9月に産業革新機構から衣替えした「産業革新投資機構」で、役員の高額報酬を巡って経営陣と経産省の間で確執があることが報じられた。
経済に暗いので、新「産業革新投資機構」について拾い読みした。産業革新投資機構は、ほぼ100%政府が出資する法人であり、態様は「旧機構のように企業などへの直接投資はせず、傘下のファンドに投資を担わせて新会社はそのファンドを管理する」目的で世耕経産相の「政府が基本方針を示し、あとは投資や運用のプロにお任せする」という言に集約されると思う。また、同社のHPでは経営理念として〈産業や組織の壁を越えて、オープンイノヴェーションにより次世代の国富を担う産業を育成・創出する。〉とされていた。尤もな趣旨であり、官民を挙げて将来の日本株式会社の注力方向を決するグランドデザイナーたらんとする心意気に溢れていると見た。しかしながら、今回の騒動に際して改めて見つめ直すと、いささか眉に唾して観なければならないのではないだろうか。騒動の発端は、高額な役員報酬を巡り減額を求める経産省と現状維持を求める経営陣の対立であったが、業を煮やした経産省が来年度予算による出資減額まで検討する事態となっている。本日書きたいことは、高額報酬に固執する経営陣への貧者の怨み節である。経営陣の云う「ある程度の報酬を支払わなければ優秀な人材は集まらない」ことは理解できるが、グランドデザイナーに求められるのは社会(公)に対する奉仕の精神であると思う。社会の安寧は多くの奉仕で成り立っており、警察官・海上保安官・自衛隊員・市役所の窓口担当者・等々、彼等の報酬は機構経営陣の1/100にも満たないが、誇りをもって奉仕している。最も著名なのは、年収数百億円よりも年収4千万円(それも返上して1ドル)のアメリカのデザイナーの道を選んだトランプ大統領であろう。機構経営陣の先頭に立つ田中社長(65)は、大手金融機関で功成り名を遂げた人物であり、残りの人生を拝金ではなく奉仕に生きる年代と見た。古人も「起きて半畳寝て1畳、天下をとっても2合半」と人臣を極めた天下人の哀愁を云っている。日本の将来を左右できるかもしれない仕事・任務の判断基準が報酬の多寡であるのは何とも情けない気分である。
歴史上にも価値基準を報酬に置かなかった多くのグランドデザイナーがいる。維新の英傑西郷隆盛は「児孫のために美田を残さず」と云い、戦国の世に主家である上杉家を守り通した直江兼続は死に臨んで家督の一切を返上し、関東大震災後の東京の復興を担った後藤新平は「金銭を残して死ぬ者は下、人を残して死ぬ者は上」と喝破している。田中社長を始めとする経営陣が銘すべき事績ではないだろうか。