glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

ノートルダム寺院が燃えている

2019-04-16 07:18:02 | rememoro: 思い出

 いまノートルダム寺院が燃えています。1998年モンペリエで開かれたエスペラント大会の大会前遠足は3日間、パリで行われました。遠足の前日、息子がリヒテンシュタインにいたので、私は早朝チューリッヒからパリに向かい、ホテルに荷物を置いて、午後は一人でパリを散策しました。小さな公園が沢山あって、道がわからなくなるとそんな地元の人が憩いのひと時を過ごす公園のベンチで休憩しながら、地図を広げながら夕方まで歩き回ったのでした。 

 遠足の始まりは映像によるパリの歴史でした。遠足の説明にエリゼリア野原の散歩(Erizeriakampo?)パリに野原があるのかと驚いたのでしたが、これはシャンゼリゼのことでした。パリはノートルダム寺院のあるシテ島から始まっていました。シテ島は小さな農村で、川に囲まれているので外敵に襲われる危険が少なく、橋をかけて島民たちはエリゼリアの畑に通っていたのだそうです。

 ノートルダム寺院だけでなくナポレオンの眠る寺院や傷病兵病院(Invarida-Hospitalo)などがありました。パリっ子はせっかちです。セーヌ川下りでは、船のアナウンスに負けじと大声でエスペラントで説明し、一日は地下鉄で歩く遠足だったのですが、ものすごい速さで自動改札を通り抜ける。自動改札になれない参加者たちはあたふた。それに大股でどんどん歩くので、参加者たちはパリ中を走り回ってるようでした。ですが、モンパルナスの丘への小さな乗り物に乗っての遠足などパリの風景を存分に楽しみました。あの光景すっかり変わってしまうのでしょうね。パリの住民たちもきっと嘆いているでしょう!残念です。

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6320469#mce_temp_url#

 

訂正:前述の1993年バレンシア大会は間違い、1998年のモンペリエ大会に変更しました。


 この年は、息子のところにも10日ほど滞在し、手縫いでカーテンを縫ったり、ドイツやオーストラリアまでドライブしたり、国境の町バーゼルまで行き、坂の多い街を散歩したり、ドイツ・フランス・スイスの国境線の交わるところまで船で行ったり本当に楽しい夏休みでした。

 

コメント
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