花吹雪 遠山桜の 見栄を切り
中村 梅士 Baishi
気温は日中22℃を超えた。
こう暖かくて天気が良くて桜が満開の日曜日ともなると
どこかに出かけたくもなる。
かといって、どこと言う決めてもないままに出遅れるの
である。
で、今日は記録をつけている定例コースを走ることにし
た。
8kmの川沿いのコースを50分程度でスローに走るの
であるが、1時間近く走ると、やはり疲れる。
体幹をすっと立ててかっこよく走ることを旨としている
ので、背筋が疲れるのである。
走る技術と言うのは難しい。
いろいろと工夫するのだが、膝に負担がかからず、適度
にスピードが出る走り方として、つま先を意識しつつ、体
幹を立ててかっこよく走ると言うイメージが一番効果があ
るように思う。
それにしても8km程度で疲れるのはまだ修行が足りな
いと思う。
神社では結婚式が賑わっていた。
めでたさを横目に賽銭なしに新年度初詣をした。
風が吹くと桜吹雪が背中に貼りつくように押し寄せる。
遠山桜の気分である。
週刊ダイヤモンドの特集で、『劣化する伝統宗教~神社、
仏教大騒乱』を取り寄せて読んだ。
富岡八幡宮の女性宮司殺人事件というのも不可解だった
が、その裏には「神社本庁」という神社協同組合の理不尽
なセクハラ、パワハラなどの腐敗問題も絡んでいるような
のだ。
神社が男性優位社会になっているのはしっくりこないは
なしではある。
国家神道の名残であろう。
神社本庁にもお祓いが必要のようである。
その上で、本業の神事をしっかりとやることだ。
浄める作法は現代には特に必要とされているはずだ。
日本人の結婚式は神道でやるべきだと思う。
葬式も、葬式仏教ではなく、神道の浄めの儀式によるほ
うが良いと思う。
そのためにも、巫女を高位に置くべきである。
葬式仏教の衰退はかなり深刻なようである。
一代の墓標が増えているという。
葬式ビジネスは花盛りのようである。
しかし、在来仏教に、死者をあの世の渡す法力はとっく
に失われている。
そもそも、僧侶と言いながらあの世を信じていないのだ
から。
家が壊れ、ばらばらの個人別になった現代にあって、葬
儀の在り方も自由化されるべきではないか。
あの世を信じず、仏神も信仰しない日本人には葬儀も墓
地も必要ないはずである。
また、墓地問題についても、政教分離で宗教蔑視の日本
にあって、許認可行政は止めるべきことでもある。
矛盾した、困った問題である。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party