五月色 紅きツツジの 咲き始め
中村 梅士 Baishi
昨日は新年度初ジョグ8kmを走った。
後に疲れを残さない無難な距離だ。
去年は6km、7kmで回数を重ねていたが、今年は
8kmと10kmを使い分けて体力をつけたい。
満開の桜の下は、はや、花雪を散らしていた。
菜の花はまだ健在だった。
ツルニチニチソウが風車のように咲いていた。
ゆっくり走るのも悪くない。
出発地にしている公園で、ツツジがピンクの花を開い
ているのに気がついた。
四月早々にもう五月色が・・・、と驚いた。
一気に五月の気分になった。
最近、写真の撮り方が少し変化した。
人為的な風景を嫌っていたが、少し街の風景を入れる
ようになった。
それでも、電柱、電線はタブーであるが。
さて、今朝の気温は7℃、日中は18℃まで上がる予
報である。
メジロの姿が見えなくなった。
雀でさえも、満開の桜に群がっている。
ヒヨドリも、もうすぐ渡りの時節であろう。
花盛りの季節にも、過ぎ去る花や鳥に無常を感じるも
のである。
また来年、と。
「マンホールチルドレン」というドキュメント番組を
みた。
ボルトという名前に、陸上のレジェンド、ウサイン・
ボルト選手の極貧の子ども時代を描いたものかと勘違い
したのだった。
実際は、モンゴルのウランバートルでマンホールに住
み込んで命をつないでいた少年たちの20年間を記録し
た番組だった。
な~んだと思いながら、ついつい見てしまった。
極貧の中でも支えになっていたのは、試練をともにし
た親友と家族だった。
終戦直後の日本にもあった貧困であるが、現在は実感
することがない。
しかし、戦後日本の貧困といっても、子どもたちは読
み書きはできたし、乞食が新聞を読んでいると訪日外国
人に驚かれていたくらいである。
だから急速に経済復興したのだ。
そうはいっても、現代の子どもたちはまともに読み書
きができない。
単純な計算ができない子どもも少なくない。
豊かになっても、教育が劣化している証拠である。
並行して、家庭も劣化しているであろう。
信仰をおろそかにした国は滅びに至るものである。
宗教を教育から排除しているのが公務員教員であり、
日本の学校教育である。
そこに人間教育が成り立とうはずがない。
学校が犯罪の巣窟になっているのはその証左である。
学校の公設民営化を進めるべきである。
学校は塾経営のように民間企業として経営努力をする
ことだ。
学費の無償化も無用である。
無利子無担保の教育融資制度が充実すればよいのだ。
日銀融資制度として都市銀行に業務委託すればよい。
そのようなやり方で、近隣の親日国家の教育支援を行
うことである。
そのためには、憲法無効宣言に始まる革命が必要なの
である。
「黒船来航」が待たれることである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party