紅葉に 青々立てり 竹林
梅士 Baishi
今朝は幾分温かい10℃。
小学校も箱におさまって静かになった。
今日は金曜日である。
さて、最初のお勉強は地理にするといたしましょう。
午後5時半、すっかり暗くなった。
あと、二週間と少しで冬至である。
久しぶりに地理のテキストを読み始めたが、地球に散
らばる活字は広くて重い。
いつの間にか地球を枕に夢うつつだった。
こんなに眠れるのだったら、枕は地球に限る。
それにしても欧米の植民地収奪の傷跡や戦争の傷跡が
地理の世界にもくっきりと残っている。
植民地は戦後独立して行ったがイギリスやフランスに
収奪されて干からびた状態だったに違いない。
植民地解放に功績のあった日本は逆に植民地になって
今日に至っている。
植民地の定義は、主権、領域、国民の要素を持って自
立しているとは言えない形がい的な国のことであるが、
日本は、主権の中枢である自国防衛を国連ないしアメリ
カに依存する植民地状態である。
国際比較する日本の戦力の小さいこと・・・。
しかも、それを戦力と言ってはいけないという体たら
くである。
GDPは世界第二位であるが、一人あたりのGDPは大
きく順位を落としている。
中国のGDPというのはまあ張り子の虎のインチキで
ある。
これからさらに落ちて、国が崩壊することになって
いる。
ソ連の後を追う形になるが、さて、ゴルバチョフ並
みのリーダーが現れなければ悲惨な殺し合いが起こる
のだろう。
天安門広場では戦車で人民を踏みつぶして虐殺した
残忍性を持っている。
一日も早く、このおぞましい共産主義の輩を葬り去
りたいものである。
まだまだ、地理的な激動が待っていそうである。
【 プミポン国王よ、仏陀に帰依なさいませ 】
タイ王国の政情不安がまだくすぶり続けている。
プミポン国王も「民主化」に方向性を出せないまま
である。
タイでは出家と兵役は国民の義務だが、出家に関し
ては形骸化している。
仏教指導者がいないというべきであろう。
国王は悟るべきである。
日本の皇室のように、王家は国家の安寧と発展を祈
り、仏教を護る権威であって、仏弟子であるという象
徴性に退くべきであると。
国民の尊敬は、現実政治の元首としては維持するこ
とが難しい。
もはや、国王への尊敬は、タイの愛国の象徴と考え
るべきである。
国王の仕事は仏教を広め、貧困救済事業に力を尽く
すことである。
そして、ときどき、警告を発すればよいのである。
国王が決断すべきは、日本に降臨している仏陀をタイ
王国の仏陀として受け入れることだ。
日本よりも先に、仏陀に帰依する国家として開国する
ことである。
幸福の科学の教えは最先端であり、繁栄の縁起にあふ
れている。
今こそ、名誉あるタイ王国の歴史を拓く力が国王には
あるのである。
民主化要求は、公務員のモラルを正し、選挙を通して
国民の責任として行えと申されればよろしいかと存ずる。
中国のようにあさましく官憲が私利を貪ることがない
ように、仏に恥じない政治を行いなさいと。
そして、国民はそれを信じて、選挙に責任を持ちなさ
いと。
正しい民主主義の在り方は既に、幸福実現党にも示さ
れている。
幸福実現党を顧問に、理想国家実現に取り組むことだ。
それは、日本以上に発展する国家へのチャンスなので
ある。
ところが、プミポン国王は、幸福の科学総裁の来訪を
敬遠されているとも聞く。
仏陀が分からないで何となさる。
奢ってはならない。
国王もまた仏弟子なのである。
幸福の科学に帰依してタイ仏教を正しくし、未来型に
変革することである。
出家僧も性を持て余しているという。
しかし、性は貪らなければ仏の慈悲である。
競争ばかりがこの世の秩序ではない。
男女が愛し合えるということは神の仕組みである。
結婚は出家者にも責任というべきである。
子をもうけることは、自分の法灯を伝える確かな方法
でもある。
苦しみも多いが、それはこの世の修行である。
性を断つことは普遍的な修行の法ではない。
プミポン国王よ、幸福の科学は国王の地位を脅かす存
在ではない。
むしろ、仏弟子として最高の名誉をもたらす存在であ
る。
救世主が降臨されているのである。
ここで迷って何となされるか!
今年最後の仕事として、国王への進言を大使館に送ろ
うと思う。
幸福の科学職員も幸福実現党党員も、そのようになさ
れよ。
タイ国王は、明治帝ともゆかりの深い王家である。
講談社への抗議は幸福の科学の防衛であったが、タイ
国王への伝言運動は、伝道の使命というべきであろう。
タイ風や総裁に任せきりでよいはずがないではないか!
そうではありませんか、党首!
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党