福原愛選手をはじめ、数々の一流選手を育ててきた名コーチの西村卓二・東京富士大学卓球部監督(元卓球女子ナショナルチーム監督)。その指導を受けたいと、健聴者しかいない同部に飛び込んだ聴覚障害のある上田萌、佐藤理穂両選手。
昨年9月に台北で開かれた「第21回デフリンピック」(4年に1度開かれるろう者[聴覚障害者]の国際スポーツ大会)の女子卓球シングルスでそれぞれ銀、銅メダルを獲得するなど、西村監督の指導の下、着実に成長を続けている。
それから約1年。上田さんは3年生に、佐藤さんは2年生にそれぞれ進級。寮で上田さんと同じ部屋で生活し、面倒を見てきた先輩の加能尚子さんは4年生になり、今年度のキャプテンを務めている。
3選手と西村監督それぞれに、東京富士大学での競技生活と将来の夢についてインタビューした。
3時間を超える激しい練習の後、加能尚子さん、上田萌さん、佐藤理穂さんの3選手に体育館の脇にある監督室にもう一度集まってもらった。少しでも本音に迫りたいと考え、あえて西村卓二監督には席を外していただいた。
念のため、手話通訳者を呼んでおいたが、上田さんも、佐藤さんもこちらの質問は「読話」でほぼ理解できていた。答えも発話で行い、聞き取れなかった場合だけ、手話通訳者に助けを求めた。
親友であり、良きライバルであり
―― 上田さん、佐藤さんは、子どもの頃に卓球を始めたとうかがっています。卓球に魅せられた理由は何ですか?
上田 私は4人兄弟なんですが、2番目の兄が同じ聴覚障害者で、卓球をやっていたことから興味を覚えました。まだ5歳の頃でしたが、たった1歳しか年が変わらない福原愛さんの試合を生で見て、憧れたのが直接のきっかけです。
―― 福原さんが「天才少女」と呼ばれていた頃ですよね。自分で始めてみて、卓球の魅力はどんな点にあるのでしょうか?
上田 卓球を通して、いろいろな出会いがあることです。私は小学校はろう学校に通いましたが、卓球以外では、健常者の人たちと関わりを持つ機会はほとんどありませんでしたから。
佐藤 私は協和発酵キリンの監督をしている父や兄の影響で、小学4年生の時に本格的に卓球を始めました。一番の魅力は、競技を通して自分をアピールできることです。
上田さんが中学、高校で全国大会に出場していたことは前編で既に紹介した。同じように、佐藤さんも中学3年生で全国中学校大会に出場、高校は卓球の名門、淑徳SC高等部に進み、インターハイに出場するなど、立派な成績を残している。2人が知り合ったのは、小学生時代でそれぞれ2年生と1年生の時。それ以来、お互いに励まし合う親友同士であり、卓球を始めてからは選手としての良きライバルでもある。
―― 改めて、東京富士大学を進路に選んだ理由をうかがいます。
上田 この大学でもっと成長したいと思ったからです。西村監督の指導を受けて、卓球についても、人間としても、いろんなことを学びたいと考えました。
佐藤 高校の時には、必ずしも完全燃焼できませんでした。だから日本一環境の整ったこの大学でもう一度挑戦したい、人間教育を大切にしている西村監督の下でもっと成長したい、と考えて進学しました。
試合会場で困るのはアナウンス
上田さんも、佐藤さんも、デフリンピックなどの聴覚障害者の大会だけを目標にしているわけではない。一般の学生リーグ戦などにも出場し、健聴の学生たちと戦っている。西村さんの言によれば、「いわゆる障害者スポーツとは違い、健聴者と全く同じ土俵、同じルールで戦うことに挑戦している」のである。
―― 健聴の選手と試合する際に、聞こえないために困ることは?
上田 試合会場で、自分が出る試合の卓球台がどこか、分からないことがあります。何番目の台で誰と誰が対戦するかは、試合当日、会場内でアナウンスされるだけなんです。それが分からず、焦ってしまうことがあるんです。
―― 普段の練習や日常生活で困ることは?
上田 子どもの頃は、同じ聴覚障害の兄がいたことで随分と助けられました。普通校の中学に入る時も、兄を知っている先生方は、聴覚障害者との接し方をよく理解されていましたから。
大学に入ってからも、ほとんど困ることはありません。1対1で話す時は、監督をはじめ部員は皆、大きく口を開けて、ゆっくりしゃべってくれますし。監督が部員全員に話す時など、1対複数ではよく分からないこともあります。でも、そんな時は誰かが後でフォローしてくれますから、不便さを感じることはありません。
佐藤 私も普段はほとんど困ることはないです。皆がかばってくれますから(笑)。ダブルスの試合中に、パートナーの口の開き方が小さくて、指示がよく分からないことはありますが、それもお互いに注意して解消するように努力しています。
上田さんも、佐藤さんも礼儀正しく、そして明るい。インタビュー中に、筆者が彼女たちの発した言葉を取り違えたことがあった。そんな時も、2人は萎縮することなく、「違いますよぉ」とケラケラ声を出して笑い弾ける。箸が転がってもおかしい年頃なのだろうが、ここまで素直な態度が取れる聴覚障害者には滅多に出会わない。すっかり彼女たちに魅せられてしまった。
「分からない」と言わないと、相手も分からない
「困ることはあまりない」という回答も、決して建前ではないだろう。だが、あまりにも優等生的に過ぎて、少し喰い足らない。そこで、2人を支えてきたキャプテンの加能さんに質問を振った。加能さんの立場は、会社組織に例えれば、偉い上司と若手・新人社員の間に立つ中間管理職にも似ている。つなぎ役には、人知れない苦労がつきまとうものである。
昨年9月に台北で開かれた「第21回デフリンピック」(4年に1度開かれるろう者[聴覚障害者]の国際スポーツ大会)の女子卓球シングルスでそれぞれ銀、銅メダルを獲得するなど、西村監督の指導の下、着実に成長を続けている。
それから約1年。上田さんは3年生に、佐藤さんは2年生にそれぞれ進級。寮で上田さんと同じ部屋で生活し、面倒を見てきた先輩の加能尚子さんは4年生になり、今年度のキャプテンを務めている。
3選手と西村監督それぞれに、東京富士大学での競技生活と将来の夢についてインタビューした。
3時間を超える激しい練習の後、加能尚子さん、上田萌さん、佐藤理穂さんの3選手に体育館の脇にある監督室にもう一度集まってもらった。少しでも本音に迫りたいと考え、あえて西村卓二監督には席を外していただいた。
念のため、手話通訳者を呼んでおいたが、上田さんも、佐藤さんもこちらの質問は「読話」でほぼ理解できていた。答えも発話で行い、聞き取れなかった場合だけ、手話通訳者に助けを求めた。
親友であり、良きライバルであり
―― 上田さん、佐藤さんは、子どもの頃に卓球を始めたとうかがっています。卓球に魅せられた理由は何ですか?
上田 私は4人兄弟なんですが、2番目の兄が同じ聴覚障害者で、卓球をやっていたことから興味を覚えました。まだ5歳の頃でしたが、たった1歳しか年が変わらない福原愛さんの試合を生で見て、憧れたのが直接のきっかけです。
―― 福原さんが「天才少女」と呼ばれていた頃ですよね。自分で始めてみて、卓球の魅力はどんな点にあるのでしょうか?
上田 卓球を通して、いろいろな出会いがあることです。私は小学校はろう学校に通いましたが、卓球以外では、健常者の人たちと関わりを持つ機会はほとんどありませんでしたから。
佐藤 私は協和発酵キリンの監督をしている父や兄の影響で、小学4年生の時に本格的に卓球を始めました。一番の魅力は、競技を通して自分をアピールできることです。
上田さんが中学、高校で全国大会に出場していたことは前編で既に紹介した。同じように、佐藤さんも中学3年生で全国中学校大会に出場、高校は卓球の名門、淑徳SC高等部に進み、インターハイに出場するなど、立派な成績を残している。2人が知り合ったのは、小学生時代でそれぞれ2年生と1年生の時。それ以来、お互いに励まし合う親友同士であり、卓球を始めてからは選手としての良きライバルでもある。
―― 改めて、東京富士大学を進路に選んだ理由をうかがいます。
上田 この大学でもっと成長したいと思ったからです。西村監督の指導を受けて、卓球についても、人間としても、いろんなことを学びたいと考えました。
佐藤 高校の時には、必ずしも完全燃焼できませんでした。だから日本一環境の整ったこの大学でもう一度挑戦したい、人間教育を大切にしている西村監督の下でもっと成長したい、と考えて進学しました。
試合会場で困るのはアナウンス
上田さんも、佐藤さんも、デフリンピックなどの聴覚障害者の大会だけを目標にしているわけではない。一般の学生リーグ戦などにも出場し、健聴の学生たちと戦っている。西村さんの言によれば、「いわゆる障害者スポーツとは違い、健聴者と全く同じ土俵、同じルールで戦うことに挑戦している」のである。
―― 健聴の選手と試合する際に、聞こえないために困ることは?
上田 試合会場で、自分が出る試合の卓球台がどこか、分からないことがあります。何番目の台で誰と誰が対戦するかは、試合当日、会場内でアナウンスされるだけなんです。それが分からず、焦ってしまうことがあるんです。
―― 普段の練習や日常生活で困ることは?
上田 子どもの頃は、同じ聴覚障害の兄がいたことで随分と助けられました。普通校の中学に入る時も、兄を知っている先生方は、聴覚障害者との接し方をよく理解されていましたから。
大学に入ってからも、ほとんど困ることはありません。1対1で話す時は、監督をはじめ部員は皆、大きく口を開けて、ゆっくりしゃべってくれますし。監督が部員全員に話す時など、1対複数ではよく分からないこともあります。でも、そんな時は誰かが後でフォローしてくれますから、不便さを感じることはありません。
佐藤 私も普段はほとんど困ることはないです。皆がかばってくれますから(笑)。ダブルスの試合中に、パートナーの口の開き方が小さくて、指示がよく分からないことはありますが、それもお互いに注意して解消するように努力しています。
上田さんも、佐藤さんも礼儀正しく、そして明るい。インタビュー中に、筆者が彼女たちの発した言葉を取り違えたことがあった。そんな時も、2人は萎縮することなく、「違いますよぉ」とケラケラ声を出して笑い弾ける。箸が転がってもおかしい年頃なのだろうが、ここまで素直な態度が取れる聴覚障害者には滅多に出会わない。すっかり彼女たちに魅せられてしまった。
「分からない」と言わないと、相手も分からない
「困ることはあまりない」という回答も、決して建前ではないだろう。だが、あまりにも優等生的に過ぎて、少し喰い足らない。そこで、2人を支えてきたキャプテンの加能さんに質問を振った。加能さんの立場は、会社組織に例えれば、偉い上司と若手・新人社員の間に立つ中間管理職にも似ている。つなぎ役には、人知れない苦労がつきまとうものである。