さげもんに 紅梅を下げ ひな祭り
梅士 Baishi
今日は太陽暦の三月三日、ひな祭りである。
昔のひな祭りは月暦なので桃の節句だったが、太陽暦では梅の節
句であろう。
神社でひな祭りをするのが一番よいのだろうが、あるのだろうか。
ひな祭りの神楽なら見にゆきたいものだが。
ひな祭りで有名なのは、日田や柳川があるが、博多も神功皇后ひ
な祭りかなんか創始すればよいのだ。
ちょっと寒いが、梅見の茶会と神楽奉納でもよいと思う。
神功皇后と言えば、朝鮮征伐のブランドでもある。
さて、イスラムの神々の啓示には、かなり重い責任を感じざるを得
ない。
2010年の黙示録のヨハネやモーセの啓示は、日本に対する失望
そのものであった。
民主党政権のただなかにあって、日本国民の評価は地に落ちてい
たに違いない。
それでも民主党が存続しているのだから、神々の怒りはごもっとも
である。
しかも、その支持基盤が公務員労組なのである。
公務員が愛国心のかけらもなく、国を潰そうという勢力として温存
されているのであるから、理解に苦しむ。
さらに、マスコミに選挙民主主義を支配させるということがなぜ許さ
れるのか。
民主的統制の治外法権を許してよいはずがないではないか。
権力を解体するためには、電波の独占、販売所の独占を禁止する
ことである。
マスコミに何を言われるかわからないという恐怖や不安をもってい
ては、国難を返上する政治などできるはずがない。
政治を批判することは民主主義の自由であるが、マスコミという権
力機関を使うことは個人の自由を越えた権力活動である。
その対策は、権力構造を独占禁止として解体すること、政治報道
関係者はディレクターや芸能人も含めて、国会に喚問して徹底的に
その言論責任を追及すること、選挙期間中は、選挙に関する報道
は、政党や立候補者が提供する番組に限定すること、などの選挙関
連法、報道機関責任法を立法することだ。
マスコミと国家との戦いである。
ひな祭りにしては、闘争的政治談議になってしまったが、まずは獅
子身中の虫、マスコミと公務員を解体する戦いを急がねばならない。
その文脈でも、地方自治(地方公務員制度)を廃止しなければなら
ないのである。
【 宮澤喜一元総理の霊言・戦中派のあの世ミックスに思う 】
過去世は菅原道真と言われた宮澤喜一であるが、日本の戦後体制
をなんとか構築した功績はあれ、念願の総理となったときには、資産
倍増といいながら、戦後の経済成長を叩き潰して20年不況体制を作っ
てしまった祟り神であった。
たしかに学者肌の政治家だったが、国のターニングポイントでは逃
げを打つ事なかれ主義で失脚するあたりは良く似ている。
学問ができても、神というなら繁栄をもたらしてこその神である。
太宰府天満宮に受験合格祈願をしても、戦いに逃げ腰で勝負に弱
く、国に祟るというのでは、縁起が悪かろう。
彼の祟りとは、謝罪外交とバブルつぶしの金融政策をやったことが
今でも祟っている致命的亡国政治であった。
結局、政治家に求められる最重要の素養は、政治的正義の観念と
大局を観る先見性であろう。
どんなに知能指数が高く、英語に堪能で、読書の知識があって学
者的であっても、正義観念と大局を読む先見性がなければ、亡国を
招くだめ政治家に終わるのだ。
韓国の反日活動を受け入れるアメリカの反日思想は、戦争の倫理
にもとる非戦闘員の大量虐殺、核爆弾の投下という非道を正当化す
るためだという読みはなるほどと思う。
日銀が社会主義制度として温存されていることを見抜いていること
もさすがだと思う。
しかし、それを自虐的に受け入れると言うのでは、論外である。
宮澤元総理が幸福の科学会員だったとは知らなかったが、会員だ
からと言って、総裁の手足のように働けると言うわけではないし、優
れた人物だというわけでもない。
ただ、信仰のない人間よりは数段上等だというだけのことである。
まあ、謀略にかかって失脚して憤死した道真とは違い、権力のトッ
プに上ったが、国ごと階段から突き落とすようなことになってしまった
不甲斐なさを思い知って、道真の分も含めて納得できたことであろう。
失政の祟りは続いているが、会員の不始末を幸福実現党が刈り取っ
ているのであろう。
政治の祟りは、幸福の科学に学ぶ安倍総理が祓わねばならない。
それは、自民党政治家としての責任でもある。
マスコミに屈してはならない。
マスコミ権力と戦え!
岸総理は負けなかったのだから。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党