なんか『あるある大辞典』の捏造問題が話題になっているけど、納豆食べてもやせないくらい、普通に考えたらわかるよなあ、と。つーか、食べて痩せるなんてありえないんだし。もし本当に痩せる食べ物があるのなら、ダイエット食品に新商品なんてありえんでしょ。効かないから新しいのが出るんだっつーの。
そもそも、テレビ見てでっちあげについて怒る人ってのは、テレビを与えちゃダメな人でしょう。
あの『笑点』にだって台本あるみたいだし(ネタはあらかじめ用意されている)。以前僕が関わった某関西系テレビ局の通販番組でも、販売数速報や、スタジオでジャンジャンなる電話、あれ全部やらせだったし(うちの会社の商品、放映では2000点売れたことになってたけど、実際は15点)。なつかしの『スーパージョッキー』での熱湯CMも、実際はぬるま湯、なんてのは当然のことでしょう(て、ビートたけしが言ってた)。“やらせ”を“リアル”に見せかける作業抜きに、そもそもテレビ番組は成り立つのでしょうか。
これはプロレスにもいえます。近年、とある暴露本により、プロレスはあらかじめ勝敗とストーリーが決められている予定調和なショー、とうのが周知の事実となりました。いわば、“やらせ”を“リアル”だとでっちあげていたのです。当然そのことで一部のファンは離れることになりましたが、一方でより熱狂的かつ狂信的なファンの増殖も起きています。
なぜ八百長スポーツにファンが群がるのか。それは「ストーリーがあらかじめ決まっている」からに他なりません。そのストーリーを読み、的中したときのカタルシス、予想をいい意味裏切られた時の驚き、そして期待はずれの時の失望感。大げさに言えば人生の如し、です。才能と素質のある特殊な人間が、人前で命をかけて予定調和を演じきる。その浮世離れした事象から発せられる「歪み」こそが、プロレスにしろ、テレビ番組のおもしろさの肝なのだと思います。
金払わずに見ている番組見て怒るったって、その番組を見ると決めたのあんたでしょ、つー話です。バカ野郎。