花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

世代交代という区切りが出来た原因はどこに?

2009-06-05 03:32:53 | Weblog
      
        戦前に生を受けたせいか、、、
        いつも、、いつも、、、戦争が起きないように
     祈りながら生きてきました。

     隣国は簡単に核実験と申しますが、、、
     広島、長崎の記憶はいつも新しく迫ってきます。

     子供たちが小学校に入学すると、
     休日も、祝日も休みがもらえない夫に代わって

     子供たちを、「長崎」「広島」に連れてゆきました。

     私の兄弟も外国で3人亡くなっています。

     敗戦直前まで、野戦病院で、

     軍医として医療に従事していた父は
     戦後の無理が原因なのでしょう、、、か!

     54歳で永眠しました。

     世代交代はいやおうなしにやってきました。

     皆、戦争の後遺症を抱えて、
     皆 がんばりました。

     あの頃は、貧乏が当たり前だった。
     携帯電話で何千年も話すことなど想像すらできなかった。

     電話のある家が珍しかった。

     テレビも白黒で街頭にあった、

     唯一、ラジオから聞こえる
     「少年探偵団」「赤胴鈴の介」

      流行歌、、、が聞こえるパチンコ屋。

     「君の名は」のマチコとハルキ、、、

     娯楽も、食べ物も、衣類も、靴も少なかった。

     農家のおばさんに「草鞋」の創り方を教わったり、、、

     田植えを手伝って、
      焼き芋、トウキビ、イチゴなどをもらっておやつにした。


      戦争で男性が少なく、
      女性は生活のため働いた。

      楢山節孝?こんな字?だったかな?

     順調な世代交代が出来なかった象徴のような作品でした。

     年よりは、、、捨てられたのですね。

     自分で象は象の墓場に歩いてゆくと申しますが、、、

     外科医だった父は
     忙しさの中で、、、
     働きながら死んでゆくのだと

     ふと、つぶやいたことがあった。

     戦争でボロボロになった父と母。

     戦後、もっとボロボロに働いて復興していった世代の父母たち。

     像達が、黙々と像の墓場に歩いて行った姿に
     父母たちの姿が重なる時がある。

     どんなに誇り高く至誠天に通ずと思っていても、
     「核」戦争になれば、

     人間が人間として扱われません。

     人間は単なる「元素」でしかなくなります。

     平和な心で、、、人間をつずけたい、、、。