脳性まひによる障害を持ちながら、1992年8月に31歳で亡くなるまで右手の薬指だけを使ってタイプライターで詩を紡いできた詩人・阪口穣治さんの生涯をまとめた「穣治君への手紙」(編集工房ノア)が今月、詩人仲間によって出版された。(堀江昌史)
阪口さんは60年、広島市生まれ。2歳で重度の脳性小児まひと診断された。父親の転勤に伴って神戸市に移り、67年に神戸市立友生養護学校に入学。中学部1年の時にタイプライターと出会い、唯一動く右手の薬指で詩を打ち込むようになった。
「あの太陽のように燃えさかり/あの光り輝く若葉のように/何もかもうつる/これが青春/車イスの上で生きようとも/さびついたほど うまく動かない/体をもとうとも/こんなすばらしい時に変わりはない/この燃えさかる炎を/やっと動く指とタイプで/生きた文字にかえ/この青春の全(すべ)てをきらめかそう」(「青春」より)
31歳で亡くなるまでに、10種類以上の雑誌に詩を投稿。詩集『いのちのふるえ』『ささやかな木』『へばりついた器』を出版した。作曲家三枝成彰氏が詩に合わせて作曲した「混声いのちのふるえ」を含めて、20以上の曲も阪口さんの詩から生まれ、多くの人に歌われた。
今回出版された「穣治君への手紙」は、211ページ。2千円(税別)。阪口さんとともに同人誌「文芸日女道(ひめじ)」に寄稿していた詩人の高橋夏男さん(78)が書いた。同誌で44回続けた阪口さんの生涯を振り返る連載をまとめた。
「障害者である穣治君が右手の薬指1本だけで、短い言葉を使って表現していく姿には、命を絞り出すようなきらめきがあった」と高橋さん。
同じく同誌に寄稿していた詩人の玉川侑香さん(62)が主催する、阪口さんの遺作展が神戸市兵庫区神田町の「いちばぎゃらりぃ侑香」で14日まで開かれている。
会場の机の上には「賛同者ノート」と書かれた一冊のノートがある。阪口さんが生前に障害者の社会参加についての提案と、健常者にその賛同を求める文章をつづったものだ。
「私共は重度の障害者ですから のんびり構えていたらよいはずなのに やはり 生き甲斐(がい)をもとめ その延長線で収入に結びつくことが出来ればとても幸いです」と健常者に応援を呼びかける一方で、自らを含めた障害者には「障害者は いつも社会とふれあう態度を持っていなければならない」などと説いてもいる。
遺作展は午前11時~午後6時で入場無料。問い合わせは、いちばぎゃらりぃ侑香(078・361・5055)へ。
朝日新聞
阪口さんは60年、広島市生まれ。2歳で重度の脳性小児まひと診断された。父親の転勤に伴って神戸市に移り、67年に神戸市立友生養護学校に入学。中学部1年の時にタイプライターと出会い、唯一動く右手の薬指で詩を打ち込むようになった。
「あの太陽のように燃えさかり/あの光り輝く若葉のように/何もかもうつる/これが青春/車イスの上で生きようとも/さびついたほど うまく動かない/体をもとうとも/こんなすばらしい時に変わりはない/この燃えさかる炎を/やっと動く指とタイプで/生きた文字にかえ/この青春の全(すべ)てをきらめかそう」(「青春」より)
31歳で亡くなるまでに、10種類以上の雑誌に詩を投稿。詩集『いのちのふるえ』『ささやかな木』『へばりついた器』を出版した。作曲家三枝成彰氏が詩に合わせて作曲した「混声いのちのふるえ」を含めて、20以上の曲も阪口さんの詩から生まれ、多くの人に歌われた。
今回出版された「穣治君への手紙」は、211ページ。2千円(税別)。阪口さんとともに同人誌「文芸日女道(ひめじ)」に寄稿していた詩人の高橋夏男さん(78)が書いた。同誌で44回続けた阪口さんの生涯を振り返る連載をまとめた。
「障害者である穣治君が右手の薬指1本だけで、短い言葉を使って表現していく姿には、命を絞り出すようなきらめきがあった」と高橋さん。
同じく同誌に寄稿していた詩人の玉川侑香さん(62)が主催する、阪口さんの遺作展が神戸市兵庫区神田町の「いちばぎゃらりぃ侑香」で14日まで開かれている。
会場の机の上には「賛同者ノート」と書かれた一冊のノートがある。阪口さんが生前に障害者の社会参加についての提案と、健常者にその賛同を求める文章をつづったものだ。
「私共は重度の障害者ですから のんびり構えていたらよいはずなのに やはり 生き甲斐(がい)をもとめ その延長線で収入に結びつくことが出来ればとても幸いです」と健常者に応援を呼びかける一方で、自らを含めた障害者には「障害者は いつも社会とふれあう態度を持っていなければならない」などと説いてもいる。
遺作展は午前11時~午後6時で入場無料。問い合わせは、いちばぎゃらりぃ侑香(078・361・5055)へ。
朝日新聞