sekiの徒然日記

旧布野村に週末帰農を始めて18年で遂に解散。今後は尾道からsekiの徒然日記として再スタート。

私の蕎麦暦

2008-03-26 11:41:53 | 蕎麦打ち
 私の蕎麦との出会いは約10年程前になりますが、当時の比和町でJAさんと町がタイアップ(と思う)して町おこしの一貫として「蕎麦の種をまいて、花見、刈り取り、蕎麦打ち」を体験する会に参加したことが始まりです。

 その後 数年は年に数回打つてみるだけで一向に腕は上がらず、麺は太いはいざ食べようと思えばバラバラに切れるはということで半ば投げていました。

 本格的に蕎麦を打つようになったのは、5年程前 縁あってこの布野村(当時は村でした)に週末帰農の田舎家を手に入れることができてからです、幸いにもすぐ隣の休耕田をお借りすることができ早速翌年の8月蕎麦の種をまきました。
 (以来勝手に布野ダッシュ村と称していますが一般認知度はありません!?)

 すぐに芽は出て9月下旬には真っ白い花は咲くはで極めて順調に育っていましたが、10月下旬の週末に訪れると見事に茶色に変わり立ち枯れで全滅でした、原因は少し早い霜が降りたことでした この地域では沿岸部と比較すると1ヶ月程前に種をまく必要があることを学びました。

 翌2年目からは7月中旬には種をまきこの失敗はないですが、台風によってなぎ倒される、長雨で茎が倒れる等のアクシデントは最中です、素人の自家栽培は苦労がつき物という教訓でした、更に刈り取った後に蕎麦の実だけを選別し粉にするという作業があすますが なにせ機械・動力というものがなくハンドメイドによる作業となり膨大な時間がかかり、失敗も多々ですがこれについては別途紹介します。

 さて本題の蕎麦打ちに戻ると5年前は蕎麦の実をとることに失敗しましたので、4年前から自家栽培による蕎麦粉でのそば打ちが本格化しましたが、独学自己流の悲しさ友人に振舞える程度にはなりましたがそこから一歩出ません。

 そこから更に一歩出たのは昨年3月退職し時間ができたことと、やはり昨年9月福山市熊野町の梶原さんと知り合い「福山そば打ち同好会」の立ち上げに参画し会員となり定例会で皆さんと一緒に打ちだしたことです、この福山蕎麦打ち同好会はイベント参加・福祉施設へのボランティア等色々やってますので別のコーナーで紹介したいと思います。

 色々長々いいましたが始めて10年、本気になって4年にしてようやく食べれる蕎麦が打てるようになった・・・・・ということです、そして自家栽培の蕎麦粉による安心・安全が一番誇れることです。
 始めて記事のうんちくはこれくらいで・・・・