彼岸前 紫色に 日が暮れて
中村 梅士 Baishi
18時半にはとっぷりと日が暮れるようになってきた。
今日の日没は23分だった。
せっかく、仕事に追われない連休になったが、雨降りで外
には出そびれた。
しかし、明日は雨が降っても彼岸花を撮影にゆきたい。
もっとも、やらなければならない仕事は残っている。
のんびりとやれるというだけのことである。
読書課題も山積している。
これは楽しみだから追われることはない。
今日は銃をバンバン打ち合う『トランスポーター3』を最
後まで見てしまった。
敵は一発で倒れるが、主人公には弾がそれてゆく。
現実にはあり得ないカーチェイスも目が釘付けになるが、
F1レーサーでも激突して大事故になるのが現実である。
しかし、映画ではそれがあるのだ。
まあ、確かに映画は面白い。
いつの間にかアメリカ人になり、英国人になっている。
違うのは、英語が大半聞き取れないことだ。
一種の霊能力なのか・・・。
言語霊能力の修行として、次は『ナイト&デイ』というス
パイアクション映画を見る予定である。
何事もない日常であってもドラマチックなことがある。
公園の人工の川に、見かけない色の小鳥を見て驚いた。
写真を構えたが間に合わなかった。
なんと、すぐ目の前にカワセミがいたのである。
台風で迷い鳥になったのだろうか、それとも、護岸工事で
川を追われたのだろうか。
博多には何本か大きな川が博多湾に流れ込んでいるが、海
水が混じりあってカワセミの住めるところではない。
それとも、海の魚を食べることを覚えたのだろうか。
野生生物の神秘を失いたくはないものだ。
そのためにも、小さな政府でなければいけないのである。
川の領域に人が入り込みすぎているのである。
やはり、ニャンニャン様にお願いして、水罰を与えるべき
ではないのか。
現代の組織にとって、自動運転ができない状況にある。
つまり、リーダーの手腕が問われる。
しかし、組織とはいっても、武士道とういうものが成り立
つはずである。
生き延びることが組織の絶対原理ではないということだ。
社員が路頭に迷うとしても、すでに神の正義に反している
のだとすれば、そのことの方が迷わせている。
CHINAに取り入っている企業は、社員を地獄の仕事に使
っているともいえるからである。
武士道は個人的倫理だけにはとどまらない。
組織原理としても、武士道は貫かれるべきである。
武士道の本質とは何か。
それは、神に恥じない生き方をすることである。
あるいは、正義に生きることである。
そのために、滅びることがあるとしても、本望だと考える。
これが武士道だ。
安倍さんは武士道を心得ていなかった。
自己保身であり、騙くらかしの政治であり、姑息であった。
その政治責任は、辞任で済むことではあるまい。
少なくとも、資産をすべて国庫に返すべきであろう。
結局、菅新総理も、正義を貫くリーダーではない。
増税を企画し、国民をマイナンバー制度で管理支配し、他
人の懐に手を突っ込むような財政政策をやろうとしている。
主君・安部の政治手法を守ることが忠義とでも考えている
のだろう。
大石内蔵助の本領発揮というならば、習近平の首を上げる
ことであろう。
国内でというならば、二階の首と小池狸の皮を取ることで
あろう。
旧暦12月14日の討ち入りとなるだろうか。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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