なぜブログを続けているのか。
そりゃあ、性格がひねていて、人付き合いが悪く、日常で友人を作るのが苦手で、趣味も一般的なものがなにもないので、ネット上で偽名を使い顔を出さずに不特定多数の人に語りかければ、いつもより堂々と発言できるし、もしかしたら趣味を同じくする常連さんができて、そこから発展してお友達になれるかもしれないし、それが女の子だったら、あんなことやこんなことになってウハウハかもしれないぜ!イヒヒ!
などと考えそうになる自分を、冷静かつ客観的に見て冷ややかにあざ笑うもう一人の自分がいて(だいたい洗練された人気ブログを作れるような奴は日常もうまくいっている)、ええい、俺様はそんなチンケな目論見を理由には絶対しねえぞ、俺様はちゃんとわかっている側の人間だ、お前等一般市民とは違うんだよ!と、決意新たにするのだけど、それじゃあ一体なんのためだと改めて考えたところ、これが全然思いつかないのです。
たとえば、内輪向けに普段は内緒にしている内情を吐露し、失笑という名の笑いと同情をかって、せめて話題のすみっこにでもしてもらうためとか。そうなんだよなー、これだけ人と接触できてないと、悪口とかでもいいから話題にのぼってくれると嬉しくなっちゃうんだよ。
ってなんでやねん。俺はマゾか!・・・まーださっきの方がましやのう。
では、趣味を同じくするものに語りかけたり、初心者の人たちに紹介することで、その対象の素晴らしさを世間に認知してもらうための布教活動、なんてのはどうだろうか。なんか、もっともだけど、紹介される側にしたら、勝手な宣伝で的はずれな紹介をされた日には逆に迷惑この上ないだろうし、なによりも、他人が発信しているものを評価して、どうだ俺ってこんなすごい事が趣味なんだぜ!って、さも自分のことのようにわめきちらすのも、オリジナル性に乏しいというか、冷静に考えると恥ずかしい。
そうこう考えていると、結局このままブログを続けている意味も見出せなくなり、時間とサーバー容量の無駄じゃん、と気付き、これ以上他人の目を汚す前に、今回でこのブログは終了しようと思う。皆さん、本当にありがとうございました。
でもそうしてしまうと、なかなか他者に語りかける勇気のない僕は、数少ない自己表現の場を失い、また、たまーにある他者からの書き込みに感激して2~3日の間ニコニコしてしまう事もなくなってしまい、今後の人生途方に暮れてしまうこと確実なので、もう少しだけ、理由の見つからない現状のまま、ただやみくもにブログを続けていこうかと思う次第であります。あれ?
それにしても、アクセス解析をチェックしたところ、検索サイトを利用した結果このサイトにたどり着いた人が結構いることが判明。検索ワード第一位は『告白法』。
・・・これ以上被害者を増やさないうちに、やはり閉鎖すべきだろうか。いえる。