産業革新投資機構が事実上の「開店休業」状態に陥った。
産業革新投資機構(JIC)の民間側経営陣の総退陣と機構の原資である来年度予算(1600億円)が取り下げられた。しかしながら、機構には旧機構から受け継いだ1600億円があることから、当面の間は事業が継続される見通しとも報じられている。12月6日付ブログで田中社長を含む民間側経営陣の高額報酬要求とグランドデザイナーとしての資質に貧者の疑問を呈したが、その後の報道を観ると一方的な思い込みが強すぎたと反省している。田中社長は記者会見で「報酬の多寡が主因ではない。例え報酬が1円でも引き受けた」と述べ、ファンドに対する経産省との認識の違いが騒動の発端であるとした。12月6日以降の報道や解説を読むと、ファンドから短期的(2~3年後?)に利潤を生まなければならないと考える民間企業感覚と利潤は度外視して将来(20年後)に投資するという国(経産省)の感覚、両者の時間軸に対する食い違いがそもそもの原因ではないだろうかと考えるようになった。民間側経営陣は短期に利潤を上げるため、国の原資外にも民間からの出資を呼び込んで投資額と投資先の拡大ができるように情報開示に縛られない孫ファンドを持とうとしたが、投資の透明性を第一として孫ファンドに反対する経産省との違いが大きいように思う。経産省との擦り合わせ結果であろうと見られるJICの経営理念を読む限り、当初から利潤という考えは希薄で、視点は将来の技術革新に資する(かも知れない)基礎研究等に向けられていたのではないだろうか。再び庶民感覚の開陳で申し訳ないが、JICに対しては「米百俵への貧者の一灯」の気持ちであり、その点からは経産省の姿勢に同感を禁じ得ない。
国民・厚生年金の杜撰な投資で大きな損失を負った殿様商法の教訓から、官僚は短期的な投資・投機に走らずに”餅は餅屋”の精神で投資を民間経営者に委託することは当然のことであるが、あくまで投資の方向性は官の責任であり、投資の透明性を確保することもまた官の責任であると思う。民間経営陣に期待するところは、官僚が予測し得ない世界の様相を描くことであり、それに資するであろう技術等の発見・育成ではないだろうか。投下できる資金を持ったシンクタンクのようなJICを期待するものである。