聖木曜日(おととい)
ミサの中で、洗足式。フランシスコ教皇が、少年院の子供たち12人の足を洗ったということから、昔は選ばれた人だけだったこの儀式は身近な私たちになりました。男性だけだったものから女性もね。カトリック八王子教会は、3名でしたが、男性と青年と女性でした。
ちなみに、洗足式の水は? お湯で温かかったそうです。神父さまが「熱くない?」と聞かれたそうです。緊張したそうですよ。
手話サークルは、神父と会衆と福音もできるだけ担当。歌は歌詞がきこえないところはちょと難しかったですが、祭壇前だけでなく、会衆席のサークルの人たちも手話で表わします。長い朗読箇所は、隣の人は指さしをします。ろう者は文字を追いながら読み手の口を見ています。中には口をあまり動かさない人もいるので解りにくこともあります。大げさな口の動かし方も読み取りにくいそうです。ミサの最後に十字架の下にある聖櫃(ご聖体が入った箱)が空になり、脇の祭壇に移動されて、ミサは終わります。いつも、ミサが終わるとおしゃべりしてしかられることがあるのですが、この時は静かにお御堂を出ます。まだ満月ではないのですが、月がきれいで、木星・金星・を見ながら歩いてゆきました。
聖金曜日(きのう)
ミサは、イエスキリストが裁判にかけられ、十字架上で亡くなるまでの受難劇を祭壇で再現。司祭はキリスト✝語り手Cが長いので大変ですが、とてもよく朗読されていました。枝の主日の日に私が担当したところより沢山あります。共同祈願のあと十字架礼拝。聖堂入口から入ってくる十字架を迎え、祭壇前に置かれた十字架を行列して礼拝します。沢山の方がみえるので、今回は、ひざまづきはしないで、二人ずつ礼拝するようにとアナウンス。ずっと十字架賛歌を歌う。そのあと、脇の祭壇からご聖体がもどされて、通常の聖体拝領が行われてミサは終了。
聖土曜日(復活徹夜祭)
「復活祭っていつさ?」、復活祭は日曜日だけど、でも土曜日の夜に復活されるから、「じゃぁ、日曜日じゃん」なんて言う。太陽が沈んだら次の日ということなので、土曜日の夜はもう日曜日なのだ。でも、たしかこの人は8年前に私が、母校の復活徹夜祭で洗礼を受けた時しっかり一緒にいたのです。今日は会衆の箇所を手話通訳するので、朝から、歌の歌詞の手話練習。タッチングレースの十字架プレゼントの準備で忙しい。店がひまなのを喜んではいけない。
ミサの前、司祭がお手伝いの子供たちに説明をして、洗礼志願者にも式次第を説明。明かりが消されて、外で七輪の炭から火が復活ろうそくにともされる。火がなかなかつかないハプニング。司祭と会衆担当の手話は懐中電灯で照らしながら、つぎつぎにろうそくの火が会衆に広がって、ミサが始まった。ミサは朗読・唱・朗読・唱・・・で進行するから、歌が好きな私は長いミサもそんなに苦にならない。7時~9時すぎまでミサが行われ、復活卵をいただいて帰宅しました。やっぱり雲が厚くて、皆既月食は見えず、Weathernews で全国の皆既月食の画像を見たのでした。
復活祭(日曜日)
7時ミサに参加して、来週先唱なので歌の練習して帰宅。10時に手話ミサ。聖書クラスで一緒のMさんの朗読に合わせて手話通訳。朗読をしていたSさんはさすがに気持ちよい朗読でした。手話通訳は、最後に油断したので、間違えた。やっぱり最後まで気を抜いてはだめなのね。ミサ後にいつものように喫茶店でおしゃべりして帰宅した。今日は教会の人で店の人はてんてこ舞い。
車椅子初体験=車椅子押したことありますか?今日初めて経験しました。7時の時に車椅子がいいという方、車椅子を運ぶまではできたのですが、そのあとが解らなかったのです。介護タクシーのTさんが上手に介助しているのを見ました。10時ミサが終わったらお一人でいらしたので、「車椅子に乗られますか?」とたずねると、「お願いします」と言われたので、抱き上げる所は男の方にお願いして押してゆくのをしました。茶話会に出席したいということなので、信徒会館までおつれしました。教会の出口のスロープを下るのもバックして降りるので、けっこう重かったです。スロープも急だと力が必要とわかりました。これで、次回からお手伝いができます。
主のご復活おめでとうございます。
イエス様は、弱い人、貧しい人々のために十字架上で亡くなり、三日目に復活されました。カトリックの信徒の中には昔からの教えをしっかり守る方、新しい教えを受け入れる人など、さまざまです。成功を望んで神さまに頼る人もいますね。私たちは沢山良いことをしたり、立派な人間になったから愛して下さっているのとはちがいます。苦しい時も嬉しい時もいつもいっしょにいてくれる神さまです。
ミサの中では、旧約聖書と新約聖書の朗読の両方が読まれます。古い約束から、イエスキリストが現れた新しい約束は弱い人たちに寄り添う約束なのだということを教えています。自分の弱点もいとおしく思ってくれる神さまを私は信じています。