昨年10月、 国連欧州本部で、
日本政府代表団は 国連の規約人権委員会と 向き合っていました。
「 わが国の世論の多数は、 極めて悪質、 凶悪な犯罪については
死刑も止むを得ないと 考えています 」
外務省大使が説明すると、 人権委員は答えました。
「 死刑廃止国でさえ、 世論は死刑賛成でした。
世論を根拠に 死刑の問題に 対処すべきではないのです 」
人権委は日本に、 「 死刑廃止を前向きに考慮し、
国民に対して 廃止が望ましいことを 伝えるべきだ 」 と勧告しました。
死刑を廃止・停止する国は 年々増えています。
「 人殺し! 」
そんな叫び声が、 最高裁の法廷で 裁判官に浴びせられた 時代がありました。
80~90年代、 死刑廃止を求める市民団体が、
死刑判決の度に 声を上げたのです。
しかし オウム事件が起きて、 被害者支援の世論が 高まってきました。
法廷の被害者遺族の前では 声を上げづらくなり、
死刑廃止運動には 厳しい時代になりました。
ヨーロッパの人は 人権尊重のような普遍的理念を
精神の根底に 持っているのに対し、
日本人は その時々の社会の規範、 現在なら
凶悪犯罪に 厳罰を求める姿勢を 重んじるといいます。
さらに日本人には、 究極の償いを求める 精神文化があるそうです。
諸沢英道教授は 被害者学の立場から指摘します。
「 刑罰は、 世論と被害者感情の 両方を考慮して 社会が決めるもの。
被害者を孤立させない 支援体制が整わない限り、
極刑を求める 遺族の思いは変わらない」
まず 死刑の現状を知り、 民主主義が根付いている日本で、
死刑がなければ 治安が維持できないかを 考える必要があります。
裁判員制度がスタートしました。
これまで国民は、 主権者である自分が
死刑制度を維持してきたことに 無自覚でしたが、 裁判員になれば、
人の命を絶つ 刑罰の重さを 突きつけられることになるでしょう。
〔 読売新聞より 〕