秋篠宮殿下が、今上陛下の譲位に伴い行われる大嘗祭は、天皇家の私的行事として国費の支出を疑問視する発言をされた。
今回の御発言を受けても政府は、大嘗祭を国事行為として国費で行うという従前の計画の通り実施することとした。憚り多いことであるが秋篠宮殿下の真意を推し量れば、国庫に対する御懸念に起因するところが大きいと考えるが、大嘗祭の意義を考えれば、古来は新天皇が天皇家の弥栄を神と歴代天皇に誓願する場であったかもしれないが、現行憲法下にあっては天皇は国民統合の象徴であり、天皇陛下が即位に当たって国民の代表として国家の伸張と安寧を誓願する儀式に変質しているのではないだろうかと思う。他国に例を求めるのも畏れ多いことであるが、国家元首の就任式は当然に国家行事で執り行われていることからも新天皇即位式の一環としての大嘗祭は国事行為であると考える。秋篠宮殿下には政教分離に抵触するか否かという御懸念もあると思うが、従前から書いているように神道には教典・教義による他律の強制がないことから、政治学の提唱する政教分離の宗教には当たらないと常々考えている。さらに、現在の元号法では1代1元号とされているために元号も改正される。元号は民心統一のキャッチフレーズとも呼べるもので、かっては天変地異や騒乱が起きると民心一新のために改元されていた。今回の今上陛下の禅譲を忖度すれば、ご自身の健康状態以上に若い天皇と新時代に相応しい元号で、日本の繁栄に弾みを付けようとされたのではないかとも考えている。中国でさえ折に触れてキャッチフレーズを変えているのは周知のところである。閑話休題、政教分離の定義に使用される宗教(神道)に対する自分の考えが異端ではなかろうかと心配になったので、ネットで調べてみた。神道を宗教とするもの、宗教ではないと主張するもの、等繚乱であるが、出雲大社紫野教会のHPの一文が常識的なものではなかろうかと思い転載させて頂く。<私個人の宗教の定義は、最も幅の広いものになると思いますが、「個人の生き方、行動の指針になる考え」はすべて一種の宗教だと思っています。神などいない、という唯物論も、宗教など信じない、という無宗教を自称する人の考えも宗教であると。(神道は)正確には宗教的概念というべきでしょうか。>
秋篠宮の御発言に端を発した大嘗祭の国費支出問題。皇位継承順位第2位の御発言であっても、大嘗祭を含む一連の即位式は国民全体で奉祝すべき儀式と思う。敢て不敬を覚悟で述べさせて頂けば、秋篠宮におかれては狭義の政教分離と国庫にご配慮いただく以上に、2600年に及ぶ皇統と東洋の神秘を守り通せる皇族であって欲しいと願うところである。