もみじ葉の いよいよ薄く 透けて見え
中村 梅士 Baishi
講義もいよいよ来週が今年の最終回となった。
忘年会か望年会か、心配した二日酔い状態の学生はい
なかった。
常連の一人は今日も爆睡し、地獄の底から響くような
大いびきをかいた。
多分、体質的な問題があるのだろう。
アスペルガー診断を受けた学生がそうだった。
昔は怒鳴り上げていたものだが、今は背筋を伸ばして
寝ろという指導はするが、寝たからと言って怒ることは
ない。
人間理解が進んだのだ。
今年は成果の上がった良い一年だった。
かつてなく多忙で苦しい夏の陣だったが、乗り越えて
成果が出ると、登頂した時のような爽快感に報われるも
のである。
しかも、無位無官でプアだから誰からも嫉妬されない。
これもある意味幸せなことである。
プアといっても、自分で選択したリスクがそうなった
というだけのことだから文句はない。
襤褸を纏った子路のごとくありたいと思うし、フェア
プレイでもある。
もっとも、着道楽、食道楽の嗜好がないわけではない。
それもお洒落というものだ。
今日は90分の授業中、20分はベガ星人の特質や、
サイボーグ製造技術とスポーツの未来、脳死による臓器
ドナーの善意と想定外の恐怖というような話しを入れた。
望年会欠席理由は、ベガ第三惑星への出張ということ
になっていたからだ。
すると、爆睡していた学生も目を覚ましてお目目ぱち
くりで聞き入って興味津々だった。
彼らにとっては永遠の生命と宇宙人の存在は希望であ
り、かつ無限の興味関心ごとである。
知らないことを存在しないという科学者の欺瞞という
話もするので、説得力がある。
ありうるということになるからである。
唯物論は科学ではあり得ない自己矛盾である。
無知の知、それこそが科学であると知るべきである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party
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