鉄輪の 熱き湯舟に 乗り合いて
他生の縁を 湯にほどきけり
中村 梅士 Baishi
朝六時頃に起きだして、タオルを持って旅館の雪駄で
湯の坂を散策した。
温泉組合の共同温泉はこじんまりとしているが、屈託
のない地元の人間関係を温めている。
組合風呂「地獄原温泉」は、入り口の箱に百円を入れ
て入る。
入れ墨をした先客がいたが、気持ちよく挨拶をされ、
熱い温泉を気遣ってくれた。
湯舟の縁も他生の縁である。
さりげない挨拶が、心地よい湯加減に感じられる。
さて、今日から新年度の仕事がスタートした。
庭鳥をしてくれていたメジロも鶯もヒヨドリも姿を見
せなくなった。
旅立ったのであろう。
新顔のスズメが兄弟喧嘩をしている。
今年生まれた子すずめたちだろうか。
離乳食の蜂蜜をなめている。
今日は18℃。
初夏の暖かさが戻ってきた。
さて、仕事に精を出すとしよう。
島根県西部で震度5強の地震があった。
午前一時過ぎ、緊急警報が鳴ったようだが気が付かな
かった。
天変地異も新年度入りである。
映画『コンタクト』を久しぶりにおさらいした。
ベガ星から送られてきた通信を解読して作られたワー
プ装置でベガの惑星に行く女性科学者の体験物語である。
使われた装置は北海道北端の海岸に建設された予備マ
シンだった。
神を信じない科学の唯物論的実証主義と、その対極に
ある宗教原理主義の偏見への問題提起が映画のテーマで
ある。
科学といっても、証明されない真実を信じて実験観察
をしているのであって、信仰がなければ探求も始まらな
いという事実を忘れてはならないのである。
手探りで探し当てるやる気は賞賛すべきであろうが、
手に触れなければ存在しないというなら、手探りさえも
すべきではあるまい。
何かがあると思うから、盲目でも手探りするのである。
唯物論科学は発見したと言う誇りはあるであろうが、
手の届く範囲のほんの一部の手掛かりに過ぎないのであ
る。
こうした、科学万能主義が信仰を軽蔑しているとは、
愚かなことである。
STAP細胞の研究発表に不備があったとして、存在し
ないことに確定された。
存在しないことについては証明は無用だという。
これが科学信仰である。
小保方さんは嘘つきであり、詐欺師ということになっ
て、法的責任を追及され、科学者としての地位も失った。
科学とは盲目の実存主義にほかならない。
しかし、科学は手段に過ぎない。
科学に目的を与えるのが信仰なのである。
その意味で最も愚かな科学レベルにあるのが日本であ
ろう。
宇宙文明とのコンタクトなどありえないレベルである。
生命は偶然発生したものであり、人間は20万年前に偶
然猿から進化した存在であるが、宇宙人などは存在しな
いというのが科学的結論なのだから。
その点、幸福の科学のなんと科学的であることか。
それに気づくまでには、日本と言う国は歴史から消え
ているのかもしれない。
歴史の注釈には、バール信仰と科学万能主義が支配し
たカルタゴのような国が日本だったと記されるであろう。
現代のローマ帝国アメリカが最も軽蔑する植民国家が
日本だと言うことになれば、日本の命運も尽きるであろ
う。
気概のない植民地に堕してしまったのである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party