ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

静かすぎHV車 中3の名案検証/明石

2010年08月03日 01時14分52秒 | 障害者の自立
走行音の静かな電気自動車やハイブリッド(HV)車の接近を歩行者に音で知らせる装置を、明石市の研究所が製品化した。中学生が考案した原理を元にし、電気を使わずに音が出て簡単に後付けできる。1日には、視覚障害の人たちに効果を確認してもらう実演が同市内であり、参加者からは「もっと高い音にしてほしい」などの改善提案が寄せられた。


 企画したのは「パスカル研究所」(岡本好晃(よし・てる)代表)。ジュラルミンと硬化プラスチック製の厚さ1センチ弱のケースにコインのような金属を入れ、ホイールの中心に装着する。低速では金属が「カタン、カタン」と音を鳴らし、時速20キロ超では遠心力で外側に張り付いて音がしなくなるという仕組みだ。商品名はカタカタ音を意味する「CLATTER(クラッター)i100」。


 原理は昨年、中学3年生だった同市の藤原丸(まる)君(15)が思いついた。福崎町の自動車関連商品メーカーが製造を請け負い、防水ゴムを内蔵させるなどの改良をした。発売元や時期は決まっていないが、前輪用二つで千円程度を想定している。岡本さんと連名で特許も出願している。


 岡本さんはNPO法人「兵庫県発明振興会」の理事長でもある。母親が振興会の会員という藤原君は「商品化されるとは思っていなかったのでびっくり」と喜ぶ。


 明石市立産業交流センターでは1日、市産業振興財団主催の発明品展示会があり、発音装置をトヨタの「プリウス」に付けて試した。市視覚障害者福祉協会の約10人が参加し、目の前を通過した車からカタカタと音がすれば手を挙げてもらった。


 全盲でマッサージ業の浅生(あさ・お)晴彦さん(58)は「自転車と間違う可能性がある。危険を感じさせるようなインパクトある音にしてほしい」と注文。弱視のためHV車の接近に気づかず冷やっとした経験があるという主婦の中島和さん(75)は「もう少し高い音にし、この音に慣れる機会も作ってほしい」と話した。こうした意見を踏まえ、今後改良も検討するという。


 音の静かな車の接近を知らせる装置については、国土交通省が視覚障害者団体などの指摘を受け、「発進から時速20キロまでの間に自動で発音する」などの要件を定めたガイドラインを1月に公表している。

朝日新聞

サムスン流で鍛え上げられるスゴイ犬

2010年08月03日 01時06分58秒 | 障害者の自立
 サムスンが徹底的に鍛えるのは人間だけでない。盲導犬、聴導犬などの育成にも力を入れる。きっかけは1988年のソウルオリンピック。犬を食べる韓国の習慣が海外で批判されたことから、「イメージを変えよう」とサムスンは特殊犬の養成に力を入れるようになった。

 少年時代を日本で過ごしたサムスン・グループのオーナーであるイ・ゴンヒ会長は、寂しさを紛らわすために犬を飼うようになり、愛犬家になった。サムスン流で育成された犬たちは世界の視覚障害者や聴覚障害者に寄付されて、活躍している。

 韓国のソウルから南にクルマで1時間。サムスングループの人材育成の総本山である「人力開発院」の近くに、「サムスン特殊犬育成訓練センター」が姿を現す。視覚障害者のパートナーとなる盲導犬や聴覚障害者の手助けをする聴導犬を育成する施設だ。


毎年、盲導犬15頭、聴導犬10頭を育成する

 美しい緑に囲まれた盲導犬の訓練所に足を踏み入れると、十数頭のレトリバー犬が出迎えてくれる。つぶらな瞳で訪問者を見つめる姿は、本当に愛くるしい。訪問者からは思わず「カワイイ」という歓声があがるほどだ。

 しかし彼らは厳しい訓練を経て、適性があると認められた場合にのみ、盲導犬として、社会に送り出される。従順なだけでは、盲導犬になれない。目が不自由な主人に代わって、自ら危険を察知し、止まるのか進むのかなどを判断できるようになる必要がある。

 見学者は、目隠しをして、盲導犬に手を引いてもらってテストコースを歩く体験ができる。障害物をよけたり、階段を上り下りしたりする際に、盲導犬は実に巧みに人間を誘導してくれる。ここまでのスキルを身につけるには、半年から1年という時間がかかるという。

 「訓練を経て、盲導犬になれるのは3割以下に過ぎない」と盲導犬を育成するサムスンの担当者は語る。サムスンで部長クラス以上に出世するのが難しいように、犬たちもふるいにかけられる。「(サムスンの)社員と同様に、自分で考えて判断する力を身につけられた犬だけが選ばれる」(サムスンの関係者)。

 人材だけでなく、犬の育成でもサムスンは世界的に知られている。盲導犬は毎年15頭、聴導犬は毎年10頭を育成する。1カ所で育成される特殊犬の数はアジアで最大規模だという。


犬虐待国のイメージ改善に立ち上がる

 サムスンが特殊犬の育成に取り組み始めたきっかけは、1988年にソウルオリンピックを開催する際に、韓国の犬食文化が批判されたことがある。

 韓国では、犬料理は滋養強壮や美容に効果があると考えられており、暑気払いに食べる習慣がある。「ポシンタン」と呼ばれる茹でた犬の肉を細かく裂いて、唐辛子をベースにした辛いスープで食べる鍋料理が知られる。韓国の中央日報によると、同国内では1年間に200万頭の犬が食べられているという。

 欧米などで批判が強かった「犬虐待国」というイメージを変えるために、サムスンは立ち上がった。1989年から盲導犬の育成を開始。サムスングループのイ・ゴンヒ会長は、日本で過ごした少年時代に、友達が少ない寂しさを紛らわせるために犬を飼うようになったとされる。以来、イ会長は大の犬好きとして知られており、自宅でも数十匹の犬を飼っていたことがあるほどだ。

 1993年にサムスンは、特殊犬育成訓練センターを設立。盲導犬などの育成を本格化させた。その後、聴導犬の育成にも乗り出し、2003年からは探知犬の育成にも乗り出した。麻薬や爆発物の取り締まりにも、サムスンが育成した探知犬は活躍している。地震などの災害時に、瓦礫の下に埋もれた生存者を見つけ出す救助犬も養成。困難な任務を全うできる“最強”の犬を鍛えるサムスンのノウハウは、世界で高く評価されている。

 特殊犬の育成にかかる費用は高額だ。1頭当たり数百万円にもなるが、サムスングループの各企業がお金を出し合って負担する。育成した犬たちは、世界の障害者団体や政府機関などに無償で提供する。ここまで特殊犬の育成に力を入れている民間機関は世界的にも極めて珍しい。

若者の自立支援プログラムにも活用

 韓国以外の海外における特殊犬の育成にも、サムスンは積極的に取り組んでいる。台湾やタイなどに育成した救助犬を寄贈。中国でも聴覚障害者のために補助犬を養成する施設の設立を支援した。

 日本では2008年5月に世界初の聴導犬の育成による若者の自立支援施設「あすなろ学校」を開設。半年間で5人の若者が5頭の聴導犬を育成するプログラムを提供している。児童養護施設などを卒業して、様々な事情で社会的自立を求められている若者が対象だという。彼らが聴導犬の訓練ノウハウを学ぶことで、補助犬訓練士などになって自立することを支援する。

 厚生労働省によると、日本国内では約34万人と言われる聴覚障害者に対して20頭しか聴導犬がいない。そこで日本サムスンは、あすなろ学校を通じて、日本国内の年間10頭の聴導犬を育成することに取り組んでいる。

 犬さえも徹底的に鍛え上げるサムスン。その仕組みは、人材育成にも通じる部分が多い。何事にも手を抜かずに世界一を目指すサムスンの「最高志向」という経営哲学は、犬の育成にも現れている。


日経ビジネス オンライン

広がる地域生活定着支援センター 出所者を支え再犯防止を /熊本

2010年08月03日 01時05分16秒 | 障害者の自立
 ◇県も事業候補者選定

 刑務所や少年院などを出た障害者や高齢者の社会復帰をどう進めていくのか。彼らを支援する「地域生活定着支援センター」の設置が全国で進んでいる。出所後の生活環境を整え、再犯防止につなげる狙いがある。県も6月、公募で施設運営の委託候補者を選んだ。支援活動の裏表を取材した。【遠山和宏】

 ■「刑務所を出たらどうなるのか」

 長崎県雲仙市にある更生保護施設。「刑務所に戻らないようにしようなんて、考えたことがなかったんですよ」。車椅子に乗った79歳の男性が過去を語り始めた。16歳の時、仲間との倉庫荒らしで刑務所へ。刑務所内でも傷害や脱走などの事件を起こした。出所後は暴力団に入り、前科16犯。今年5月に熊本刑務所を出るまで、79年の人生の通算約55年は「塀の中」だった。

 出所後の不安に襲われたのは、病気で歩けなくなった5年前だ。自己の経歴から介護施設への入所は難しいと考えていた。昨年1月に長崎県に全国初の生活定着支援センターを開いた社会福祉法人・南高愛隣会から、更生保護施設「雲仙・虹」を昨年末に紹介された。7、8回の面接を経て入所した。

 まず職員の温かい応対に心を打たれた。「こんなに優しくしてもらったことはない。行き場をなくし、また馬鹿なことをして刑務所へ戻ろうとしたかもしれない。歩けるようになったらボランティアをして恩返しをしたい」と声を震わせた。

 ■県内の設置の動きは--

 南高愛隣会は昨年9月、熊本市内に熊本地域生活定着支援センター準備室を置いた。県は公募の結果、同会を事業の候補者に選んだ。県と正式な契約を結べば、身元引受人がいない高齢者や障害者の出所予定者に関する情報を刑務所などから事前に聞き、介護施設などにあっせんできる。

 刑務所に長くいると住民票の再交付が必要になり、再交付までは生活保護も受けられない。出所者に拒否反応を示す福祉施設も多い。しかし「一時的にせよ住居を確保して職を探したり、福祉サービスを受けるきっかけが作れる」と、準備室の峯友信介所長はセンターの意義を語る。

 法務省の調べでは、知的障害が疑われる知能指数69以下の新規受刑者は、毎年全体の2割強を占める。その一方で知的障害者(疑いも含む)の受刑者のうち、福祉サービスが受けられる「療育手帳」の所持者は1割にも満たない。センターは障害者手帳や、生活保護、要介護認定などの申請手続きをして、出所者を支援する。

 ■出所者を放置すれば再犯は減らない

 再犯の問題も深刻だ。出所後1年未満での再犯は、知的障害者で約7割、高齢者で約5割にも上る。満期出所者で帰住先が未定の人は、知的障害者で約4割、高齢者では約5割を占める。再犯者の7割以上は無職だった。彼らへの生活支援は不可欠といえる。

 センターは国の呼びかけで昨年から設置が始まった。社会福祉法人などに委託して年度内には全国約40カ所で発足する見込みだ。

 峯友所長は「出所した高齢者や障害者への支援はこれまで見過ごされてきた。彼らはモンスターではなく、社会的な弱者の側面がある。手を差しのべないと再犯へと走りかねない。社会全体のためにも必要な支援を提供したい」と話している。

毎日新聞 2010年8月2日 地方版

障害者と健常者、2つの世界を一緒にする!3

2010年08月03日 01時02分05秒 | 障害者の自立
 締めくくりに社会に対するメッセージをお願いしたところ、上田さんはしっかりとした口調で、次のように答えてくれた。

上田 私はこれまで健常者の中でも、ろうの人たちの中でも同じ卓球をやってきて、双方のいいところを自分に取り込むことができたと思っています。だから、どちらも経験している自分には、どちらにもそのことを伝えることができるはず。2つの世界が一緒になれるように、壁を少しでも低くしていきたいです。


「過親切」はかえって煩わしいはず

 彼女たちに礼を述べ、入れ替わりで、西村さんにも今一度インタビューをお願いした。

―― 上田さんと佐藤さんを指導するに当たって、基本に据えているポリシーのようなものはあるのでしょうか?

西村 結局のところ、私は彼女たちとアスリート、競技者として付き合っている、ということですよね。同じルール、同じ用具で戦う以上、選手である彼女たちは障害があることを言い訳にはできない。指導者である私も、全く同じアスリートとして接しなければならない。そういうことだと考えています。

―― ですが、聞こえないという障害は、現実にありますよね。

西村 周囲の皆が理解したうえでの個別配慮は必要です。それはえこひいきではない。ですが、その理解がないと、本人たちには重荷になったり、時に卑屈になったりもする。要は、選手の立場になって考えることです。親切にし過ぎてはいけない。過保護ならぬ、「過親切」はかえって煩わしいのではないでしょうか。これは別に障害者だからと言うのではなく、誰だって同じですよね。

―― 彼女たちを実際に指導する時に心掛けていることは?

西村 これはほかの選手に対しても同じですが、大事なのは自分で考えさせること。いかに自立させるかです。そのためには、現場主義が重要。私自身がいつも現場にいて、選手を見ながら、どうやったら力を引き出せるか、常に考えているように心掛けています。

 それと、教える時は具体的に教えます。「ラケットを引け」ではなく、「あと30センチ手前に引け」とか、「もっと手首を使え」ではなく、「包丁でキャベツを切るように」といった具合です。

―― 今の時点で、上田さんと佐藤さんは、監督にとってどんな存在になっているのでしょうか?

西村 僕のほうが(真価を)問われている、ということですよ。最近は、練習が始まる前に、まず上田と佐藤の顔を見るんです。アイツらが元気だったら、ほかの部員たちも元気。そんなバロメーターの役割を果たしてくれています。もっとも、上田なんかは最近は大分悪くなりましたよ。僕が叱ったり、注意したりしても、都合が悪いことだと聞こえないふりをするんですよ、アイツは(笑)。

 西村監督が学生たちに教えているのは、卓球だけではない。流行の表現で言えば、それは「人間力」である。

 取材したこの日も猛練習の後、選手たちを床に座らせて「講話」を行った。この日の題材は、今年初めて入部してきた1年生の男子選手の勇気と努力について。この日は学外の男子チームの練習に参加していたため不在だったが、逆にそのタイミングを捉えてのことであろう。
 「後輩と言っても、見習うべき点は多い」と女子選手たちに語りかけた。話は20分近くも続いたが、この間、ほとんどの選手は西村さんの言葉を懸命にノートに書き留めていた。こうした“西村教室”はいつもの風景だという。

 また、体育館の片隅には、数十冊の書籍が入った段ボールが無造作に置かれていた。西村さんがポケットマネーで買い求め、自分で読んで良かった本ばかりだそうだ。スポーツ関係だけでなく、歴史者やビジネス書などもあり、選手たちは自由に借りていく。読んだ後は感想文を書くのが決まりだ。こちらはさながら“西村文庫”である。

人生の荒波に耐える強さとたくましさ

 「指導者人生の残り数十メートルをどう走り切るか」を考え続けているという西村さんに、「具体的に目指しているゴールは何か」を問うた。西村さんはためらうことなく、「卓球の監督というより、人生の監督になりたい」と答えた。

 最後に、もう1つだけ、質問した。上田さん、佐藤さん、加能さんの3選手へのインタビューを終えて、どうしても気になって仕方がないことがあった。それは、彼女たちの答えがあまりにも純粋で、完璧だったことへの“漠然とした危惧”である。

 彼女たちはみな、今様の若者とは思えないほどしっかりしている。それは素晴らしいことだし、真面目だがフレンドリーな対応にも心から感動し、共鳴した。だが、東京富士大学と西村監督という巨大な庇護者に守られている今の学生生活と、これから出て行く社会との間には大きな落差があるのではないか。

 世間にあるのは善意だけではない。無関心、無知、無視、冷淡、皮肉、嘲笑、ねたみ、そしり、時に悪意さえ露骨に顔を出す。それが、世間というものだ。

 彼女たちは本当に大丈夫なのだろうか。真っ直ぐな分だけ、期待が外れたり、裏切られたりした時の心の傷は深いものになり兼ねない。西村さんにそんな老婆心からの心配をぶつけると、「うん」と頷き、頬笑みながらこう言葉を繋いだ。

西村 そうした心配は確かにあると思います。だからこそ、私はアイツらを一生懸命鍛えている。世間の荒波にも耐えることができるたくましさ、強さ、あるいは闘争心を身につけさせる。卓球というスポーツを通じて体力を鍛え、勝負の厳しさを教える。人生を乗り切る基本は、やはり体力ですからね(笑)。それが私の仕事、私に課せられた役目なんだと自覚しています。

 「健常者と障害者の架け橋になりたい」という崇高な志。上田さんが打ち込んだストレートで力強いスマッシュを、ラケットの真ん中で受け止め、彼女たちの胸元にしっかりと打ち返すのは、私たちの社会が逃げずに果たさなければならない義務である。

日経ビジネス オンライン

障害者と健常者、2つの世界を一緒にする!2

2010年08月03日 01時00分44秒 | 障害者の自立
―― 上田さんが入学する時、西村監督に相部屋になるよう指示されました。その時、どんな気持ちでしたか?

加能 私で大丈夫だろうか、と不安でした。障害のある人と暮らした経験はもちろんありませんでしたし、親元を離れて1人で出てくる上田を支えなければならない責任の重さを感じました。

―― 最初の出会いから丸2年が過ぎた今はどうですか?

加能 上田も、佐藤もご覧の通り、明るくて素直なんで、とても助かっています(笑)。キャプテンとして皆に伝えることは、上田も佐藤もしっかりと理解してくれています。最初は人間恐怖症みたいなこともあるのかなと思っていましたが、全然違いましたね(笑)。ひたむきに練習に打ち込む上田と佐藤を見て、私のほうが励まされている感じです。

―― 2人の後輩とぶつかり合うようなことはなかったのですか。特に上田さんとは寮で同室。いろいろあったのでは・・・。

加能 話をする時に、しっかりと口を開かないと彼女たちには分からない場合があるのは確かです。上田も最初の頃は、分かったふりをしていることがありました。だから、「分からないとちゃんと言ってくれないと、こっちも困るんだよ」と、思い切って言ったことはありましたね。

 上田さん本人は筆者の質問に対しては決して明言しなかったものの、そうした行き違いは、実は上田さんにとっても大きな悩みだったようだ。

 西村さんが「取材の助けになるかもしれないから」と貸してくれたDVDの中に、そのことをうかがわせる場面が収められていた。デフリンピックに挑戦する上田さんたちの姿を追ったNHKや民放の報道番組数本を編集したものである。関西テレビが放映した関西ローカルニュースの特集に、1年生の最初の正月休みに帰省した上田さんと家族の久々の団欒を収録したシーンがあった。

 食事を終え、母親と静かに語り合う上田さん。「困ったことはない?」と聞くお母さんに、しばらく沈黙した後、「あまり私に仕事をさせてくれない。何かあっても『私がやるからいいよ』って・・・」と答える上田さんの目には涙が浮かんでいる。じっと聞いていたお母さんは、こう言って諭し始めた。

 「それは本当に優しい気持ちで言ってくれているんじゃない? 優しくしてくれたことに文句は言えないけど、確かに、優しさが辛いことだってあるよね。でも、それは萌から言わないと、(周りの人には)分かってもらえないよ」

 かたわらで、同じ聴覚障害のある5歳年上のお兄さんが優しい表情でうなずく。そんな会話をしているうちに、上田さんは笑顔を取り戻していた。

 この時の母子の対話と、加能さんが明かしてくれたエピソードが同じ時期の出来事だったかどうかは分からない。恐らくは、小さな衝突を含めて、こうした葛藤は何回もあったに違いない。いや、今でも時には繰り返されているだろう。それでも、3人の若者は口を揃えて「困ることはありません」と屈託のない笑顔で言い放つ。


双方を知るから、できることがある

 これ以上深追いすることは止めて、それぞれに今後の目標や将来の夢を聞いた。

上田 卓球を通じて学んだことを活かしたいです。でも、まだ卒業後のことは具体的には考えていません。当面の目標は、2013年にアテネで開かれる次のデフリンピックに出場することです。

佐藤 私も今は、アテネで金メダルを取ることが目標です。そのために、これからの生活を大切にしたいと思っています。

 一方、卒業を控えた加能さんは、より具体的な目標を語った。

加能 大学院への進学を希望しています。卓球部では上田たち聴覚障害者や中国からの留学生とも出会って、たくさんの経験をさせてもらいました。この貴重な経験を活かしながら、スポーツ教育に関わる仕事に携わりたいと思っています。