国には、関税ゼロとしてよい。
その結果、日本農業の半分が倒産しても、また結構な
ことである。
倒産した農地の売買を自由化すればよいだけのこと
である。
知識や技術を持った元農家は、農業コンサルタントを
すればよい。
よほど儲かるであろう。
米中接近の騙し絵の隙に、新しい日本シフトを構築する
ことである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi