ゴールデンウィークは
さまざまの人々が
我に還って、
「計画実行のゆとりの時間帯」でもあります。
そして、、、、、
小沢さんが「辞退」という
政界を揺るがすような
決断を促した「時間帯」でもあったようです。
政界は、、、かって、、、
田中角栄首相の時
「現在の秀吉殿」との活字が印象に残っています。
中国との国交も正常化されて、
列島改造論も飛び出るほどでした。
日本列島は天が下さった
「美しき島国」です。
人間の力で改造すれば
絶妙なバランスが崩れ去り
現在の世界遺産の
南紀も
北海道も
生態系が崩れていたかも知れませんネ。
手頃なとき、
バブルがはじけて、
「改造日本」に住まなくてもよくなりました。
まず、基本的に
「自給自足できる自然が残っている日本を維持する」という
政治をお願いします。
その上で、もの創り、芸術、科学、工学、ITと
世界を相手に互角以上を目指して
切磋琢磨する、
勤勉な国であってしかるべきと思いませんか?
老人から、
赤ちゃんまで、
自然と光に育まれてほしいものです。
政権という「権力」とは無関係に、
国会が皆協力して、
それぞれの得意とする守備を出し合って、
世界情勢に合わして
日本という「国」を
皆で愛してゆきたいと思いました。
ドイツという国は
日本と似ていると、、、聞かされます。
日本のように、
高い山が多くないドイツは
国土の管理がキメ細やかで手入れが行き届き
良く耕されていて、
人体の血管のように高速道路が張り巡らされて
統一されているのは
ヒットラー効果?なのだろうか?
ゴールデンウィークに
偶然!
北京の天安門広場で麻生総理の車の列に出会いました。
外国で、
日本の首相のいらしている事に出会う事が
なぜか、
とてもうれしかったのです。
首相はたぶん
貴賓席へいらしたのでしょうか?
天安門広場には警備がいっぱいで入れませんでしたが
なぜか「ほっとしました。
その後、私たちは、
北京の塀の裏側の
とても道の狭い、下町を見学しました。
北京の街は「御金持」と
「御金を稼ぐ事の出来ない人々」に二分されていました。
輪力車で力強く自転車をこぐ下町の若者の背中が
初めて、未来に向かい始めた胡同をすり抜けながら
貧しかった人々にお金が廻り始めた
「観光」という
未来に向けて開き直ることができたのは
「オリンピックがもたらした彼らのプライドなのだろう。」
輪力車を降りるとき、
若者に、
日本の「500円玉」を
心から、
ありがとうと言って受け取ってもらった。
私の心とは、ちぐはぐかも知れないが、、、
彼は、「実にすばらしい笑顔で握手を求めてきた。」
黒く、日焼けした青年の手は
太陽に向かい始めた
北京の下町の希望を伝えてきた。
同じ国でありながら、
貧富の差が大きすぎる北京の表と
塀の裏側の下町を歩きながら、
政治の難しさを観ているようであった。
北京からドイツに飛んで、
50セントのコインを払いながら、
他国では、
トイレも自由に使えない事を知りました。
日本の国!
自国に帰ったとき、万人が思うでしょう!
国を愛してる!
国があるのは、
帰る家があるのと同じ豊かさです。
国会は権力争いをしないで
力を合わせて、
世界の中の日本の「役割」を果たせるように
国民の教育と実践と先だちへの感謝を
労りの心として
未来につなげる
「無限のエネルギー」としてほしいものです。
この年になって
お金は持って死ねないのだから、
精一杯の節約をして
又、、、来年も旅をしたいものです。
結婚40年目で連休がゲットできた。
初めて夫婦一緒の忙しすぎる
盛りだくさんのツワーに参加して思う事は、
若き日に世界を見ておけば
人生は変わっていたかもしれないのにと思いました。