最初に言っておく。今回のブログはいつにも増して初心者をおいてけぼるので、タイトルでピンと来なかった輩は即刻読み飛ばそう。なお、文中青字はようつべ動画へのリンクなので、削除されてたら見れない&ブロードバンド推奨&内緒の仕事で。
というわけでミルコ・クロコップである。K-1で日本格闘技界にデビューし、次いでPRIDEに参戦。ヒース・ヒーリング、ヴァンダレイ・シウバ、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、エメリヤーエンコ・ヒョードルらと激闘を重ね、PRIDE3強の一角として数えられる。
クロアチアの国会議員でもある彼の母国人気はすさまじく、日本での試合も大抵生中継され、目ん玉飛び出そうな視聴率をたたき出している。
勢いに乗っているときは鬼神のごとき強さを見せるが、ごくたまにもろさを見せ、その度にゼロから再出発を繰り返す彼に、僕らは過剰に感情移入していた。
そしてとうとう、2006年のPRIDE無差別級グランプリで優勝。“60億分の1”の称号を手に入れるに至る。
初戦の相手は美濃輪育久だった。試合前に流れた煽りVTRは珠玉のクオリティで、選手紹介映像のくせして感動に涙したファン多数。今でもネット上では語り草になっている。
準々決勝は元オリンピック柔道金メダリスト吉田秀彦戦。顔を突き出して殴って来いと挑発する吉田をあざ笑うかのようにローキックで足を破壊。正直笑った(不謹慎)。
準決勝はミドル級チャンピオン、ヴァンダレイ・シウバ戦。芸術とも言える打撃戦は、もはや神々の領域だった。こんなの見せられたら、後の人生、少々のことじゃ感動できないよ!
そして決勝。最強のアキバ系おたくジョシュ・バーネット(入場テーマは北斗の拳、好きなマンガはJOJO)との決勝戦。勝ちに徹するために必要以上に目を集中攻撃する様は、エグさを通りこして感動すらした。
そして掴み取った“人類最強”の称号。
これからも日本で、PRIDEでミルコの試合が見れる事を神に感謝していた・・・、のだけど、急転直下、今年の元日にミルコがアメリカの格闘技団体UFCに参戦するとの報が。高額なファイトマネーにつられたのか。PRIDEファンとしては非常にがっかりの、寝耳に水なニュースだった。中には裏切り者呼ばわりするファンもいた。
しかしミルコは雑誌のインタビューで、断腸の思いで決断したと告白、いずれは日本に戻ってくると約束した。それを証明するかのごとく、UFCでの第一戦はなんとPRIDEの公式テーマ曲で入場。これはたとえるなら、80年代にジャンプの漫画家がマガジンに移籍したあと「友情・努力・勝利」をテーマにマンガを描くようなものである(わかりにくいって)。もう喜びの鳥肌立ちまくりである。
結果は、当日のスポーツ番組でも特集されていたように、ミルコの圧勝。日本で生まれた総合格闘技PRIDEのレベルを満天下に知らしめる結果となった。
正直、彼のファンでもなんでもない僕に、ブログがひとりよがり呼ばわりされる危険を冒させてまで(なにをいまさら)、ここまでの熱烈な文章を書かせるミルコは、はっきり凄玉この上ないのだと思うのだよ。