一年hitotose の 言の葉散らす 夜会かな
梅士 Baishi
忘年会開きというべき忘年会に久留米まで出張っ
た。
学内ベンチャーとはいえ、カンパニーオーナーとして
の心意気もある。
久留米の会場まで歩きながら、往年の疑問を考え
ていた。
こんなところにも人が住み、町ができているが、
一体何を生業にして生活しているのだろうか・・・、
と思うことがある。
農業はあるだろうが、街を成すほどの力はないだ
ろう。
一体何が街を作り、都会を作っているのだろうか。
もちろん、交通の便が生活圏を広げてはいるが、
それだけでは説明がつかない産業の発生や都市
の形成が不思議に思えるのである。
人が集まれば都市になるかもしれないが、北朝鮮
のように貧困な街もある。
江戸の町も人を集めて作った都会だが、権力に
よって国中の物産が集まり、商人の街としての繁栄
が基礎にあったのではないか。
結局、人が集まれば街ができ、生活に必要な価値
を作り出すことによって産業が生まれるには違い
ない。
しかし、繁栄するためには、外部から豊かな物資を
買い求めるだけの価値創造、価値生産の技術が必
要なのだ。
日本は優れた製造技術のおかげで経済繁栄して
いる。
その生み出した余剰価値で海外の物資を輸入す
ることがさらなら商業的繁栄を生み出す。
久留米は都会のような街になっているが、一頃の
活気が失われている。
これを活性化するためには、やはり付加価値の
高い製品を開発し、産業を起してゆかなければな
らない。
日本の伝統の復興・普及による伝統産業の活性
化、さまざまなロボットの開発とロボット産業振興、
家庭用エネルギー供給装置の開発、魚介類の養殖
など、求められる産業はたくさんある。
久留米の町を歩きながら考えたことであった。
【 消費の武士道、消費者のモラル 】
お客様は神様です、というのは商人の心意気であ
る。
これに甘えて、消費者が傲慢になってはならない。
食べさせてくれて、商品を供給してくれて、心地よ
いサービスを提供してくれて、貴重な情報を提供し
てくれる売り手に感謝しなければならない。
それが、消費者の礼儀であり、モラルである。
侵略国家チャイナの商品を安物買いするのも消費
のモラルに反している。
売国奴というべきだからである。
イオンやトライアルの安物に群がるのは情けない
ことである。
日本人であるならば、質にこだわり、文化にこだわ
り、国家の是非にこだわらなければならない。
売国奴というべきマスコミのスポンサー企業に対し
ても、回避する消費行動が、日本人としてのモラル
であろう。
他方で商品の価値をみとめ、ふさわしい価格を
認めてやることも消費マナーというべきではないか。
武士は食わねど爪楊枝(高楊枝)というやせ我慢の
消費、日本的な消費精神を持ちたいものである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi