昨23日、天の陛下が85歳の誕生日を迎えられた。
来年の4月30日に譲位されて上皇と尊称されるために、天皇として迎える誕生日としては最後であり御感慨もひとしおと拝察する。現人神の立場から象徴天皇になることを余儀なくされた昭和天皇に対して、象徴天皇として即位された今上陛下は、お言葉の端々にも国民に気を使われる様子がありありと感じられるもので、皇統の永続と皇室文化の継承を担う傍ら、ある意味で逆の思考が求められる国民統合の象徴という憲法規定との融合に心を配られてのことと考えている。陛下は皇太子時代を含めると、御成婚時のパレードへの暴漢侵入、沖縄訪問時の火炎瓶事件、山形国体時の発煙筒事件など幾多の天皇制反対者の直接行動に遭遇されている。昭和天皇に対しては終戦後の荒廃した社会下での全国行脚でも直接的な行動は受けられなかったのではないだろうかと考えた時に、今上陛下が従来の高みより1段降りた結果に起因するのではないだろうかとも危惧している。陛下を含めて皇族が国民に近付こうとすればするほど、心無い国民は恰も不満を持つ隣人に対する行動と同じように振舞ってしまうのではないだろうか。帝国憲法が規定したように『神聖にして侵すべからず』の方が、天皇制の記述として正しいのではないだろうかとも感じてしまう。各国の大使が信任状を元首である天皇に奉呈する際には、社会主義国を含む殆どの大使が馬車に依る参内を希望し、天皇に拝謁したマッカーサーを含む外交官の多くが、世俗を離れた天皇と聖櫃に溢れた皇居に畏敬の念を持つとも云われている。天皇制反対を主張する人々が考えている日本国の体制がどのようなの物なのかが判然としない。おそらく国家元首は無機質な官邸に起居する、選挙で選ばれた大統領制若しくは中国式の国家主席の体制であろうが、トランプ氏の強権、マクロン氏の現実無視、習氏の新植民地主義、金正恩氏の先軍思想のように、いかに任期内で国際社会に波風を立てるかを使命とするような俗物が誕生することとなるであろう。大統領制の最悪の失敗例は韓国で、ポピュリズム至上の舵取りでは独自文化を育成・永続させることができないことを証明しているし、ドイツの大統領は名前すら答えられない。やはり、象徴的な天皇を元首として戴き、短期間の評価によって行政の長である総理大臣を選択できる現行制度の他には考えられないと思っている。
今の日本の大多数の国民は皇室を特権階級、遊山階級とは考えていないと思うので、天皇陛下を始めとする皇族方におかれては、一部の狂信者が唱える天皇制反対の声に惑わされることなく、東洋の神秘の根幹であって欲しいと願うものである。