盛夏なり クマゼミどもが 夢の中
梅士 Baishi
朝、六時前には確かに静かな朝だった。
それで、幸福の科学奉納曲をBGMにしたのだった。
ところが、六時を過ぎた頃にはBGMがかすむほどに、一斉にク
マゼミが鳴き始めていた。
目の前で蝉の胸板が震え、鼓膜が鳴る。
耳の遠いお年寄りにも分かりやすい夏である。
博多はまさに盛夏なのである。
それにしても、毎日の暑さのやるせなく、仕事がはかどらない。
集中できるのは、読書のときだけである。
その読書を阻むのがこの世の存在と時間なのかもしれない。
ハイデッガーの霊言を読ませていただいたが、そのデビュー作
となった『存在と時間』は大著でもあり、取っつきがたく残っている。
同じタイトルで考える存在と時間というなら、この世のくびきとし
ての異なる場と共通速度の時間ということだろうと思う。
異質と不便な競争の世界である。
あの世の存在と時間は認識に取って代わる。
その認識を広げるものが愛ということになるのだろう。
ヒトラーのナチズム、スターリンや毛沢東の共産主義、現代中
国の習近平という全体主義は、国内にあっては粛正を、国外に
あっては侵略を独善的正義とする大量殺人の政治思想である。
明白な悪であろうのに、それと気付かないのはなぜなのか。
巨大な国家的凶悪を正義であるかのように見せる魔術こそは、
差別的選民思想なのではないか。
フランス革命も、ナチズムも、スターリニズムも、共産中国の侵
略と粛正も、差別的選民思想を根底に持っているように思う。
アメリカでさえも、白人主義ピューリタリズムを差別的選民思想
にして、国土を奪い、黒人奴隷を売り買いし、日本をホロコースト
にかけ、アジアへの植民地競争に加わったといえる。
日本はエルカンターレ下生の国として、アジアの盟主から、さら
には人類の希望のリーダーとしての役割が期待されているが、
差別的選民思想に汚染されてはならない。
民族としての誇りは大切であるが、差別的であってはならない。
それが、ハイデッガーの警告ではないかと思う。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党