「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

制度 行方は -- 償いの意味 (12)

2009年06月28日 20時34分51秒 | 死刑制度と癒し
 
 昨年10月、 国連欧州本部で、

 日本政府代表団は 国連の規約人権委員会と 向き合っていました。

「 わが国の世論の多数は、 極めて悪質、 凶悪な犯罪については

 死刑も止むを得ないと 考えています 」

 外務省大使が説明すると、 人権委員は答えました。

「 死刑廃止国でさえ、 世論は死刑賛成でした。

 世論を根拠に 死刑の問題に 対処すべきではないのです 」

 人権委は日本に、 「 死刑廃止を前向きに考慮し、

 国民に対して 廃止が望ましいことを 伝えるべきだ 」 と勧告しました。

 死刑を廃止・停止する国は 年々増えています。


「 人殺し! 」

 そんな叫び声が、 最高裁の法廷で 裁判官に浴びせられた 時代がありました。

 80~90年代、 死刑廃止を求める市民団体が、

 死刑判決の度に 声を上げたのです。

 しかし オウム事件が起きて、 被害者支援の世論が 高まってきました。

 法廷の被害者遺族の前では 声を上げづらくなり、

 死刑廃止運動には 厳しい時代になりました。


 ヨーロッパの人は 人権尊重のような普遍的理念を

 精神の根底に 持っているのに対し、

 日本人は その時々の社会の規範、 現在なら 

 凶悪犯罪に 厳罰を求める姿勢を 重んじるといいます。

 さらに日本人には、 究極の償いを求める 精神文化があるそうです。

 諸沢英道教授は 被害者学の立場から指摘します。

「 刑罰は、 世論と被害者感情の 両方を考慮して 社会が決めるもの。

 被害者を孤立させない 支援体制が整わない限り、

 極刑を求める 遺族の思いは変わらない」

 まず 死刑の現状を知り、 民主主義が根付いている日本で、

 死刑がなければ 治安が維持できないかを 考える必要があります。

 裁判員制度がスタートしました。

 これまで国民は、 主権者である自分が

 死刑制度を維持してきたことに 無自覚でしたが、 裁判員になれば、

 人の命を絶つ 刑罰の重さを 突きつけられることになるでしょう。

〔 読売新聞より 〕
 
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終身刑 「緩慢な極刑」 -- 償いの意味 (11)

2009年06月26日 21時12分17秒 | 死刑制度と癒し
 
「 薬物注射によって 15分で処刑される方がいいか、

 40年も50年もかかる 残酷な刑がいいか。

 終身刑は 長くてゆっくりとした 死刑のようなものだ 」

 米ロサンゼルス郡刑務所で、 ある受刑者は語りました。

 19才の時、 薬物を服用して ホームレスを殺害し、

 仮釈放のない 終身刑を受けました。

 以来29年間 獄中にいます。

 最初の8~9年は、 絶望感から 暴力的になったといいます。

 この刑務所では 終身刑囚にルールを守らせるため、

 刑務官は常に 拳銃を携帯しています。

 アメリカでは49州に 仮釈放のない終身刑があります。

 一方、 主要国で 終身刑を設けているのは、

 死刑維持国では中国、 廃止国ではオランダくらいです。


 昨年、 日本でも 終身刑を創設する 議論が起きました。

 裁判員制度を視野に、 死刑と無期懲役の中間の 刑を作るというものでした。

 法務省は、 出所の希望のない 過酷な刑で、

 受刑者の人格も 破壊されるとしています。

 同年7月には 職員5人に、 ロサンゼルス郡刑務所などを 視察させました。

「 大きな声がしたら、 すぐに伏せなさい 」

 職員の一人は、 視察先の刑務所で 案内係に言われて驚きました。

 受刑者が暴れたりすると、

 見張り役の刑務官が 即座に銃を発砲するというのです。

 見学中、 受刑者に背中を向けると、

 刑務官から 「 殺されたいのか 」 と怒鳴られました。

 刑務官が丸腰の日本で、 終身刑囚の処遇は難しいと 痛感したといいます。


 姉の元夫に 両親ら3人を殺された 宇田川さん (43) は、

 元夫の死刑が確定したとき 思いました。

「 早く死んでもらいたい という気持ちがある一方で、 終身刑にして、

 亡くなった人のことを 考えながら、

 死ぬまで何十年も 苦しんでほしいとも思います 」

 一方、 池袋通り魔事件で 娘を失った宮園さん (74) は、

 終身刑には反対だと言います。

「 終身刑では、 加害者より 私たちの方が先に 寿命が尽きてしまう。

 加害者が 私たちより先に 死んで初めて、 遺族として心が癒される 」

 終身刑の議論とは別に、 無期懲役囚の 「終身刑化」 が進んでいます。

 07年までの10年間に、 刑務所内で死亡した 無期懲役囚は120人。

 仮釈放になった104人を 上回っています。

〔 読売新聞より 〕
 
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冤罪の危険、 今も -- 償いの意味 (10)

2009年06月25日 22時55分25秒 | 死刑制度と癒し
 
「 もう取り返しがつかない 」

 岩田弁護士 (63) は、 死刑執行の知らせを聞いて、 絶句しました。

 久間死刑囚 (70) は92年に、 福岡県飯塚市で

 小1女児をふたり 殺害したとして、 06年に最高裁で 死刑が確定。

 一貫して 無罪を主張しており、

 再審請求の準備をしている 最中だったのです。

 この飯塚事件では、 証拠とされたDNA鑑定は  「MCT118型検査法」。

 過日 管家利和さんが 17年ぶりに釈放された 足利事件と同じです。

「 DNA鑑定は一見 科学的に見えるからこそ、 うのみにするのは危険だ。

 特に 90年代初期の鑑定方法は 極めて杜撰だった 」

 と、 岩田弁護士は語ります。

 一方 捜査官の一人は、 状況証拠を積み重ねて、

 DNAだけに頼ったわけではない と反論しています。


 米国では、 死刑判決後に 冤罪が明らかになって

 釈放された死刑囚は、 133人。

 自白や目撃証言に 問題があったケースが多く、

 最近は DNA鑑定で有罪が覆る 例が続いています。

 イリノイ州では2000年に、 死刑囚で13人目の 冤罪が発覚しました。

 同州ではその年から 死刑執行を停止。

 DNA鑑定を受ける 権利の保障と、 鑑定資料の保管を 義務づけました。

 全米で 執行者数が激減しています。


 日本で 死刑囚が再審無罪となったのは 戦後4件で、

 事件は 48~55年に起きています。

 DNA鑑定導入後の足利事件で 無罪が確実になったことは、

 日本の冤罪の危険を 突きつけました。

 ある法務省幹部は、 慎重の上にも 慎重を期して調べ、

 問題がないと確信した 死刑囚についてのみ、 刑を執行してきた と言います。

 また別の幹部は、 科学的な証拠が 重要な位置を占める 事件では特に、

 多角的に 洗い直さなければならない、 と語っています。

〔 読売新聞より 〕
 
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韓国 執行停止11年半 -- 償いの意味 (9)

2009年06月24日 21時06分32秒 | 死刑制度と癒し
 
 2007年1月、 姜 (カン) 被告 (39才) は、

 女性を拉致、 乱暴したうえ 絞殺しました。

 遺体は2年間、 河川敷に埋められたままでした。

 姜被告は 他にも7人の女性を 殺害したことを自供しました。

 朝鮮日報は、 「 いかなる方法を用いてでも、

 犯人を社会から 永久に追放すべきではないか 」と、

 死刑執行に問題提起をしました。

 今年2月の世論調査でも、 死刑執行に賛成は 64%でした。

 韓国では 刑場の中央に 椅子が置かれ、

 死刑囚は座ったまま 首にロープをかけられます。

 椅子の下の床が開き、 死刑囚は地下に向かって 落下します。

 韓国は 金大中氏が1998年に 大統領に就任して以来、

 死刑は執行されていません。

 「光州事件」 (80年) で 死刑判決を受けた金氏は、

 その経験から 死刑反対派でした。

 柳・ 前国会議員 (60) は 74年に政治犯として 死刑判決を受けました。

「 寝るときも手錠をかけられる 不自由な生活を強制された 」

 その後、 無期懲役に減刑され、 政権が変わると 釈放されました。

 でっち上げの容疑で、 死刑が確定すると すぐに執行される者もいます。

 そうした過去が、 死刑に慎重な態度に つながっているといいます。

 昨年就任した 李明博大統領は、 死刑を支持する 立場を示しており、

 いつでも執行を再開できる 状況にあります。

 元裁判官は 疑問を投げかけます。

「 今のままでは、 死刑の執行が 時の政権によって 左右されてしまう。

 死刑制度をどうするかは 社会全体に関わる問題であり、

 国民の意見を聞きながら 維持か廃止か はっきりさせる必要がある 」

〔 読売新聞より 〕
 
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ギロチンなくても 治安守られる -- 償いの意味 (8)

2009年06月23日 21時39分34秒 | 死刑制度と癒し
 
 フランスはかつて ギロチンの国でした。

 斬首による死刑制度は、 1981年まで190年間 続けられていました。

( 1939年までは公開処刑でした。 )

 当時の世論では、 死刑賛成が62%、 反対が33%でした。

 それでも、 死刑廃止法案は 国民議会で可決されました。

「 世論が変わるのを 待っていたら、 死刑はいつまでも 廃止できなかった。

 政治家は、 時に先を読んで 国民を正しい方向に 導くべきだ 」

 当時の司法大臣 ロベール・ダンテール氏 (81) は 語ります。

 「国家」 が、 人の生きる権利を 奪うことは

 許されないと、 氏は強調します。

 死刑廃止後、 凶悪事件の件数には 統計上、 顕著な変化は 見られません。

 廃止から18年後の 99年、 世論調査で

 死刑反対 (48%) が 賛成 (46%) を 初めて上回り、

 以後 その差は広がっています。

 ギロチンがなくても 治安は守られると、 人々が確信を 持つに至ったのです。


「 憎しみからは 何も生まれない 」

 犯罪被害者遺族の支援団体 「 APEV 」 の

 アラン・ブーレイ代表 (62) は、 訪ねてくる遺族に 語りかけます。

 死刑廃止の88年、 9歳だった娘が 誘拐され、 命を奪われました。

 判決は無期拘禁刑。

 アラン氏は、 犯罪で子供を失った 遺族を助けたいと、

 APEVを設立しました。

 フランスでは 国などが犯罪被害者に 金銭的な補償する制度が 整備され、

 民間の支援団体も 多くあります。

 命の償いを 求めない代わりに、 社会全体で 被害者を支えるのです。

「 犯人に対する報復感情は、 苦しみを共に癒す 仲間がいることを知れば、

 時間と共に変わりうる 」

 ブーレイ氏は そう信じています。

〔 読売新聞より 〕
 
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アメリカ 執行も公開 -- 償いの意味 (7)

2009年06月22日 21時21分55秒 | 死刑制度と癒し
 
 カーテンが開くと、 ガラス窓の向こうに、

 ベッドに拘束された 黒人男性の死刑囚が見えます。

 左腕に 薬物注射用の管が 挿入されています。

 処刑室に面した 部屋のひとつに、 記者や地元メディアの3人と 教誨師。

 もうひとつの部屋には、 被害者の遺族6人もいます。

「 これから死刑を執行します 」

 所長の声が スピーカーから流れました。

 死刑囚は 教誨師に向けて親指を立て、

「 大丈夫だ 」という サインを送りました。

 遺族の方を 見ることはありませんでした。

 睡眠剤の注入が 始まります。

 次いで、 全身をまひさせる薬、

 さらに 心臓を停止される薬が 注入されます。

 死亡確認は 午後6時17分でした。

 執行に立ち会った 被害者の長女は、

「 最後に 反省の言葉を期待したのに、 こちらを 見向きもしなかった 」

 と、辛そうに語りました。


 アメリカで 死刑制度がある35州では 全て、

 遺族やメディアが 執行に立ち会えます。

 獄中の死刑囚への インタビューも、 多くの州で 認められています。

 薬物注射は絞首刑よりは 楽に死ねるだろうが、

 睡眠薬が効かないと 激痛が襲うこともあるらしい、

 という証言なども 得られます。

 メディアだけでなく 市民にも、 死刑に対する情報は 公開されています。

 市民が 制度の是非を 議論できるよう、

 コストをかけて 執行状況を公開しながら、 究極の刑を 維持してきた米国。

 犯行を否定し続けていた 死刑囚が、 執行直前

「 射殺したのは私です 」と 告白したこともあります。

 市民が 最期の瞬間を見届けることは 重要だと、 ある記者は述べています。

〔 読売新聞より 〕
 
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遠のく仮釈放 -- 償いの意味 (6)

2009年06月21日 14時58分33秒 | 死刑制度と癒し
 
「 一日でも早く 仮釈放になりたい。

 だけど 亡くなった人のことを 思えば、 むやみにそうは言えない 」

 刑務所に入って 25年以上の無期懲役囚、

 坊主頭には 白いものが交じっています。

 未成年の男性の 命を奪い、 無期懲役が確定しました。

 入所したとき、 頑張れば 15~16年で出られると、 職員に言われました。

 ところが、 無期懲役囚の仮釈放は 年々遠ざかりつつあります。

 仮釈放までの平均受刑期間は、 98年が 20年10ヶ月でしたが、

 07年は 31年10ヶ月と 大幅に延びました。

 有期刑の上限が 懲役20年から 30年に引き上げられ、

 犯罪被害者が 仮釈放の慎重な運用を 望んでいる背景があります。

 70歳の ある無期懲役囚は、 服役が40年になり、

 脱け殻のようになってしまいました。

 別の無期懲役囚は、 終点が全く見えず、 精神的負担が大きいと訴えます。

 一方、 無期懲役囚の間で、 刑務所で 一生を送るしかないなら、

 居心地よく過ごそうという 意識が広がってきているようです。

 このような状態では 真の反省を求めるのは 難しいと、

 教誨師の牧師は嘆きます。


 高橋義政・ 無期懲役囚 (29) は、 服役中に勉強し、

 いつか 税理士の資格を取りたいと、 担当弁護士に伝えました。

 二人を殺害して 死刑を覚悟し、 生きる気力も失いました。

 一審・二審は、 父親の虐待など 劣悪な成育環境の 影響に言及し、

 無期懲役を選択しました。

「 初めて 自分の言葉を 真剣に聞いてもらった 」

 裁判所に感謝の気持ちを述べるようになりました。

 刑務作業で得たお金を 遺族に支払っていく 決意もしました。

「 勉強したことを 社会で生かす希望を 捨てないでほしい 」 と、

 弁護士は願っています。

〔 読売新聞より 〕
 
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無期  反省続くか -- 償いの意味 (5)

2009年06月16日 21時22分19秒 | 死刑制度と癒し
 
 1999年9月、

 3人の死刑囚の 刑が執行されたニュースが 報じられました。

 3人とも無期懲役囚で、

 仮釈放中に 再び殺人を犯して 死刑が確定したのです。

 桜井昌司さん (62) は そのうちの一人を 知っていました。

 冤罪で服役中、 刑務所で一緒だったのです。

 その男は 刑務官には模範囚ぶりを 示していましたが、

 仲間がミスをすると すぐ刑務官に言いつけるような 嫌がらせをしていました。

 刑務所から出して大丈夫なのか と思う人間が、 刑務官に媚びへつらい、

 仮釈放されるのを 桜井さんは見てきました。

                   *

 千葉刑務所の教誨室では 毎月1回、

 受刑者が その月に命日を迎える被害者の 冥福を祈ります。

 定員が約30人の教誨室は 常に埋まり、

 2回に分けて 行なうこともあります。

 償いの気持ちを 持続するのは簡単ではありません。

 多くの受刑者は まじめに教誨を受けていますが、

 早く仮釈放になりたいため、 反省を装う人もいるようです。

 仮釈放を判断する 地方更生保護委員会の元委員は、

 無期懲役囚は 特に慎重に 反省の度合いを 確認すると言います。

 しかし その判断は難しく、

 自信を持って 許可を出せたことは 一度もなかったと明かしました。

                   *

 仮釈放された人は、 社会に順応するため、

 一定期間を 更生保護施設で過ごします。

 60を過ぎた ある無期懲役囚は 毎朝6時前に起きて、

 自分が殺害した被害者に 線香を上げます。

「 もう見せかけの償いなど 必要ないのだから、

 本当に反省しているのだろう 」

 施設長は そう語りました。

〔 読売新聞より 〕
 
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真の謝罪とは -- 償いの意味 (4)

2009年06月15日 14時42分41秒 | 死刑制度と癒し
 
 88年、 共謀して 会社経営者ら二人を殺害し、

 現金1億円を奪った 河村啓三被告 (50)。

 拘置所で 僧侶の教誨を受け、

 独房では毎日読経して 被害者の冥福を祈っています。

 遺族には 謝罪の手紙を送り続けました。

 そして 98年の初夏、 被害者の父親から 初めての返事が届き、

 河村被告は 体の震えが止まらなくなりました。

 謝罪の気持ちが 遺族に伝わって、 一層、

 自分の犯した 罪の重大さに 向き合わざる得なくなりました。

「 一日でも早く 刑死されるべきだと思います。

 しかし 生かされているのも 仏のおぼしめしだと考え、

 一生懸命生きていこうと思う 自分がいます 」

                   *

 06年、 仙台高裁は 一審の無期懲役を破棄し、

 高塩正裕被告に 死刑を言い渡しました。

「 死刑判決という結果に対し、

 素直に頭を下げられた 自分の気持ちを大事にしたい 」

 高塩被告は04年、 民家に押し入って 女性とその次女を刺殺し、

 約5万円を奪いました。

「 二人を殺した自分は、 他人の手で 殺されるのが当然 」

 内田正之弁護士 (52) は、 高塩被告に上告するよう 説得を重ねました。

「 本当の後悔や謝罪は、

 自分の心の闇を 見つめ続けた果てに 得られるのではないか 」

 死刑に処せられること自体が 目的になると、 そこで思考が 停止してしまい、

 真の意味での 反省に到達できないように 思えたのです。

 高塩被告は 自ら上告を取り下げ、 08年の10月に 死刑が執行されました。

 遺族に 謝罪の気持ちを示すことは ありませんでした。

「 今さら謝っても、 口先だけの謝罪になってしまう。

 死刑になることが、 まっとうな落ち着きどころだ 」

 遺族の女性は、

 法廷の被告から 反省の気持ちが 伝わってきたことはありません。

「 ただ死ぬだけでなく、 一言でいいから、 心から謝ってほしかった 」

〔 読売新聞より 〕
 
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母を殺した父 -- 償いの意味 (3)

2009年06月14日 10時03分16秒 | 死刑制度と癒し
 
「 死刑になるのは 仕方ないと思います 」

 大山清隆被告 (47) は 1998年、

 養父の頭を 鉄アレイで何度も殴ったうえ、

 車の助手席に乗せて ブロック壁に激突させ殺害。

 2000年には、 妻を 自宅の浴槽に沈めて 溺死させた後、

 岸壁から海中に捨てました。

 不慮の事故を装い、 保険金約7300万円を だまし取ったのです。

 一審・ 二審とも 死刑を言い渡しました。

 大山被告の長男は (21) は、 小学校6年のとき、

 母親が 誤って海に落ちたと 聞かされていました。

 中学2年のとき 父親が逮捕され、 母が殺されたことを知ります。

 学校では、 人殺しの子供という 話し声が耳に入り、 友人も離れていきました。

 次第に生活は乱れて、 家族や友人を奪った 父を憎み、

 早く死んでくれとさえ 思いました。

 ところが、 一審の死刑判決を知って 動揺したのです。

 久しぶりに 拘置所を訪ねました。

 ひどくやせた父は、 「 ごめんな、 ごめんな 」

 とひたすら 頭を下げ続けました。

 それから、 拘置所通いが始まります。

 父親も毎週のように 謝罪の手紙をつづりました。

 母を殺した父を 許したわけではありません。

 ただ、 父が死刑になっても 母親は戻らない。

「 心から反省して 生き続けることこそ、 償いではないのか 」

 そんな考えに 辿り着きました。

 母は被害者、 父は加害者。

 命や家族の大切さを 考えるようになった長男は、

 父の刑が執行されたら 受け止められないだろうと語ります。

 大山被告は、 独房の廊下の鉄の扉が 開く音がするたびに、

 息子の面会を 刑務官が知らせに来たのかと 思います。

 しかし 死刑が確定すると、 執行のお迎えかという 恐怖に変わります。

「 それに耐えられるかどうかは、 自分でも分かりません 」

〔 読売新聞より 〕
 
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社会守る …… 「やむなし」 -- 償いの意味 (2)

2009年06月12日 22時04分02秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 「闇サイト事件」 で、 犯人の死刑を求める 署名をした人の中には、

 地下鉄サリン事件の実行犯の 弁護を勤める、

 田瀬英敏弁護士 (52) もいました。

< 今回の凶行は 悪質極まりなく、 社会防衛の観点からも

 遺族の応報感情の点からも、 死刑は 止むを得ないと思います >

 オウム真理教元幹部の 広瀬健一被告 (44) は、

 一貫して罪を悔いる 姿勢を示しており、

 田瀬弁護士は 死刑は重すぎると感じて 弁護を引き受けました。

 しかし、 闇サイト事件で 死刑が下されなければ、

 女性が夜道を歩くことが 命がけになってしまうと 思ったのです。


 仮釈放者らを支援する 保護司・ 米堂征男さん (65) も、

 闇サイト事件の署名に 加わりました。

「 一人娘を奪われた 磯谷さんの悔しさを思うと、

 居ても立っても いられませんでした 」

 米堂さんは 更生を手助けすることに やりがいを感じてきました。

「 加害者の更生は大切だが、 もっと大事なのは、

 まじめに生活している人が 人生を奪われないこと 」


 都内の40代の主婦は、 署名を集めるため 近所を回っていたとき、

 裁判員候補に選ばれた 通知を受けました。

 単純に署名を送ればいい という心境ではなくなったといいます。

「 裁判員として 死刑を選択することを 想像したら、

 死刑が とても重い意味を持つものとして 自分に迫ってきた 」

 命が大切だからこそ、 感情論ではなく、

 社会のために 危険の芽を摘む意味で、

 私が死刑を求めても いいのではないか……。

 主婦は自分も含め、 50人を超える署名を 郵送しました。

〔 読売新聞より 〕
 
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「極刑を」  32万人署名 -- 償いの意味 (1)

2009年06月11日 21時08分37秒 | 死刑制度と癒し
 
 読売新聞の連載 「死刑」 の 第4部が始まりました。

 今回の特集は  「償いの意味」 というテーマです。

 海外の実情も報告しながら、 死刑の意味を考えるということです。

 引き続き 紹介していきたいと思います。

-------------------------------------

 「 愛知・ 闇サイト事件 」で

 一人娘を失った 磯谷 (いそがい) 富美子さん (57) は、

 この日届いた 3万5000人分の 署名を受け取りました。

 加害者3人の 死刑を求める署名です。

 2007年8月、 娘の利恵さん (当時31才) は

 帰宅中に 車で連れ去られ、

 ハンマーで殴打されたうえ ロープで絞殺されました。

 3人の男は 闇サイトで知り合い、 金目当てで、

 通りがかりの利恵さんを 襲ったのです。

 磯谷さんはHPで、 死刑を求める 署名活動を始めました。

 目標は3万人でしたが、 2ヶ月で20万人を超え、

 今年3月の判決公判までに 32万人に達しました。

< 「 誰でもよかった 」という言葉は ショックでした。

 ひょっとしたら 自分が殺されていたかもしれない >

< 大学生の娘を 育てております。

 娘が毎日 帰宅するまで、 気がかりでなりません >

 ネットを通じた犯罪者集団が、 見ず知らずの市民を 殺害した犯行に対する、

 切迫した不安感が にじんでいます。

 名古屋地裁は 極刑を選択した理由を こう述べました。

「 この主の犯罪は 凶悪化・ 巧妙化しやすく、 模倣される恐れも高い。

 社会の安全にとって 脅威というほかなく、

 厳罰をもって臨む必要性が 誠に高い 」

(次の記事に続く)

〔 読売新聞より 〕
 
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陪審員12人、 議論21時間 -- 選択の重さ (9)

2009年06月07日 11時22分09秒 | 死刑制度と癒し
 
 米国の陪審制では 量刑は裁判官が決めますが、

 死刑が求刑された 事件だけは、 陪審員が刑を決める 州が多く、

 死刑の判断を 市民に委ねています。

 昨年2月6日、 米サウスカロライナ州の評議室、

 12人の陪審員たちの 採決は大きく割れました。

 被告の男は2006年に 妻を銃殺した罪で 起訴され、

 無罪を主張しましたが、 陪審員は有罪と判断。

 何度か採決を 重ねた末、

 10人が死刑、 残る2人は 終身刑を支持しました。

 午後6時半、 評議初日が終わりました。

 2月7日、 評議2日目。

「 死刑より終身刑で、 一生罪を償わせるべきよ 」

 元刑務所職員の 60歳代の女性が言いました。

「 終身刑にしたら、 この被告は反省することもなく、

 雑居房で 無罪だと言い続けるだろう 」 と 別の陪審員が反論します。

 女性はほどなく、 終身刑から 死刑支持に回りました。

 終身刑を主張するのは、 40歳代の黒人男性 一人になりました。

 男性は 死刑の刑罰そのものを 否定して譲りません。

 2月8日、 評議3日目。

「 そもそも死刑制度に反対なら、 この事件の陪審員に なる資格はない 」

 黒人男性は、 「 皆がそれほど強く 死刑を主張するなら、

 やむを得ない 」 とつぶやきました。

 3日間で 計21時間に及んだ 評議は終わり、

 全員一致で 死刑の結論になったのです。



 日本の裁判官は、 過去の量刑例を 緻密に比較しながら、

 極刑を選択するかどうか 判断してきました。

 しかし 東京高裁の裁判長を務めた 村上光鵄 (こうし) 氏 (69) は、

 死刑に関して 職業裁判官が培ってきた感覚と、

 一般社会の処罰感情の間に 差が生じているような 気がしてなりません。

「 自分たちの結論は、 国民が考える刑より 軽いのか 」

 5月から 裁判員制度が始まりました。

 国民が選択の重みを、 裁判官とともに 噛みしめる日が来たのです。

〔 読売新聞より 〕
 
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被告の人生 変えた責任 -- 選択の重さ (8)

2009年06月06日 21時20分56秒 | 死刑制度と癒し
 
 熊本県で 87年に起きた、

 大学生誘拐殺人事件の 田本竜也被告 (当時21才)。

 小学校の同級生の男子学生を 山中に誘い出し殺害、 身代金を要求しました。

 荒木勝己氏 (81) は 熊本地裁の裁判長として、 一審を担当しました。

 被告は 反省の言葉を口にし、 写経をして 被害者の冥福を祈っています。

 荒木裁判長は 「 無期懲役でいいのでは 」と 何度も考えました。

 身代金目的の誘拐殺人を 重く見て 極刑を選択しましたが、

 言い渡し後、 「 更生の可能性は あったかもしれない 」と

 気にかかっていたのです。

 息をのむような気持ちで待った 控訴審の結果は、 一審と同じ死刑。

 ほっとする反面、

 「 死刑を回避することはできなかったか 」 と やるせなさも感じました。



 79年12月、 「 松山事件 」で 死刑が確定していた

 斎藤幸夫さんの 再審開始が決まりました。

 「 誤判ということになれば、 自分はこれから、

 どのように 身を処していけばいいのだろうか 」

 萩原金美氏 (77) は26歳の時、

 仙台地裁の陪席裁判官として、 斎藤さんの死刑判決を 出していました。

 被告が使ったとされる 布団の血痕の 鑑定が焦点となり、

 結果は 血液型は被害者と一致。

 「 本当に大丈夫だったのか 」

 萩原氏は 事件の記憶が 不意によみがえるたびに、

 鑑定結果を 自分に言い聞かせました。

 そして84年、 再審判決は 無罪を言い渡したのです。

「 一人の人生を 大きく変えてしまった責任を どうとればいいのか 」

 萩原氏は 誤判にかかわった元裁判官として、 新聞社に寄稿しました。

 その後も萩原氏は 自身の体験を講演し、

 論文で 自らの誤判に触れ、 事実認定の難しさを 訴えています。

〔 読売新聞より 〕
 
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三審、 それぞれの苦悩 -- 選択の重さ (7)

2009年06月05日 21時57分06秒 | 死刑制度と癒し
 
 91年、 広島地裁の田川雄三裁判長 (74) は、

 「 明日の判決は、 最後まで自分で読み上げたい 」 と語りました。

 喉頭がんを患い、 結審後に入院。

 明日の判決言い渡しが 終われば、 また病院に戻ります。

 初公判から被告と相対してきた 自分が言い渡すことが、

 被告に判決を 納得させることにつながると 信じたのです。

 飲食店経営者ら 一家3人を殺害した 禹 (う) 起宗被告に、

 田川裁判長は 判決理由から朗読を始めました。

 最後に  「被告人を死刑に処する」 と 主文を告げた後、 語りかけました。

「 控訴できますから、 弁護人とよく相談しなさい 」



 名古屋市内で 姉妹が拉致され、

 ドラム缶の中で 生きたまま焼き殺された事件。

 名古屋高裁の川原誠裁判長 (68) は、

「 『事実認定は高裁が最終審』 という 責任を持たなくてはならない 」

 と肝に銘じてきました。

 犯人グループは6人。

 川原裁判長は 主犯格の野村哲也, 準主犯格の川村幸也両被告に、

 一審と同じ 死刑判決を言い渡しました。



 04年秋、 最高裁の滝井繁男判事 (72) は、

 持田孝被告の上告を棄却する 判決文に署名しながら、

 背筋が伸びる思いがしました。

「 もう後戻りできない。

 これで本当に 死刑が確定する 」

 婦女暴行事件の被害者が 警察に届けたことを恨み、

 出所後に 被害者を刺殺した事件。

 一審は無期懲役、 二審は死刑でした。

「 死刑以外の選択肢はないのか 」と 考え始めると、

 いくら時間があっても 足りません。

「 被告はこれ以上、 上訴できない。

 われわれには 最終審としての苦しさがあった 」



 病が癒えて 退官した田川氏は 明かしました。

「 あの時、 控訴の手続きを説明したのは、

 高裁の判断を仰いでほしいと 本気で思ったからです。

 審理を尽くしたという 自信はあった。

 それでも、 自分たちの判断だけで

 被告の命が 絶たれてしまうというのは、 あまりに重圧が大きかった 」

〔 読売新聞より 〕
 
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