■美しくも悲しい歴史を持った硫黄島。
2016年の6月の訪島事業に参加し、初上陸してから約1年半が経ちました。
自分の娘も中2となり、
ついに授業として硫黄島に行く時期を迎えたのですが、
今年は残念なことに新おがさわら丸の重量に安全に対応できる係留ブイが用意できないことから、
2017年の訪島事業を中止する事態となってしまいました。
そんなわけで、今年は今日から開催される硫黄島3島クルーズに参加し、
洋上慰霊祭と献花を行い、参加することになりました。
去年、硫黄島の地を踏み、
痛烈なおもいをぜひ我が娘にも味わってほしかったのですが、
今回は上陸できないものの、
普段見ることのできない北硫黄島、硫黄島、南硫黄島を見に行く機会に恵まれました。
僕は鳥を見たさに参加。
なんと妻と次女も便乗(笑)。
結局、家族で硫黄三島クルーズに参加することになりました(長女は授業参加)。
今夜のおが丸で行ってきます!
■そして、遅くなりましたが、
去年から続いていた硫黄島のシリーズを、
美しい写真を振り返りながらおしまいにしたいと思います。
※写真は2016年6月撮影のものです。
【海鳥とすり鉢山のそびえたつ硫黄島の朝】
初めて硫黄島が見えた朝。
そのあまりの佇まいの美しさに言葉を失いました。
【硫黄島の地平線から上る朝日】
島なのに地平線が見える硫黄島。
その彼方の森の奥から昇る朝日は戦場の爪痕を超えてとても美しく希望に満ちていました。
【硫黄島の夜明け】
硫黄島の空に広がる圧倒的な雲。
朝だけでも硫黄島はあまりにドラマティックでした。
【朝日を浴びるうぐいす地獄】
硫黄島の玄関口でもある釜岩の近くにあるうぐいす地獄。
今も硫黄が吹き出る煙と匂いはきっと戦時中の兵士たちが感じたものと同じもの。
【砂浜からすり鉢山を望む】
釜岩から上陸し、遥かかなたに佇むすり鉢山。
激戦の地であったことを忘れるほど、美しい情景でした。
【大坂山の壕と青空】
弾痕の跡がない岩がないほど、戦闘が凄まじかった硫黄島。
その象徴でもある戦跡の上に広がる青空は、
きっとあの戦争の最中も兵士たちの心を癒してくれていたと思います。
【高射砲と青空】
荒野の中に佇む高射砲。
あたりの景色と異質なものが立っています。
あまりに悲しい光景なのに、なぜか美しいと思ってしまうのはなぜでしょう?
【高射砲に根付くいのち】
戦跡の中から確かな命が芽吹いていました。
僕はこれを見て震えるほど嬉しかったのです。
それは何か未来へのメッセージな気がしてなりませんでした。
【米軍上陸の浜とすり鉢山】
何百という戦艦を背景に、何千人という米兵が上陸した二ツ根浜。
ここから硫黄島の凄惨な戦闘が始まりました。
海が血の色で真っ赤に染まったといいます。
【夕暮れの硫黄島】
夜の帳が迫る中、硫黄島を後にします。
最後に船に乗り、硫黄島を一周して見えた景色。
まだ1万を超える遺骨が埋まったままの硫黄島。
一日も早く、遺族のもとへ帰れることを祈ります。
【Rest In Peace】
最後に洋上から献花を行い、黙祷。
長い長い汽笛の中、この多くの犠牲の上に私たちの平和な暮らしがあることを忘れてはいけない。
どうか、安らかにお眠りください。
日本人が硫黄島に帰島できない現状の中、
この訪島事業・遺骨収集で数百人が硫黄島を訪れる機会があります。
しかし、アメリカ人は年間10万人を超える観光客が硫黄島を訪れています。
この格差はもちろん、
最後の遺骨を収集し、遺族が硫黄島に帰島するまで、
硫黄島の戦後は終わりません。
これで硫黄島訪島事業2016に参加して各記事は終わりです。
どうもありがとうございました。
2017年 硫黄三島クルーズの記事はこちら
2017年 硫黄三島クルーズ 洋上慰霊祭の記事はこちら
2016年の6月の訪島事業に参加し、初上陸してから約1年半が経ちました。
自分の娘も中2となり、
ついに授業として硫黄島に行く時期を迎えたのですが、
今年は残念なことに新おがさわら丸の重量に安全に対応できる係留ブイが用意できないことから、
2017年の訪島事業を中止する事態となってしまいました。
そんなわけで、今年は今日から開催される硫黄島3島クルーズに参加し、
洋上慰霊祭と献花を行い、参加することになりました。
去年、硫黄島の地を踏み、
痛烈なおもいをぜひ我が娘にも味わってほしかったのですが、
今回は上陸できないものの、
普段見ることのできない北硫黄島、硫黄島、南硫黄島を見に行く機会に恵まれました。
僕は鳥を見たさに参加。
なんと妻と次女も便乗(笑)。
結局、家族で硫黄三島クルーズに参加することになりました(長女は授業参加)。
今夜のおが丸で行ってきます!
■そして、遅くなりましたが、
去年から続いていた硫黄島のシリーズを、
美しい写真を振り返りながらおしまいにしたいと思います。
※写真は2016年6月撮影のものです。
【海鳥とすり鉢山のそびえたつ硫黄島の朝】
初めて硫黄島が見えた朝。
そのあまりの佇まいの美しさに言葉を失いました。
【硫黄島の地平線から上る朝日】
島なのに地平線が見える硫黄島。
その彼方の森の奥から昇る朝日は戦場の爪痕を超えてとても美しく希望に満ちていました。
【硫黄島の夜明け】
硫黄島の空に広がる圧倒的な雲。
朝だけでも硫黄島はあまりにドラマティックでした。
【朝日を浴びるうぐいす地獄】
硫黄島の玄関口でもある釜岩の近くにあるうぐいす地獄。
今も硫黄が吹き出る煙と匂いはきっと戦時中の兵士たちが感じたものと同じもの。
【砂浜からすり鉢山を望む】
釜岩から上陸し、遥かかなたに佇むすり鉢山。
激戦の地であったことを忘れるほど、美しい情景でした。
【大坂山の壕と青空】
弾痕の跡がない岩がないほど、戦闘が凄まじかった硫黄島。
その象徴でもある戦跡の上に広がる青空は、
きっとあの戦争の最中も兵士たちの心を癒してくれていたと思います。
【高射砲と青空】
荒野の中に佇む高射砲。
あたりの景色と異質なものが立っています。
あまりに悲しい光景なのに、なぜか美しいと思ってしまうのはなぜでしょう?
【高射砲に根付くいのち】
戦跡の中から確かな命が芽吹いていました。
僕はこれを見て震えるほど嬉しかったのです。
それは何か未来へのメッセージな気がしてなりませんでした。
【米軍上陸の浜とすり鉢山】
何百という戦艦を背景に、何千人という米兵が上陸した二ツ根浜。
ここから硫黄島の凄惨な戦闘が始まりました。
海が血の色で真っ赤に染まったといいます。
【夕暮れの硫黄島】
夜の帳が迫る中、硫黄島を後にします。
最後に船に乗り、硫黄島を一周して見えた景色。
まだ1万を超える遺骨が埋まったままの硫黄島。
一日も早く、遺族のもとへ帰れることを祈ります。
【Rest In Peace】
最後に洋上から献花を行い、黙祷。
長い長い汽笛の中、この多くの犠牲の上に私たちの平和な暮らしがあることを忘れてはいけない。
どうか、安らかにお眠りください。
日本人が硫黄島に帰島できない現状の中、
この訪島事業・遺骨収集で数百人が硫黄島を訪れる機会があります。
しかし、アメリカ人は年間10万人を超える観光客が硫黄島を訪れています。
この格差はもちろん、
最後の遺骨を収集し、遺族が硫黄島に帰島するまで、
硫黄島の戦後は終わりません。
これで硫黄島訪島事業2016に参加して各記事は終わりです。
どうもありがとうございました。
2017年 硫黄三島クルーズの記事はこちら
2017年 硫黄三島クルーズ 洋上慰霊祭の記事はこちら