尼港事件はロシア革命後のロシア内戦下、極東のニコライエフスクを赤軍パルチザンが襲撃し住民を虐殺した事件です。
「大正九年五月24日午后12時忘ルナ」はそのときの日本人犠牲者が監獄の壁に書き残した最期の言葉。
この事件、それほど取り上げられないのは左翼歴史学が赤軍の犯罪を隠そうとしたのもあるが、事件の経緯が複雑なのもあります。
複雑とは:
虐殺にはロシア人パルチザンだけでなく中国人たちも加わっていた
事件は大正9年(1920年)の3月から5月まで日本軍も加わり長期にわたった
虐殺されたのは日本人以外に反赤軍のロシア人もいた
事件を起こしたパルチザンの首謀者はソビエトにより粛清処刑された、等々
そしてニコライエフスクでの赤軍パルチザンの蛮行は、今、ロシア軍がウクライナで行ったことと実に似ています。
通州事件や葛根廟事件などに比べてもあまり注目されない尼港事件、左翼社会主義のロシアの暴虐事件として忘れてはならないのでは?
「大正九年五月24日午后12時忘ルナ」はそのときの日本人犠牲者が監獄の壁に書き残した最期の言葉。
この事件、それほど取り上げられないのは左翼歴史学が赤軍の犯罪を隠そうとしたのもあるが、事件の経緯が複雑なのもあります。
複雑とは:
虐殺にはロシア人パルチザンだけでなく中国人たちも加わっていた
事件は大正9年(1920年)の3月から5月まで日本軍も加わり長期にわたった
虐殺されたのは日本人以外に反赤軍のロシア人もいた
事件を起こしたパルチザンの首謀者はソビエトにより粛清処刑された、等々
そしてニコライエフスクでの赤軍パルチザンの蛮行は、今、ロシア軍がウクライナで行ったことと実に似ています。
通州事件や葛根廟事件などに比べてもあまり注目されない尼港事件、左翼社会主義のロシアの暴虐事件として忘れてはならないのでは?