正論を並べ立ててしたり顔をしてる奴が、どうも気にくわない。
なんてことを書くと、自分の人間としての未熟さを公表しているみたいで、なんかモヤモヤ暗くなってくるのだけど、なんというか、今日は他に書くことが思いつかないのでまあいいか。
正論てのは、どこぞの漫画に載っていたように、「人の数だけある」わけで、すなわちこの世には60億通りもの正論があることになり、どんなに頑張っても衝突することは必死なのだけど、両方正しいのだから決着なんてつくわけがなく、結局声がデカい力押しタイプや、プライドが高くて引くことを知らないタイプ、立場的に優位に立つタイプなどが、相手のバカ負けを誘って論破する、というのが世間で繰り広げられる争い事の、おおよその顛末のような気がする(そうかなあ)。
自分をかんがみるに、正論というのは「相手を打ち負かす」ことを前提として産み出される。誰かにプライドを傷つけられそうになったとき、不利益を強いられそうになったとき、自分に自信が持てないとき、思い通りにいかない現状を打破するとき、などなど、相手を攻撃して自分の立場を持ち上げるときにのみ使用される。
したがって、正論や理詰めが好きな人間というのは、一見正しいことばかり言ってそうなのだけど、実際は他人を論破して自分を高めるのが大好きという、ちょっとろくでもない人間なのだ。
合わせて大抵の場合、粗探しが大好き、というパターンも多い。知らず知らずのうちに、必勝を期すための材料を探してしまっているのだろう。言い争いの時なども、一度相手に粗を見つけると、それが論争のテーマからかけ離れていたとしても、それのみをひたすら絨毯爆撃し、下手すると話題をそちらに転化してしまう。
なおこの手の人間を観察していると、たたみかける時にはやたら大声だったり、同じフレーズを繰り返したり、ギャグを言うや否や自分で大笑いして周囲に笑わざるをえない空気を撒き散らしたり、などなど自己防衛をかかさない。
で、本人は正しいことをしているつもりで、つまり自分はわかっている側の人間だという自負があるため、時に中途半端に自己分析をして反省なんかをしたりして、そこで黙って自己解決すればいいのに、みなに「実は反省していて夜も眠れない」みたいなことをこぼして再び自己弁護。この場合の謝罪は、もうやめるからね、ではなく、またやるけど許してね、本当は言いたくないし、ちゃんと言った後で反省してるからね、なのである。正直、死んでしまえ。
いや、これ全部僕のことなんだけど。
これから起こる理不尽なできごとの全てを自分のせいと断じ、一切他人のせいにせず、全て自分ひとりで抱えて消化し、ギリギリのところでそれを乗り越えてこそ男は成長する。そうわかっていても、うまいこと理論武装して自己弁護や言い訳に明け暮れてないと、なかなか人生やりすごせないというか。
先日テレビ番組で、ふかわりょうが、20代前半にあまりにも女性にもてなかったため、自分で自分は女嫌いなのだ、と無理やり洗脳して、かろうじて自我を保った、と話していたが、今現在恐ろしいまでに同意できる自分がいる。
ああ、分析すればするほど暗くなってきた。暗くなって暗くなって暗くなって・・・あれ?・・・一周してなんだか楽しくなってきたので、このテンションの冷めないうちに、すかさず寝ることにしようと思う。いひひ。
おやすみなさい、いい夢を(見れるかっ)。