私が登山を始めようと思ったきっかけは、約半世紀前に旅先で眺めた壮大な山岳風景で、その日の事は今でも鮮明に覚えています。当時の私は首都圏の職場へ移って間もない頃で、恋人は勿論親しい友人さへおらず。孤独な青春の日々を過ごしていました。
そんな私が昭和52年の6月、数日間の休暇を得て信州へ一人旅に出掛けたのです。名前だけ知っていた上高地へ、松本駅から朝一番のバスで向かいました。上高地のバス停で降り、しばらく歩いて着いた河童橋の畔から仰いだ穂高連峰の眺めは私の想像を遥かに超え、その日本離れした山岳美に圧倒されてしまいました。
上高地、河童橋
穂高連峰の眺め
あの山へ近づきたいと思った私は、上下ジーンズに軽ザックの旅行姿のまま、登山者の後を追うように梓川沿いの歩道を歩き始めました。徳沢を過ぎ横尾の橋を渡って屛風岩の真下迄来ると登山道は雪道へ変わり、これ以上の前進は無理と諦め上高地へ引き返したのでした。
屏風岩下から北穂高岳
それでも諦め切れない私は松持市内へ戻って本屋で北アルプスの山岳地図を購入、入門コースと書かれた燕岳を登ってみようと決めました。翌日早朝に登山口の中房温泉へ着き、ジーンズ姿に普通の革靴のまま、何人もの登山者と一緒に合戦尾根の登山道を登って行きました。
合戦小屋までは順調に来たが、そこから上の道は雪に覆われていた。しかし此処まで来たら登らぬわけには行かぬと、若さと無知を武器に靴の中に雪が入るのも構わず強引に登り続けました。
合戦尾根上部の道
やがて稜線上の山小屋燕山荘に到着、それから稜線伝いに歩いて念願の燕岳山頂に到達した。山頂からは北アルプスの壮大な景観が広がっています。その時私は「ヨシ、これから俺は山男になって今見えている山を全部登ってやるぞ」と心に決めたのでした。
燕山荘付近から槍ヶ岳方面
燕岳直下の道
燕岳から燕山荘方面
登って来た道を降り登山口の中房温泉へ降り立ったのは夕方頃、既に終バスは去り途方にくれていると、親切な男性が車に乗せてくれ最寄りの駅まで私を送ってくれたのでした。
休暇を終えて職場へ戻った私は、次の休日に池袋駅東口の登山用品店「秀山荘」へ向かい、登山用具一式を買い求めました。そこから私の登山人生が始まり、今に至っています。
もし私に登山という趣味が無かったら、たぶん暗くて冴えない人生を過ごしていただろうと思います。そういう意味で、「山男になる」と決意したあの時の自分を褒めてやりたくなります。